第36話 「神様は見とるんじゃ!」ピストルが2回鳴った。
曲線100mが終わる。
目の前に広がる100mの一直線。・・・・果てに見えるゴールライン。
前に村木と鷹見の背中。ほぼ並んでもう1人、4位や。
「そこからだー!!」
部員の声が聞えた。注意点がないってことは、走りに問題はないってことや。
並んだひとりを抜く。3位。
あと50m。・・・少しづつ縮まってるような気がする・・・・
あと30m・・・・縮まらない。・・・・いつもの村木の背中。鷹見の背中。
あと50mからの中だるみ。・・・・・村木と鷹見の背中を見ていた。何も考えず、何も考えられずに見ていた・・・・
あと20m。
「ラストぉーー!!」
出水の太い声。よく通る太い声や。
出水の声で我に返った。
意志をもって村木の背中を、鷹見の背中を見る。
「ラスト!」
自分に命令。
足に力をこめる。渾身の力。文字通りのラストスパート。真剣にラストスパートを意識した。・・・・練習してきた。・・・・何度も、何度も、何十回、何百回・・・村木の背中を相手に練習してきた・・・・
スピードが乗るのが分かった。
村木に届く。・・・・・はじめて届いた。真剣勝負で初めて届いた。
抜く・・・・抜ける。これまで絶対に許さなかった村木。
初めて村木を抜き去った!
2位!!
あとは、鷹見だけ。
鷹見という意識はない。・・・・・「あと一人」の意識だけ。
抜きたい・・・・・抜いてやる。絶対抜いてやる!
・・・・これまで、これだけ意識をしながら・・・考えながら走ったことはない。
ラストスパート!!
・・・・これだけ意識して走ったことはない。
自分の足に命じる。
走れ!走れ!走れ!走れ!走れ!走れーーーーーーラストぉーーーー!!!!
誰かの絶叫が聞えた。・・・・何を言ってるかわからない。・・・・それでも、部員なのはわかる。誰かは分からなくても、同じ陸上部員の声はわかる。
あと5m。・・・・・鷹見に並んだ。限界がきている。
カタチにならない・・・・足が動かない・・・・もつれそうだ・・・・・思いっきり手を伸ばす・・・・倒れこむようにゴールへ・・・・・
力いっぱいに手を伸ばす!
瞬間、手にゴールの糸の感覚!!
止まりきれずに、20mくらいを駆け抜ける・・・・・・
荒い息、噴出す汗・・・・
やった・・・・・やった・・・・やったぁ・・・・・
勝ったぁ・・・・
・・・・・両膝に両手をついて身体を支えていた・・・・走り終わった後のいつもの格好。動けない。歩けない・・・・足元に汗が落ちる・・・・・先生のオニツカタイガーのスパイクに汗が落ちた。
審判員にゼッケンを確認してもらうために、ゴールラインへと戻る。・・・・戻んなきゃなんない・・・・でも、歩けない。・・・肩で呼吸する・・・動けない・・・・酸素が足らない・・・・肺が喘いでいる・・・
・・・やっとの思いで・・・・両脇に手をつけフラフラとゴールラインへ歩く・・・・前かがみのままや・・・・ゴールラインに近づいた・・・・・・
・・・・・何か空気がおかしかった。
異様なざわつきを感じた。
・・・・ゴール地点に競技委員たちが集まっている。
声が聞こえた。
「フライング・・・・・」
「ピストルの音が2回鳴った・・・・・」
・・・・選手たちの声も混ざっている・・・・・
ゼッケンを見せるために、上体を起こす・・・起こせない・・・・息が切れている。苦しい。・・・・両膝に手を置き、肩で息をする・・・・・
肩を掴まれた。
競技委員にむりやり上体を起こされた。
「はい」という審判員たちの了解の声で開放された。
再び、両手を膝において呼吸を整える。
・・・・しばらくして、落ち着いてきた・・・ようやく歩き出した。
ラストスパートの声をかけた出水が、荷物を持ってコース脇に立っていた。
手を差し出してきた。握手をかわす。
「すげーよ、カズ。ホントすげーよ、カズ、とうとうやったなぁ・・・・」
スポーツマンらしいキリッとした、彫の深い顔。良く通る太い声。
「ありがとう・・・」
まだ、息が上がっている。二人で、ボクたちの陸上部の待機場所に戻る。
右から左から・・・・あちらこちらから手が伸びてくる、握手、握手、握手・・・・
