第24話 悪役令嬢の本領
昼食後の自由時間にて。
学園のカフェテラスの一角には、リベラティオ国第三王子のリヒト殿下、その友人の騎士団長を父にもつ伯爵子息と神官長を父に持つ侯爵子息、そして今や学園で知らぬ者はいないであろうソーニャという名の男爵令嬢がいた。
顔ぶれを確認した者は面倒ごとに巻き込まれまいと、また一人、また一人とカフェテラスを後にする。
他の生徒の動きすら視界に入らないのか、その輪の中心にいた男爵令嬢は隣にかける王子の腕に触れ、また気持ち身を乗り出した。
「──リヒト様ってすごいのね。さすがは王子様って感じ!」
「いや、俺なんて……王子と言えど、所詮は第三王子でしかない。王太子殿下……兄上の方がまさに”王子”を体現しているよ」
坂道を転がり落ちるように二人は急速に距離が縮まった。同席する側近候補の少年二人が眉を顰めるほどに。そして、その二人の表情にも気付かないほど二人はお互いを世界の中心に据えているように見えた。
「お兄サマは王子様っていうか、まさに上に立つ人って感じよね。でもね、私はリヒト様の低位の貴族にも……私にも心を砕いてくれる優しいことろが好きよ!王太子様は……私にはちょっと雲の上の存在って感じ。なんだか冷たそうだし、絶対に上から降りてこなさそうだもの。ついて来れない者は置いて行くって迷わず判断しそうだなって……ううん。悪い意味じゃないのよ。でもね、同じ王子様でも、私はリヒト様の方が優しい王様になれると思うんだけどなぁ」
「そんな、まさか。ソーニャには冷たく見えるかもしれないが、兄上は立派な国王となるだろう。……優しいだけでは王になど、とても」
男爵令嬢の不敬な発言に少年二人は更に眉を寄せた。しかし、第三王子はほんのささいな冗談──親しい者たちだけで交わされた軽口なのだと発言を受け流した。
発言を受け流された──目こぼしされただけなのだが──男爵令嬢は第三王子の耳に顔を寄せ、声を潜めた。
「でも……私、お父様から聞いちゃったの。王太子様はご婚約を結んでいた隣国の姫君に暗殺者を送ったんだって。隣国との関係が変わって邪魔になったからと相手側を陥れて、約束が反故になった原因は隣国にあると賠償責任を負わせたんじゃないかって……いえ、噂ね。でも、そんな噂が立つような人、私怖いわ」
「そんな。隣国の姫は病で伏せたと聞いた」
第三王子は驚き、目を見開いた。
隣国間との取り決めは「賠償」という名ではなかったが、確かにリベラティオ国に有利なものだった。
詳細はここで話せるものでは無いと分別はあった第三王子は口を閉じながらも、思い当たる節に顔色を悪くさせた。
その様子を見た男爵令嬢は、気遣うように冷たくなった王子の指にその小さな指をほんの少し絡ませる。
「リヒト様はこの国の王子様ですもの。そんな噂、耳に入らなくて当然よ。お父様は隣国の貴族の方から聞いたから信憑性は高いと思うけど。それに、お父様と親しい方だって身に覚えのない罪で圧力をかけられたって聞いたわ」
「……兄上は厳しい方ではあるけれど、そこまでは……」
まさか、と第三王子は浮かび上がった可能性を振り切るように触れた指をほどき固く拳を握った。男爵令嬢はその握られた手の甲をスラリと撫でた。
「ねぇ、リヒト様。隣国との関係が変わったのは、この大陸の中でリベラティオ国の発言力が強くなったからだって聞いたわ。もちろん歴代の国王様のおかげだわ。授業でも周りの国との戦争が終結して暫く経つって習ったでしょう?王国は転換期にあると、お父様は言っていたわ。厳しく恐怖で国を治める王が必要な時代は終わったって。これからは民に寄り添う優しい王様の時代だと思わない?」
「……」
黙り込んでしまった第三王子を男爵令嬢はじっと見つめる。ハッと何かを思いついたように胸の前で手を合わせ、注意を自分の方に向ける。
「ね、そうよ!リヒト様。今度、我が家に遊びに来て!」
「……ソーニャの、ヘルディン男爵家に?」
「ええ!お父様もリヒト様に会いたいと言っていたし、私の拙い説明よりお父様なら詳しくお話しできるわ!」
無邪気な男爵令嬢の発言にいよいよ看過できぬと傍に立っていた少年たちが体を浮かせた瞬間だった。
「それに。私、覚悟を決めたの。リヒトと、ずっと一緒にいたいって思ったの」
「ソーニャ……」
第三王子は待ちわびた答えを貰ったただの少年のように瞳を揺らし、固く握っていた拳を開くと男爵令嬢の小さな手を握った。
「男爵家のくせにと誹られるのはわかっているわ。でも、やっぱり、どんなに抑えても自分の気持ちに嘘はつけなかったわ。どんなに難しい道だとしても、リヒトと一緒ならきっと頑張れるわ……!」
「夢を見てるみたいだよ、それほど嬉しい……しかし、俺にはローズが」
夢を確かめるように男爵令嬢に注いでいた視線が、すらりと逸らされた。
お互いが口に出さずとも、お互い知っていた気持ちが重なるまでにあった障害は今も尚立ちはだかっている。
「そうよね……ローズ様は王家が決めたご婚約者様、ですものね……今も、ローズ様がリヒト様のアムレットストーンを持っているのでしょう?」
「ああ、そうだ。婚約した時に渡したんだ。といっても、赤ん坊の頃の話しだから俺も見たことはないんだけどね」
「──私、見たい」
「え?」
男爵令嬢は、まるで流行りのお菓子でも強請るかのように続けた。
「リヒトのアムレットストーンを見てみたいわ!リヒト様の真の心は私と共にあることは知っているけど……見てみたいの。どんな宝石なのか。リヒト様は自分の宝石なのに見たことがないんでしょう?見たいと思わない?」
「……思う、けれど」
「なら!ローズ様に頼んでみましょう?ローズ様ならきっと見せてくれるわ!ね?リヒトなら、ローズ様に頼めるでしょう?お願い!」
長い、長い沈黙だった。
「────わかった」
第三王子は頷いてしまったのだった。
*
「……ということがあって」
な、なんてことなの……!
