第36話 悪役令嬢の佳局 3
男爵の声が聞こえなくなるまで、室内の誰も喋ろうとはしなかった。
まだ、終わっていないことを知っているのだから。
ソーニャ様は男爵が去っていくところを見ても、眉一つ動かさず。ただ目を開き前を見据えていた。
ようやく男爵の声が聞こえなくなった頃、リヒト様が口を開いた。
「いつから……兄上と……」
リヒト様の口調には、少し私を非難する色が滲んでいる。
「あら…わたくしと婚約していたことは覚えていらっしゃったのですね?
ソーニャ様にずいぶんとご執心なご様子でしたので、もしかしてお忘れになられたのかと思っていましたわ」
自分でも、こんなに冷たい声を出せたのかと驚くほど冷たい声だった。
「でも、もう恨み言はおしまいです。わたくしを大切に扱ってくださる方とご縁が出来たのですもの」
私の手を温め包み込むリチャード様の手を、人知れず握り返す。
この方となら、私はどこにでも行ける。
「リヒト様もソーニャ様とどうぞ、黄泉の国でもお幸せに」
リヒト様とソーニャ様が同時に顔を上げ、息を飲んだ。
「なっっ!!ローズ!話を合わせたらソーニャは助けるという話だったじゃないか!
本件の責任は俺が一人で負う!死を賜ろうが晒し者にされてもかまわない!ソーニャだけは」
リヒト様の咆哮とも呼べるような声が室内に響く。
こんなにも声を荒げるところを初めて見ましたわ。
「あら。随分と熱心にソーニャ様の命乞いをなさるのね。妬けてしまいますわ」
リヒト様を挑発するように、トロリと笑みを向ける。
そのままソーニャ様を盗み見るように目を向けると、ギリッと音が聞こえて来そうなほど口を強く噛みしめたのが見えた。
リヒト様は低く唸りながら体を捻じり、枷を外そうともがくがトーマス様に抑えられ叶わない。
それをチラリと見やったソーニャ様は、はぁーーーと長い溜息をついた。
「ほんと、勘弁して。今日までこのバカに惚れたふりをするだけでも怠かったのに、死ぬ時も一緒なんて吐き気がする」
今までの庇護欲を誘うような弱さや
明るく天真爛漫な声色とは違う
随分と世慣れた雰囲気のある話し方だった。
ソーニャ様は男爵に引き取られるまで市井で暮らしていたという。本来、そちらの方が"素"なのだろう。
「ソーニャ…っ」
リヒト様はもがくのを止め、ソーニャ様に焦ったように声をかけた。
「やめてよ、もうおしまいなんだから馴れ馴れしく呼ばないで。
ソーニャ、ソーニャって、私の名前はソーニャじゃない!ソーニャは、あの屑が付けた名前!
あの屑がやっと捕まったのに、今度はあんたに捕まるのなんて冗談じゃない」
常にリヒト様をあたたかく見つめていたはずの蜂蜜色の瞳は、温度を無くしリヒト様を見ていた。
リヒト様は縋るように、じりじりと膝をソーニャ様の方へ向ける。
じゃりじゃりとガラスの擦れる音が鳴る。
それに気づいたソーニャ様が顔を歪め、狂ったように笑い始めた。
「あれー?もしかして本気だと思ってたぁ?
うける。あんたの物になるって言ったのも、あんたが好きだった"ソーニャ"もぜーんぶ、嘘。ホイホイ騙されちゃって、ほんと楽だったよ。
あーでも、リヒトじゃなくてお兄サマの方にすればよかったかも。そうしたらあの屑やっつけて私も死ぬことなかっただろうし」
ソーニャ様が艶っぽい視線をリチャード様に向ける。
「嘘だ」
リヒト様はリチャード様に弁明するように声を荒げた。
「まあだ信じてるの?リヒトって本当にお坊ちゃんってかんじだね。あ、王子サマか。なんでもいいけど」
「やめてくれ、ソーニャ!」
激しく暴れるリヒト様の体をトーマス様が更に力を込めて抑えつける。
それでも暴れるのを止めないリヒト様へソーニャ様が一喝した。
「もうやめて!おしまいなの!あんたを騙してただけなんだから!」
ピタリと止まったリヒト様の、追い縋るような視線を振りほどくように顔を逸らし
リチャード様に向かって頭を下げる。
ほつれたピンクブロンドの髪が床に広がった。
「お兄サマ、あの屑が隣国のお客サマと仲が良かったのは知っていました。
私があなたの弟に近づいたのは屑に命令されたのもあるけど、リヒトを使って贅沢な暮らしがしたかったからです。
あの屑が平民の母を…私を思い出すまで、あなたたちが想像も出来ないような暮らしをしていたわ。
でも、それを言い訳にするつもりはありません。王族貴族サマに対し、不敬を働きました。早く処刑してください」
腰の上で縛られたソーニャ様の手が震えていることに、部屋の中の何人が気付いたか。
拳は固く握られ、色を無くし、血が滲んでいる。
あの日みた。リヒト様と同じね。
リチャード様は変わらず、温度の無い目で見ている。
「潔いな。手間が省ける」
ソーニャ様の震えが止まる。
弛緩するように、更に頭の位置が下がった。
「兄上!約束が違うじゃないか!」
暴れるリヒト様のスラックスの膝部分の生地が赤く染まっている。
痛みも傷も気にならないほど、必死に彼女の命乞いをする弟の目を真っすぐと見返しリチャード様は告げた。
「心配するな。お前も死ぬんだ…あの世で仲良くな」
ガバッと顔を上げたソーニャ様の顔色は怒りに満ちていた。
あぁ。やっぱり。
自然と笑みが深くなるのがわかった。
「だから!!死ぬのなんて怖くないわ!このバカと一緒だなんて真っ平よ!一人で死にたいの!殺してよ!私を殺して!」
「だめだ!ソーニャは殺さないでくれ!俺を殺してください!兄上!!」
「ふふふ」
この二人のやり取りを見ていたら、自然と笑い声が出てしまった。
場に不釣り合いな反応に、リヒト様もソーニャ様も言い合いを止めこちらを見る。
静かになったことを確認して、ミハエル様に合図を送る。
「かばい合って、まぁ…仲のよろしいこと。では、どちらか一人」
ミハエル様が部屋の中ほど…お二人より五歩ほど離れた場所に卓を置き
ノア様がその上に慎重な手つきで豪奢な金の杯を、置いた。
杯の影が明かりに合わせ、ユラユラと揺れる。
「この毒杯を、今この場で召し上がってくださいな」
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