「みんな知ってんだぞ・・・・みんな、カズがどれだけ練習してたか・・・・みんな知ってんだぞ・・・・」
「やったな・・・カズ、やったな!」
同じ言葉が方々から飛んできた。
・・・・こんな部の雰囲気は初めてやった。
いつもは、明るい中にも、厳しさが・・・張り詰めた糸のような雰囲気があった。それが、和やかさを感じていた。家族のような暖かさ・・・・そんな感じやった。
出水と二人で座った。
「・・・・でもな・・・・・」
隣で出水が言った。
「でもな・・・・オレは時田先生が、すげーなって思う・・・・やっぱ、カズの素質を見抜いた時田先生ってすげーよ・・・・」
まわりの部員たちも、うんうんと頷いていた。
「ラジオ体操一発でスカウトしたんだぞ・・・・・すっげーよ・・・そのジャンプだけで、カズの才能見抜いたんだから・・・・やっぱ、時田先生すげーよ」
・・・・そうだよな・・・・時田先生に出会わなければ、こんなん・・・・できへんかった・・・・
「先生んとこ、行ってこい」
出水が言った。
時田先生は、大会中、競技委員の仕事をしていて、ボクたちと一緒にいることはなかった。
忙しい時田先生の邪魔をしたらアカン。
・・・・・だけど・・・・だからこそ、
「優勝した選手だけが時田先生のところへ報告にいく」
そんな決め事があった。
「時田先生のところへ行こう」
腰を上げた。
観客席を通って、時田先生のいる大会事務室へ向かう。
競技場の用具置き場の前。
ハードルを整理している2年生部員がいた。目が合った。
2年生が頭を下げた。・・・笑顔や。嬉しそうな笑顔を向けてくる。・・・・距離があるから言葉は交わせない。・・・・それでも、その顔に「おめでとうございます」の言葉が書いてある。
「ありがとう」
意味をこめて手を上げた。
・・・・こうして、選手のために雑務をこなす。これが、陸上部の伝統や。・・・・そして、それは、競技会に参加しているのと同じ意味をもつ。・・・・そう言った時田先生の言葉を実感していた。
大会事務室。
入って行った。
机が並んでいる。
競技委員が数人いる・・・・みんな慌ただしく動いている。
時田先生も忙しそうに動いていた。
ボクを見て、動きを止めた。
「優勝しました」
誇らしげに言った。
時田先生がうなずいた。
「100mは?」
「決勝4位でした」
ふんふんと、うなずいた。
・・・・・時田先生が笑顔になった。・・・・・そして言った。
「神様は、見とるんじゃ」
いつものようにぶっきらぼうやった。・・・・それでも満面の笑みで時田先生が言った。
「はい!」
嬉しかった。笑顔で返事した。
一礼。頭を下げた。
時田先生に声をかけられて陸上部に入った。・・・・ジャンプ力をかわれて・・・・でも、走り幅跳びじゃ、使いものにならへんかった。・・・・そして、走ってみれば、部の中で一番遅かった。
それでも、誰もバカにしたり、からかったりはしなかった。
練習はした。
一番最後にあがるのを日課にした。・・・・別に勝ちたいと思ったからやない、悔しいとも思わなかった。
自分への意地・・・・そう、それもある。でもそれだけやない・・・多分・・・それだけじゃ続かへん。
みんなが真剣に走っていた。ボクより速いヤツが・・・・ボクより才能のあるヤツが・・・それでも真剣に走っていた。
そんな陸上部が好きやった。そんなヤツらが大好きやった。
バトンを落としたボクを、かばうように走ってくれたヤツらが好きやった。
しつこく追いすがるボクを、それでも邪険にせず・・・練習に付き合ってくれるヤツらが好きやった。
大会の時に・・・・緊張感で押しつぶされるようになるボクを、それとなく気を使ってくれるヤツらが好きやった。
走るフォームをお互いチェックするヤツらが好きやった。
ボクを先輩と慕ってくれるヤツらが好きやった。
陸上部が大好きやった。
なにより・・・・・なにより、時田先生が大好きやった。
だから、必死に練習してこれたんや。
だから、逃げ出さずに続けられたんや。
「神様は、見とるんじゃ」
・・・・確かにそうかもしれない。
確かに、不思議な出来事やったんや。
ボクは予選順位最下位で決勝に残った。
