第25話 悪役令嬢の知己

「リヒト様。こちらにいらっしゃったのですね」


王宮の隣に立つ、小さな建物の中にリヒト様はいた。


油絵具や古い木材などの匂いが静かな部屋を満たしている。


大きな窓の側に立つ古いイーゼルとキャンバスの前に座っていたリヒト様が振り向く。


「あぁ、ローズか。こんなところまで、珍しいな」


今日のリヒト様は毒が抜けたように穏やかな表情だ。

まるで、以前の…学園に通う前のリヒト様に戻ったみたい。


「リヒト様が以前、もうここには来るなと言ったのですわ」


リヒト様の隠れ家である、このアトリエには久しぶりに来た。


昔はここで絵具まみれになりながら一緒にお絵かきをしたり、

リヒト様にわたくしをモデルに何枚も絵を描いてもらったり…


至る所に思い出が残っている。


そして、ここには昔から変わっていない匂いと、落ち着いた静寂があった。


「そうだったな。……あれは、照れ隠しだ。許せ」


リヒト様は思い出を噛みしめるように、フッと笑うと私を見て眉を下げた。


「照れ隠し、ですか」


その表情が懐かしくて、私もふと笑ってしまう。


私は昔から、リヒト様のこの申し訳なさそうな困り顔に弱いのだ。


暫く、二人で真っ白なキャンバスを見つめた。


先に沈黙を破ったのはリヒト様だった。


「……勉強も剣も、何をやっても上手くいかない。兄上たちの足元にも及ばない。同じスタートラインに立っていたと思っていたローズにも先を越されてしまって、俺は…嫌になっていたんだ。


王族に生まれなければ、画家にでもなって自由に旅でもして自分の生き死にも選べたのにと。


それで…ローズには八つ当たりして、つらく当たってしまったのにローズは俺の絵を見て『見た人の心が優しくなるような絵だ』と言ってくれただろう。


嬉しかった。変に綺麗だとか技術がどうのと述べられるより、ずっと嬉しかったよ。


でも、俺は素直に嬉しいと喜べなくて、自分の殻に籠るようにローズを遠ざけてしまって」


リヒト様は真っ白なキャンバスから目を離さず、独り言のように言葉を零す。


「気にしてませんわ」


そのリヒト様の様子が。今にも消えてしまいそうで。


「リヒト様の絵は……今も人々の気持ちに優しく、寄り添うような温かみがあります。私は、昔からリヒト様の描いた絵が好きなのですわ。それは今も変わりません」


リヒト様はこちらを見ない。ずっと真っ白なキャンバスを見つめたままだ。


私の言葉はリヒト様に届いただろうか。



「近頃、ベン様とノア様を遠ざけていらっしゃいますわね。お二人が寂しがっていらっしゃいましたわ」


あの放課後の日から、ベン様とノア様はリヒト様に近づけないでいる。

おそらく、進言や小言が疎まれたのだろうと二人はこぼしていた。


「……そうか」


「わたくしはともかく、お二人まで遠ざけて…リヒト様が孤立してしまいますわ」


返事は無かった。



「……リヒト様。なぜ、ソーニャ様なのですか」


ソーニャ様、という言葉に反応したのか

リヒト様の肩が跳ねる。


「……俺とソーニャは別に何も」


「もう、いいのです。


わたくしはリヒト様のお側にずっといたのですもの。見ていればわかりますわ。


わたくしからアムレットストーンを取り返し、ソーニャ様に強請られるまま見せてやりたいとまで思うのは、なぜですの」


リヒト様は振り返らない。


「心から、ソーニャ様を愛していらっしゃるのね」


確認するように言葉を重ねると、ゆっくりとリヒト様は振り返り私の瞳を見返した。


「放っておけないんだ」


絞り出すような声だった。


「ソーニャが怪我をしていたんだ」


「怪我、ですか」


「ああ。最初は『ローズ様に』なんて言っていたが、さすがにローズがそんなことをする人間だとは思っていないさ。


ローズはそもそも一人で行動する時間が無い。王族の婚約者ともなれば常に監視されているんだ。取り巻きからも、陰からも」


だろう?とわたくしに確認するように問いかけるリヒト様は、少しリチャード様の面影があった。


「ソーニャが嘘をつく理由が気になって調べてみれば、ソーニャは随分と男爵から”厳しく”されているようだった。


きっと、俺に取り入るように指示されているんだろう。


ソーニャを切り離そうとすると傷が増えるんだ。


怖かったよ。


しかし、側に置いて厚遇している様子を見せれば傷は増えないんだ」


リヒト様は私を見ているようで、自分の中に問いかけるように空を見ている。


「ソーニャが可哀想で…


俺と同じだと思ったんだ。


周りからの期待に応えようとして、自分を偽って、必死にもがいている。


本当の自分を殺してまで周りの期待に応えようとしているんだ。


俺を騙して、利用しようとしながら全身で頼ってくるんだ。可哀想で、いじらしいだろう?」


そう言ったリヒト様の表情は何重にも重なり捻じれ歪んだ気持ちを内包したようだった。


「ソーニャは俺にしか救え無いんじゃないかと思うと…。

いつの間にか、自分の気持ちが同情では無くなっていたんだ」


リヒト様は、またキャンバスの方を向いてしまった。


「リヒト様は王族には向いていませんね」


わたくしの頬を濡らすのは、なんの涙なのか。


「俺もそう思うよ。来世は画家がいいな」


リヒト様の声も震えていた。


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