第37話 悪役令嬢の佳局 4

「この毒杯を、今この場で召し上がってくださいな」



息を飲む二人の戒めをトーマス様、ベン様が同時に断ち切った。


縄が弛み、落ちた。


もう、行動を制限するものは無いのに

二人は目を見開き、私の次の言葉を待っている。


怒り、戸惑い、縋るような視線が私に注がれている。


「どちらか残った方は幽閉処分にしてさしあげますわ。残りの生涯を愛する人の魂の弔いに使うのです。なんて素晴らしいのでしょう」


口唇を引きゆがめ意味ありげなあざ笑いを浮かべ、リチャード様の肩に頭を寄せる。


「そんな……」


そう呟いたのはどちらだったか


「あら……あなた方の愛って大したことないのね?」


興醒めだとでもいうような落胆の声が部屋に響いた。



ジャリッ


弾かれたように、

床に散らばったガラスの欠片の上を


生身の膝が、

手が、


そんなことも関係無いというように這う


傷だらけの手から血が滲み、手を滑らせガラスの床に顔を打つ。


半歩早く、ソーニャ様が毒杯をあおった



「ソーニャ!やめてくれ!」


追いついたリヒト様がソーニャ様の手にあった杯を叩き落とした。


派手な音を鳴らし、床に転がった杯から零れた毒の残量は幾ばくも無かった。

不気味な色の液体と、散らばる青色のガラス片、そして血の赤が床を彩っていた。


次いで、ソーニャ様の体がグラリと傾いた。

リヒト様はその小さな体を支え、必死に名前を呼ぶ。


「ソーニャ…ソーニャ」


悲痛な呼び声に、見ている私までも心を持っていかれそうになる。


ソーニャ様の目がグルリと回り、震えながらも


しっかりとわたくしを射抜いた。


そう、その目ですわ。


リヒト様とダンスを踊った時に感じた、私を嫉妬で焼き殺しそうなほどの熱い視線。

体を寄せ、頬を寄せる私たちの間に何があるのか気になって嫉妬で身を焦がす激情を隠せなかったソーニャ様。


その目をするソーニャ様に気付いた時は、心底ほっとしましたわ。



「リヒトは絶対に殺さないで。殺したら…今度は私があんたを殺してやる」



ソーニャ様の蜂蜜色の瞳がリヒト様に戻り、微かに唇が動いたのを最後にゆっくりと瞼が落ちて行った。


覆いかぶさったリヒト様の手が、力が抜けていくソーニャ様の体を摩る。


逝くなと全身で訴え、戻れと、諦めず小さく呼びかける声が止めどなく聞こえている。


「見事な最期ですわ。愛の物語のラストはこうでなくては」


眩暈にも似た恍惚感を感じて、思わず感じ入ってしまった。


リヒト様は私の声が聞こえていないかのようにソーニャ様の頬を撫で温めるのを止めない。


ソーニャ様の力の抜けた顔を見つめ続けるリヒト様の横顔に向かって話し続ける。


「リヒト様が毒杯に向かって動き出した時には、驚きましたわ。

リヒト様は……正直、逃げるか動かないかと思っていましたの。

まぁ、逃げなかった…と言ってもソーニャ様に先をこされてしまいましたけど……


だって、リヒト様はいつも逃げてばかり。


教師に馬鹿にされたら部屋から脱走して、剣の訓練で少しでもケガをすればそれを言い訳に休み、厳しいことを言う者を遠ざけ……


リチャード様から、ベン様、ノア様、そして……わたくしからも逃げて」


ソーニャ様の顔が、リヒト様の血で濡れていく。


「だから、リヒト様が今回の件を相談してくださったときに安心しましたの。そこまで盲目でなくてよかった、と。もう少し遅ければ、国王様預かりとなり大変なことになっていたのですよ。ベン様、ノア様の将来の進退にも関わりますし、そのご婚約者様たちも…どうなるか」


