第26話 悪役令嬢の発破

リヒト様のアトリエの扉をゆっくりと閉める。


もどかしいほど、手が扉から離れなかった。



濡れた頬をサッと手で払い、息を整え顔を上げた。


泣きたいのは私だけではないのだ。


壁にもたれていた人物と目が合う。


大丈夫です、と気持ちを込めて頷くと


ゆっくりと先に歩き出した。


前を歩く背に吸い寄せられるように一歩、二歩と足を動かす。


アトリエから王宮へ続く整備された小道から外れ、温室へと向かうようだ。


今はなんだか孤独な背が


まるで、私の歩む道はこちらだと誘っているようだった。



この温室も懐かしい思い出が至る所に残っている。


リヒト様の絵のモデルとしての大役を務めるにあたって、添える花をここから拝借したのよね。


それが王妃様のお部屋に飾るためのお花だったものだから、とても怒られて…


リヒト様は自分が取ってくるように言ったんだと庇ってくれて…


優しい思い出が私の心をくすぐっていく。


くすり、と思わず笑ってしまうと

急に前を歩いていた背が振り向き、温室の奥に設置されたベンチに上着を敷いてくださった。


促されるまま腰をかける。


わたくしの隣にドサッと腰をかけたのは


常に隙無く爪の先から足の先まで整えられているのに、

今日は少しラフ…というか乱れた髪型に

普段はキュッと締まったリボンタイも襟元と一緒にザックリと開かれた…


今日は、まさに危ない男!というような雰囲気のリチャード様だ。


いつも全身から輝いて周囲を照らす男神なのか?というような出で立ちも、今日は疲労で光が2割減だわ。


でも、その2割が今度は危ない男の魅力に転じ…


いけないわ。


お疲れのご様子のリチャード様になんてことを。


普段のリチャード様が王子様格のメインヒーローだとしたら、今のリチャード様は幼馴染のヒロインに気のある素振りを繰り返してからかいつつも、実は本気でお前のこと…!俺にしておけよ…!と落としにかかるようなヒーローとは異なる魅力を持ち、ヒーローと互角で渡り合う…最強の当て馬…


いけないわ。



現実逃避していた思考を切り替え、リチャード様に向き直る。



「お話しは聞こえてましたでしょうか」

「ああ。聞こえてたよ」


リチャード様は深く息を吐くと


片手で目を隠し、項垂れた。


あの会議室での秘密の作戦会議で知った、


リヒト様とソーニャ様の関係。

男爵家の思惑。

そして隣国が絡んでいるのではという推測。


しかし、どれも行動を起こすには証拠が足りない、という現実。


ベン様とノア様の証言だけでは

ソーニャ様を遠ざけ、

男爵を捕らえ、

男爵と関係のある隣国の者をどうにかすることも出来ないのだ。


「俺は弟を殺すのか」


掠れた声だった。


リチャード様は表向き”王太子殿下”としての顔は変えないが、私にはわかる。


苛立ち、迷い、悲しみと怒りを抱え、困惑している。


私もまた、そのリチャード様の心にシンクロするように混沌とした渦に翻弄される。




あの秘密の作戦会議の後。


リチャード様たちと共に王宮へ出向き、リベラティオ国の宰相であるお父様に現時点の報告をした。


お父様と国王様は本件のあらましは既に耳にしていたようだ。

さすが第一、第二のお父様たちだわ。


お父様は「まずはリチャードが本件をどのように御するのか見せてもらおう、と国王様がおっしゃっていましたよ」と言っていた。


我が父ながら、あの胡散臭い黒い笑顔はなかなかの悪の右手という風格だったわ。



現時点で証拠はないが、証拠をつくることも出来る。


しかし、それをしてしまえば、血を分けた弟とソーニャ様、男爵もまとめて王位簒奪の罪で処刑することとなる。


それは、見せしめの意味もあるし抑止力にもなる。


今後、そのような計画を企てられる前にそんな気も起きないようにする目的があるのだ。


本件について、どのような判断を下し、裁き、御するのか。


リチャード様は王太子として、次代の国を統べる王としての手腕を問われている。


リチャード様はまだ18歳だ。


もし、私がリチャード様の立場で、相手がお兄様だったとしたら。


私はお兄様を切り捨てられるだろうか。


想像しただけでも胸が苦しくなる。

逃げたくなる。

考えることを放棄したくなる。


国王とはなんと孤独だろうか。


自分の判断で死人が出る。

自分の迷いが国を混乱させる。


18歳の肩には重すぎるのではないだろうか。


リチャード様の心を想像すればするほど、何も言えなくなる。


私は、ただ、リチャード様の隣に座ることしかできなかった。


視線を落とすと、リチャード様の膝の上で強く握られた拳が目に入った。


耐えるように、ギュっと堅く強く握られて白くなっている。


きっと氷のように冷えている手を、温めたいと何度も、何度も思った。


私が温めてもいいのだろうか



「本当に求められている王の形は、俺じゃないのかもしれないな」


リチャード様の掠れた小さな声を耳が拾った。

空耳か?と思えるほど小さな小さな声だった。


パッとリチャード様の顔を見ると、

今まで見たこともない怒りと悲しみにのまれそうになっているような表情だった。


「産まれる順番が違えばリヒトが王になり、穏やかな治世となったかもしれない。


俺が一番先に産まれたというだけで…」


リチャード様の悲しみや怒りや自分を罰したいという感情が共鳴するように私の中に流れてくる。


しかし、私の心を占めるのは何なのか。


自分を導く師が道を見失いそうになっていることへの失望なのか、混乱なのか、やるせなさなのか、怒りなのか


先ほどまでリチャード様と一緒になって、しぼんでいた心が強い感情によって膨れ上がる。


喉が熱くなり、髪の毛が逆立ち、拳に力が入った。


「あらあら。弟だけではなく、兄も臆病者なのですわね」


ゆっくりと立ち上がり、リチャード様の前に立ちはだかる。


私を見上げるリチャード様の瞳は濁り、力が無い。


「これでは我が国の将来が心配ですわ」


緩んだリボンタイを両手で掴み、力を籠める。


ぐいっとリチャード様を引っ張り立たせ、顔を近づける。


「悪役が己の信じ築きあげてきたものを疑い始めたら、そこでおしまいですわ!


悪役は散る最後の時まで悪役です!!


こんなことで尻尾を巻いて泣くだけの可哀想なわんちゃんは、お家に帰って寝ていてくださいまし!!!」


そう不抜けた王太子に一喝すると、


呆気にとられていたリチャード様の目に光が戻った。


そして、わたくしの手を


あの、堅く握られていた冷たい手が


引っ張られていたリボンタイごと、優しく包み込んだ。


リチャード様の手の冷たさが、私の手の熱さと混じり、補い合うようだった。


リチャード様の空色の瞳が、力を持ってわたくしを見つめ返す。


いまだタイを握るわたくしの指にキスが落ちた。


「ローズは本当に…惚れ惚れするほどかっこいいな」


そう言ったリチャード様の目に、もう迷いは無かった。


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