鷹見、村木・・・・だけやない。
決勝に進出した、全ての選手がボクより速かった。
・・・・どう転んでも「優勝」の目なんかなかった。
なのに、奇跡が起きた。
いっこめの奇跡は・・・・
突然の雨が降った。
突然、空が真っ暗になって雨が降り出した。・・・・それも、バケツをひっくり返したような大雨やった。・・・・コースがぬかるんだ。
そこから、スパイクのピンを普通じゃ絶対に使わない15mmという長いピンに交換した。・・・・他の選手たちは、突然のスコールということで、ただ、あっけにとられただけでピンの交換をしなかった。
・・・・そして「極めつけ」の奇跡は・・・・
一部の選手には
「ピストルの音が2回鳴った」
らしい。
つまりは、フライングを意味する。
そのため、スタート直後に、スピードを落としたらしい。
・・・・ところが、他の選手は走り続けている。・・・・あれ?フライングじゃないのか・・・? そう思って走り直したってことやった。
・・・・そして、その「ピストルの音が2回鳴った」と聞こえた選手は・・・・何を隠そう、上位3名の選手やった。・・・・つまり、鷹見、村木、そしてもうひとり。
ボクを含めた、そのほかの選手には「ピストルの音は1回だけしか聞こえてない」
レース終了後にざわついた。
一部の競技委員たちにも
「ピストルの音が2回鳴った」
でも、確認すればいいだけのこと。
競技委員たちが、スターターに確認する。
・・・・もちろん、スターターは1回しか鳴らしていなかった。・・・・火薬の残量で確認もとれた。
こんなことがあるのか。
・・・・どう考えても、神様が、ボクを優勝させようとしたとしか考えられない。
そんな不思議な出来事やった。
「神様は、見とるんじゃ」
・・・・そうかもしれへん。
神様は見ていてくれた。・・・・・そうかもしれへん。
ボクは、練習はした。
本当に、死に物狂いで練習はした。
人生で、これ以上の努力をしたことはないってくらい努力をした。
・・・・だから、そのご褒美に、神様が優勝させてくれたのかもしれない。
・・・・でも・・・・神様が気づいてくれたのは・・・・・ボクのことを、神様に気づかせてくれたのは、大好きな陸上部のヤツらがいたからやと思う。
「みんな知ってんだぞ・・・・みんな、カズがどれだけ練習してたか・・・・みんな知ってんだぞ・・・・」
優勝直後の、みんなからの言葉。
みんなの、そんな思いが、神様に気づかせてくれたんやと思う。
・・・・そして、なにより、時田先生がいたからやと思う。
時田先生が陸上部に入れてくれて・・・・・ボクと向き合ってくれた。
何があっても、決してボクを見捨てなかった。
・・・・そんな地上の「大騒ぎ」が、空の上の神様に気づかせたんやないかと思う。
「どうか、この子供に、ご褒美をあげてください」
・・・・たぶん・・・・時田先生が、お願いしてくれたんやないかと思う。
だって・・・・
そうやないと・・・・
「神様は、見とるんじゃ」
先生から、そんな言葉は出ないんやないかと思う。
この台詞は、この結果が「神様の仕業や」と、先生も思ったって証拠やないかと思う。
時田先生に、優勝の報告をしたとき。
「頑張ったな」
「おめでとう」
やなかった。
「神様は、見とるんじゃ」
・・・・考えてみれば、おかしな台詞やと思う。
だけど、この台詞が、ボクの人生を決めた。一生を決めた。
人生は・・・・
とことん・・・・とことんまで努力すれば・・・・死ぬほど・・・・命を賭すほどに努力をすれば・・・・必ず神様は見てくれてる・・・・
必ず成功するってわけやない。
・・・・それでも、「神様は見てる」
それで充分や。
負けに不思議の負けなし。
勝ちに不思議の勝ちあり。
文字通り、それを体現した。・・・・今では、ボクの座右の銘や。
「人間の一生には、奇跡すら起こせる力がある」
そう、信じることができた。
これが、ボクの生き方を決めた出来事やった。
ボクの原点となった出来事やった。
・・・・もちろん、このあとも一筋縄ではいかへんけどな・笑。
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