チラリとノア様、ベン様を見ると

頭を下げ悔しそうに拳を握り立っていた。


でも、そうね。やっぱり遅かったのかもしれないわね。


リヒト様に視線を戻し、続ける。


「もちろん、ソーニャ様はこれよりもっと悲惨な最後を賜ることになったでしょうね。毒は、わたくしからの温情です。お味はいかがだったかしら」


クスクスと笑う声が部屋によく響く。


「でも、零してしまうといけないと思って、もう一つ用意してありましたの」


お兄様が懐から小瓶を出し、卓の上にトンと置いた。


リヒト様の手が、止まった。


「リヒト様はどうされますか?王族として北の塔で静かに残りの生涯をソーニャ様の弔いに使うのか……それとも、神に背いてもソーニャ様の後を追いますか?」


我がリベラティオ国の国教では自ら死を選ぶ者は神の教えに背く者として地獄に行くと信じられている。


しかし、生ける者が神に許しを願い死者を篤く弔うことで、自ら死を選んだ者も天国に行けるという教えもある。


全員の視線が、リヒト様に注がれる。


「ソーニャは生きていた時も、死んでからも地獄だな」


ポツリと腕の中のソーニャ様に語りかけるような声量だった。


「もし天国に行けたとしても、やはり地獄でも、ソーニャは一人だ」


隣国に移り住んでいたソーニャ様のお母様は2年ほど前に亡くなり、引き取られた先の親類が隣国の貴族のところにソーニャ様を売込み、本国の男爵と縁を繋げたと調査書には書いてあった。


ソーニャ様は一人で抱えていたのだ。

誰にも本心を言わず。

一人で。


「リヒト様…」


「最後まで、ローズに甘えてばかりだな。」


そう言ったリヒト様は眉を下げ、あの『申し訳なさそうな困り顔』をしていた。






二人が重なり倒れるところを見届け、私はやっと満足した。


「劇的なラストでしたわ。素晴らしい愛の物語をみせて頂きました」


堰を切ったように涙が次々と零れていく。

もう私の頭の中では観客総立ちのブラボーブラボーでお花を舞台へ投げまくっている。


「ある意味、ハッピーエンドだね?」


リチャード様がわたくしの涙をハンカチで押さえながら、おもしろいものでも見るように顔を覗き込んでくる。


ううう

今の顔は見ないでくださいませ!きっと涙でボロボロだわ!


「はい。でも、ハッピーエンドになるかアンハッピーになるかは、お二人次第ですが……あ!!」


「どうしたの?」


とんでもないことを思い出してしまったわ。

これはピンチよローズ!


「……リヒト様を殺してしまったので、わたくしソーニャ様に殺されてしまいますわ!」


ソーニャ様、怒るかしら?怒らないわよね?大丈夫よね?


それにしても、あの時のソーニャ様はかっこよかったですわ…

敵ながら天晴れ……わたくしも、最後はあんな感じでキメたいですわ。


やっぱり最期の台詞は『これで終わりだと思わないことね』と次回へのフラグを立てるのが鉄板よね。


と、ラストシーンの構想を練っていたら

リチャード様に引き寄せられ体が傾いたことで意識を戻した。


ぎゅっと寄せられた体は熱く、もう大分前のことのように感じる舞踏会の時を思い出してドキドキとしてしまう。


「大変だね。出来る限り守るけど、万が一の時は黄泉の国の門の前で待っているんだよ。すぐ迎えに行くから」


そう言うリチャード様のお顔は至極真剣だ。

全く冗談めかしていない。


うむ。リチャード様なら本当に迎えに来…というか、どこに隠れていてもすぐ見つけられてしまいそうですわ。

そして『ダメじゃないか』と美麗な笑顔で連れ戻すのですわ。


ってリチャード様は人間ですわ!

魔王のようなお顔と性格と雰囲気と禍々しいほどの高貴さがありますが、人間ですわ!


「リチャード様はダメですわ!ちゃんと国を守ってください!

わたくしはリチャード様が来ないように黄泉の国の門番を代わって頂きますわ!」


リチャード様が来ても通しません!ついでに皆様のことも通しませんから、私が門番として認められるまでは待ってくださいね!


「……こんなにかわいい門番が待っているなら、黄泉の国へ行きたがる者が増えてしまわないかな」


ハッ。

それは困るわ。黄泉の国の広告塔になってしまったらどうしましょう。やはり内政に食い込むしか…?あぁ、でも門番も捨てがたいですわ…!


「リチャードもローズも不穏なテーマでイチャイチャしないでくれ。ほら、こいつ等を運び出すんだろ」


もしもの打ち合わせ会議に割り込んで来たお兄様を見て、ひらめきました。

お兄様なら黄泉の国の内政に食い込み、裏技でわたくしを門番にしてくれるかもしれないわ!

がんばってお兄様!


黄泉の国の宰相に内定したお兄様は、ベン様とトーマス様に指示を出し

眠っているような二人の体をどこかへ運ぼうとしている。


「あぁ。ガラス片を取って軽く手当てをしてやってくれ」


リチャード様がいつものように口端をニヤリと上げ、答える。


「そうですわ。リヒト様…いえ、この方は"来世"で画家として活躍されるのですから」


ちょうど、色ガラスの絵画を作る絵師を探していましたしね!

あぁ、でもガラスはもう見たくないかしら。



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