これには思わず目眩で倒れてしまいそうになったわ。
お兄様、トーマス様、ミハエル様が教室に到着した後、全員で場所を会議室へ移した。
秘密の作戦会議ですからね!教室でなんてしないのよ。
中々の大人数が会議室に揃いし、まずはベン様とノア様による状況説明が始まったのだ。
そこで語られたのが、先ほどのソーニャ様とリヒト様のやり取りである。
この物語の主人公であり、完全無欠の悪役中の悪役である史上最高の悪役令嬢ローズにもこれには驚愕だわ。
ベン様、ノア様は灰になりそうなほど白い顔で座っている。
お兄様は何か難しい顔で考え込み
トーマス様は剣の柄をトントンと指で叩く様が、大変男らしく素敵である。きっと一太刀で仕留めるであろう。何を?
ミハエル様は額の前で手を組み、目を伏せている様が美しく絵画のようである。室内なのに天から光が差し込むようだ。幻覚である。
そして視線を隣へ流し、ただならぬ圧を放出するリチャード様を伺い見れば……怒っているわ!
切り立った崖のように眉間に皺が寄り、普段は澄んだ青空のような目が今日は視線で人が死にそうなほどの鋭さが宿っているわ。
リチャード様の死の光線を受けて死ぬのもよし……というような顔をし始めたベン様、ノア様。
ひぇぇ!!
まって!殺さないで!
この二人はただの証人ですわ!
「……それで、ベン様、ノア様は何をしていらしたの?」
部屋の中にいる全員の視線が集まる。
やってしまったわ。
何も考えず、ただ飛び出してしまったわ。
えーっと。
リチャード様たちにお仕置きされたら死んでしまうかもしれませんからね!
ここは、わたくしから愛のある鞭をお見舞いさせていただきますわ!
お覚悟はよろしくて?
全員から注がれるジリジリと焼けるような視線に負けないように、息を整える。
何を聞かれたかわかっていない二人の目をしっかりと見つめ返す。
「──リヒト様とソーニャ様が想いを重ね、思想を語り合ったのはわかりました。アムレットストーンを見たいと強請られ、了承したのもわかりました。それで、その時、あなたたちは何をしていたのかしら?」
首を軽く傾げ、口だけ微笑むように上げる。
目を逸らすなとばかりに目を離さないのがポイントですわ!
「あなたたちはリヒト様を支える臣下では無いのかしら?それも、将来を共にする役目を担っているのではなくて?」
たじろぐ二人を見つめる。
そうなのだ。
二人はただのお友達ではない。
将来、リヒト様が国を、国王を支えるように二人もリヒト様を支える側近となるのだ。
「ただ上の者が言ったことに返事をするだけなら誰にでも出来ますわ。しかし、リヒト様が間違った道に進みそうになったのならば、諫めるのはあなた方にしか出来ないのです。それが、側近の役割ではないのかしら?」
自分の言葉が私の心にも突き刺さる。
「──あなた方は側近としても……お友達としても……情けないですわ」
情けなさに悔しくて悔しくて、握っていた手に力が入る。
「そして、わたくしも婚約者として……幼い頃からそばにいたのに、自分が情けないですわ」
悔しくて涙が零れそう。
二人から聞かされた内容からは、ソーニャ様がリヒト様に王位簒奪をそそのかしているようにしか聞こえないわ。
わたくしは、表面でものを見て。
お二人を応援しようなどと。
人のことを言えませんわ。
やるせない怒りで体が震え、頭の中にグルグルと怒りが駆け巡る。
「……ローズ嬢」
「……ローズ様」
二人の気遣うような声も耳に入らない。
「……そうはさせないわ」
「ローズ嬢?」
「ローズ様?」
勢いよく立ち上がり、リヒト様の側近としての仲間であるベン様、ノア様の瞳を力強く見る。
「こうなったら、愛する二人の仲を徹底的に邪魔して割り込んで、木っ端微塵に跡形も無く消してさしあげましょう!!」
「邪魔して割り込んで」
「木っ端微塵」
「ええ!リヒト様の目を覚ましてさしあげるのです!愛の力で!」
「「愛の力で」」
「ええ!もちろん、臣下の愛ですわよ!」
リヒト様、ソーニャ様、あなた方の思い通りになんてさせなくてよ!
きゃ!これこそ悪役よ!
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