第32話 悪役令嬢の断罪
「リヒト様。わたくしを"断罪"してくださいませ」
リヒト様は一瞬、呆けたような顔をしていたが
すぐに復活し苦し気な表情で頭を振る。
金の髪がサラサラと目の前で揺れた。
リヒト様の青い瞳は、もう長いこと本当の私を映していない。
幼い日々の思い出と決別するように、一度目を閉じ…開く。
「なっ…ローズ、話を聞いていたのか?皆の前でわざわざそんな見世物のようなこと」
「見世物で結構ですわ。そもそも、噂自体"見世物"のようなものなのですから」
最初はなんてことないことだったのに、ちょっとした物語を見出し、誇張し人から人へと渡っていく。
人を介すごとに受け取った人間の心理や脚色が混ざり、新たな物語になっていく。
私たちが知っている、おとぎ話や演劇もそうだろう。
人々は物語の話をするように、隣人の話をするのだ。
「ローズ…っ」
リヒト様が私の方へ手を伸ばし、近づこうとした。
それを、私の近くに立っていたトーマス様が進行を阻むようにリヒト様の前に立ち塞がった。
兄の側近の、今までと様子の違う様子にやっと気付いたのか、
リヒト様がハッとした表情で周りの顔色を確認した。
お兄様もミハエル様も、冷たく感情の乗らない目でリヒト様を見ていた。
わたくしは今、どんな目になっているだろうか。
「いいじゃないか」
その空間を制したのは、罠にかかったネズミをどういたぶってやろうかと思案するような顔をしたリチャード様だった。
思いがけない兄の様子に怯んだのか、リヒト様の右足がふらりと後ろに下がった。
が、
後ろに立っていたベン様、ノア様に下がることを阻まれ、それ以上後ろに下がることを許されなかった。
二人は呆然とした様子のリヒト様と目が合うと一瞬苦しそうに眉を歪めたが、すぐに目を伏せその表情を消した。
リヒト様は目を見開き、ゆっくりと膝を床につけた。
「兄上…俺は逃げてばかりだ。今も逃げようと…した。ソーニャを助けてくれと頼んだ舌の根も乾かぬうちに…」
「そうだな。それに、お前は好いた女を他の男に助けろと頼む負け犬だ」
リチャード様の嘲る言葉に反応したのか、リヒト様の床についた拳が固く握られ震えている。
「……その、通りです。こんなことを言える立場で無いのはわかります…俺はどのような処分も受け入れます。でも、ソーニャだけは…」
リヒト様の固く握った拳からは血が滲んでいた。
リチャード様は、その様子をじっと見ていた。
私の視線はリヒト様では無く、いつの間にかリチャード様に吸い寄せられていた。
ゆっくりと形の良い唇が弧を描き、私の方へ視線を流した。
「素晴らしい舞台にしなくてはね?」
そう言ったリチャード様の瞳が本当の私を覗いているようで、心がまた震えたのがわかった。
*
ふわりと笑み、退いて行く人波とは逆に会場の中心へと足を進める。
リヒト様たちの前で立ち止まり、頭の先から指の先まで神経を尖らせる。
「ごきげんよう、リヒト様。
お姿が見えなかったので、寂しかったですわ」
チラリ、と
リヒト様の瞳と同じ色のドレスに身を包んだソーニャ様に視線を流すが、ここでは触れない。
数拍、返事を待つがリヒト様は口を開かない。
どうしたの?と急かすようにソーニャ様に腕を引かれても、戸惑うように口を開けたり閉じたりしている。
リヒト様の目が不安気に揺れている。
その不安を跳ねのけるように、強く青い瞳を見返した。
意味が伝わったのか、軽く目を伏せ、息を軽く吐き
再び目を開けたリヒト様は覚悟が決まったお顔をしていた。
「ローズ。君との婚約は破棄させてもらう」
静まり返った会場の隅まで通る声だった。
視界の端で、集団の中から数人が動いたのを見た。
「殿下。ご冗談を。この婚約は王家が決めたもの。破棄はできません」
あらかじめ決めていた台詞を、歌うように述べる。
自分が一番魅力的に見える表情で、背筋を伸ばし、舞台に立つ。
「いいや、出来るさ。君にはガッカリしたよ。
愛は無くとも信頼していたのに。まさか、王家を…国を裏切るとはね」
リヒト様の声が少しだけ、震えたのがわかった。
「お調べになったのですか」
「あぁ。証拠は揃っている。みっともなく言い逃れをしようなど考えるな」
「言い逃れなど致しませんわ。悪役は潔く散る、そういうものです」
「は、散るとは…神をも裏切るのか!俺は心底、ローズを見誤っていたようだな!衛兵!ここに!」
リヒト様のよく通る声が会場に響いた。
「ローズ様。リヒト様のことはお任せください。ご安心なさってくださいね」
ソーニャ様の声はごくごく小さな声だったが、私のところまでハッキリとその声は届いた。
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