第35話 「50m本気で走れ!」神経の糸が出る



スタートブロックを打ち付けると、選手はそれぞれスタート練習を行なう。

スタートブロックの感触を確かめ、ウォーミングアップも兼ねて、15mくらいをダッシュして戻る。

これを時間まで繰り返す。


・・・・すでに各選手がスタート練習を行っている。



・・・・・・緊張していた。

もう、緊張の極致や。


胃が収縮して吐き気がこみ上げる。


ましてや、これから、200mを全力で走るわけで、体力温存の意味でも、スタート練習なんて15mくらいしか走らない・・・・・いや、走れへん。



それでも落ち着いてきた。

鷹見の姿を見たことで・・・・鷹見に敵意を向けることで落ち着いてきた。



「絶対、お前なんかに負けたない」



不意に思い出した。

時田先生の言葉を思い出した。



「 いいか、緊張しているのは自分だけじゃない。


スタートに立つと、周りの全員が自分より速く見えるもんだ。


・・・・そんなときはな、スタートブロックを叩きつけたら50mくらい走れ。本気で走れ。


お前らを見とると、みんなフラフラと青い顔して・・・・15mくらい走っては戻っとるが・・・・本気でスタートして、50mくらい本気で走って来い。

今さら50mを3本や4本やっても、体力にはまったく影響せんわい。


それより、そこで、50m本気で走ってみろ。


みんな「なんじゃ~!?」って注目するわな?


お前らに他のヤツらが速く見えとるように、他のヤツらには、お前らが速いように見えとるんじゃ。

そこで、50mを本気で走ってみろ。お前が一番速いように見える。  」




・・・・・そうか・・・・

だったら、やってやる。


スタートブロックに足をかける。

手をつく。

腰を上げる。


GO!


弾かれたように走り出す!


ボクは、吐き気をおさえて50mを本気で走った。本気で走ってやった。


1本・・・・そして、2本。


・・・・思ったよりグランドコンディションは悪い、ピンの交換は大当たりやと確信した。・・・・・コース脇の出水を見る。頷いた。・・・・出水が頷き返した。


村木も50mを走っていた。

目があった。村木がニヤリと笑った。



・・・・さらに、先生の言葉を思い出す。



「 50mのスタートダッシュをしたら、ゆっくり戻ってこい。みんなに姿を誇示するようにだ。

これで・・・・もう、周りのヤツらは、お前が気になってしようがない。


・・・・スターターが準備をしても、台に乗っても慌てるな。・・・・ゆっくり・・・最後に位置につけ。わざと最後につけ。他のヤツらを待たすんじゃ。こうやってレースを支配していくんじゃ。 」




スターターが準備を始める。

選手、全員の動きが止まった。・・・・村木は走っていた。



ここで、わざとだ。3本目の50mダッシュを走る。



・・・・スターターが位置についた。



50m先で振り向く。

他の選手は全員位置についている。・・・・村木はスタートに戻るところや。



ボクは、ゆっくりとスタートラインへと戻って行った。コース上にいるのはボクだけや。・・・・狙った通りや。ちょうど、ボクと他の選手が対面するカタチや。



真黒なユニフォームを着たボクと、スタートに並んだ他の選手との対峙。



一人一人の顔を確認するようにゆっくりと戻った。・・・ここまできたら自棄や。・・・だったら徹底的に演じてやる。

・・・もともと目つきは悪い。その目つきの悪い真黒なユニフォームを着た選手に睨まれる。みんなが目を逸らす。



鷹見は目を逸らさない。目が合った。睨みつける。



「絶対、お前には負けたない」



村木が笑いを噛み殺したような顏をしている。



軽くなった。気持ちが軽くなった。

・・・・・もう、吐き気もない、身体は軽かった。


でも、緊張はしている。

ボクが戻るのを待って、スターターの合図が上がる。


「位置について!」


「お願いします!」


選手たちの声が響く。



「お願いします!!」



一呼吸ずらして、なおかつ、一番の大声で叫んでやった。

スタートブロックに足を乗せる。



・・・・・・時田先生が言っていた。


「 フライングは2回やれば失格じゃ。

・・・・つまり、一回はやってもかまわんのじゃ。

だったら、1回目はギリギリを真剣に狙え。ピストルが鳴ってからのスタートじゃないぞ。ピストルと同時じゃ。ピストルの音を聞くんじゃない、スターターの呼吸を読め。・・・・うまくいけばそれでよし。失敗しても、フライングよ、やり直しよ。それだけのことじゃ。


・・・・そして、もし、フライング、やり直しとなっても、なんにも気にするな。


スタートは極度の緊張を強いられる。・・・これが、フライング、やり直しとなれば、少なからず、緊張の糸が切れるもんじゃ。・・・・しかし、自分で狙っていくぶんにゃあ、緊張の糸が切れることはあるまい?

しかし、予期せず仕切り直しになった、他の選手はそうゆうわけにはいかん・・・・とすりゃあ、ここでも自分は有利なんだよ。 」




両手を地面につけた・・・・広さは肩幅から掌分だけ外へ・・・・得意のロケットスタートの姿勢。何回も何回も研究して行き着いたカタチや。


スタートの姿勢をとった。


身体から神経の糸が出ているような感覚やった。・・・・狙うはスターターの呼吸。・・・・スターターに神経の糸を絡める。


スターターのピストルが上がる。


「よーい!」


スターターの声。

腰を上げる。・・・・・角度、目線、ここまで何回も、何十回も、何百回も、何千回も練習してきた。

スタートだけは陸上部で1番だと言っていい。宮元にも、富岡にも負けることはない。村木とは互角の勝負やった。


頭の中で永遠の最小を測れる時計が動いている。

測るのはスターターの呼吸。・・・・スターターから発せられる微弱な波動。



号砲。



同時に飛び出した。ベストマッチ!スターターの時計と見事にシンクロしていた。

・・・・・2度目のピストルは・・・・・・鳴らない、フライングはない。最高の出来!



200m競技は、最初の100mは曲線コース、後半は100mの直線コースや。



曲線100mが終わる。


前に村木と鷹見の背中。ほぼ並んでもう1人、4位や。



目の前に広がる100mの一直線。・・・・果てに見えるゴールライン。



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