第33話 「神様からの伝言」ピンを交換する。



朝だ。天気予報は当たりや。快晴や。


緊張していた・・・・


さすがに、「大会」当日となれば緊張する。


普段は、寝起きがすこぶる悪い。今日は早朝にすっきりと起きていた。


緊張していた・・・・


朝ごはんは食べない。

小学校5年生・・・・両親が離婚して以来・・・・その少し前からか、食べなくなっていた。


インスタントコーヒーだけを飲んで終わりや。


テレビがついていた。

いつもどおりの朝の風景だ。



カッコ悪い学校ジャージの上下に着替える。


日曜日だというのに母さんにお弁当を作ってもらった。・・・・スーパーに勤める母さんも休みやない。


何も変わったことのない朝や。

今日が日曜日だというだけで、何も変わったことはない。


母さんは、いつもどおりの朝の支度風景や。


バッグの中には試合用のユニフォーム、スパイクが入っている。

・・・・大きな、黒のエナメルのアディダスバッグ。・・・・流行っていた。・・・高かった。母さんに買ってもらった。

弁当を入れて、アパートを出た。



小学校2年生から乗ってる自転車で、陸上競技場に向かう。


快晴や。


寒くもない。暑くもない。



陸上競技場。


各中学校が集まってきている。


陸上部全員で、ウォーミングアップを開始する。


ジョグから始まり・・・・1年生の掛け声に合わせて準備体操・・・・100mダッシュ・・・・150mダッシュ・・・・・


場所が、学校のグランドから競技場に変わっただけや、メニューは変わらない。


陸上競技場の方が走りやすい。



・・・・いつものように、村木の背中を追う・・・・150mを駆け抜ける・・・・・



・・・・思えば、体育の時間のラジオ体操から始まって陸上部に入った。


「走り幅跳び」の選手にしてもらって・・・・でも、ぜんぜんアカンかった・・・・それでも、陸上部が、陸上が好きに・・・・時田先生の陸上部が大好きになった。


リレーの選手にもしてもらって優勝も経験させてもらった。・・・・ボクは、バトンを落として、みんなの足を引っ張っただけやけど・・・・

あの時は、ホンマに、誰にも文句を言われなかった。

・・・・ありがたかったなぁ・・・・


短距離に転向していって、今では100m、200mでは、なんとか、予選を通過するところまでになってた。



泣いても笑っても、今日で、中学最後の大会になる。


緊張していた・・・・


これまでは、それこそ無我夢中で・・・何も分からずに参加して、しらないうちに終わっていた。

だけど、何回かの経験をつむことで、冷静にまわりを見れる自分がいた。・・・でも、冷静でいられるからこそ、考えてしまう・・・緊張していた。


経験といっても、回数の経験だけで・・・・速さって部分じゃあ、ボクが優勝といった目はまったくない。もちろん、そんなことはまったく考えてない。


・・・だから、ただ、緊張していた。・・・それだけや。



いつもの大会と同じや。

陸上競技場と、飛び込みプールとを繋ぐ通路に陣取り、後輩たちから差し入れられたマンガを読んで過ごす。

ボクたち選手は、こうして出番までをリラックスして過ごす。


プログラムの進行としては、午前中が各競技の予選。午後からが決勝になる。


100m、200m、それぞれに予選は通過した。決勝に進んだ。



みんなと一緒に、母さんが作ってくれた弁当を食べた。



午後、100mの決勝が始まる。


100mは、淡々と終わった。

もとより、中学最後の大会といったところで、そういった思い入れもない。また、欲もない。・・・・というより、欲をもてるほどの実力がなかった。


100mは決勝4位で終わる。・・・宮元が2位に入った。


・・・・・でも、惜しかったなぁ・・・・考えてみれば・・・・あと一人抜ければ、表彰台やったんや。



いよいよ、200mの決勝を迎える。


ボクの中学陸上の最後や。



・・・・空が暗くなってきた。

天気予報じゃ1日中「晴れ」やった。



決勝時間の1時間前。アップを開始する。

アップのメニューは時田先生から、事細かに指示がとんでいた。

時田先生は、その日の部員の競技スケジュール、体調・・・・すべてを考慮して、アップのメニューをつくっていた。


当然に村木も予選を通過していた。・・・・村木の予選通過順位は2位。

ボクは予選通過順位が8位やった。

陸上競技場は8コースや。

・・・・つまりは、最下位での予選通過や。


村木と一緒にアップを始める。


アップを終えた・・・・



雨が降ってきた。



突然の雨やった。かなり激しい。・・・すぐに土砂降りに。スコールのような・・・バケツをひっくり返したような大雨になった・・・・・


突然の大雨に、観客席・・・・屋根のない場所はてんやわんやの大騒ぎや。・・・・今日は、誰も降るとは思わなかったんやろう・・・・



観客席。屋根の下に避難した。


グランドでは、そのまま競技が行われている。


村木とボクはグランドの競技を観ていた。


陸上競技は天候に左右される。


風が強ければ「追風参考記録」といって、公式記録にされない場合もある。


・・・・雨の場合はどうなんやろうな・・・・


そんな、つまらないことを思った。



・・・・・雨が止んだ。

本当にスコール。通り雨のようやった。時間にすれば10分とかか・・・・でも、すごく激しい雨やった。


・・・・その激しい雨がウソのように止んでいた。



もう、あまり時間もない。


200mのスタート地点に向かう。

芝生がビチャビチャや・・・・・土の部分は泥濘んでる。

緑のMラインシューズに泥がついた。



・・・・出水が待っていた。


選手には、それぞれ部員が一人ついていた。

選手は、身体を冷やさないために、走る直前までウェアーを着ていたりする。それに、スタートブロックなんかの荷物もある。それを回収したり運んだりのために、部員がつけられていた。


ボクには、出水がついていた。

出水は自分の「走り幅跳び」の競技を終わっていた。予選通過。・・・通過した。それだけやったらしい。


「スパイク、貸せ」


言われるままにスパイク袋を渡した。


出水が座って「ピン」を交換しだした。・・・・観客席の一番下の段。


陸上のスパイクには、裏側に、クギのようなピンがついていて、交換できるようになっている。グランドコンディションによって長さを替える。


「15mmに替えるぞ・・・・

さっきグランド調べたが、思った以上にドロドロだ」


通常は9mm、長くても12mmしか使わない。


「ふつう15mmなんか使わないけどな・・・・これだと、カズの足だと流れる・・・15mmだ。

・・・・今日は晴れだったからな・・・・15mmを持ってきてるヤツはいないだろうな(笑)」


・・・確かに、ちょっと歩いただけで泥だらけになった。泥で滑るくらいになっていた。



ボクは「ピン」の交換を考えたことがなかった。


「ピン」の交換は、ぜんぶ、出水がやってくれていた。


出水の家は「お金持ち」や。でっかい建築会社の社長の息子や。

シューズも何足も使い分けていた。スパイクも・・・・「走る用」「走り幅跳び用」で使い分けていた。


出水は「陸上理論」に詳しかった。

時田先生の「陸上理論」・・・・その最も優秀な生徒は出水やった。


・・・・たぶん・・・・出水は・・・・出水は・・・出水なりに必死だったんやないかと思う。

出水は、ずっと「走り幅跳び」の選手やった。

でも、いつも予選通過が精一杯。


出水は背が低かった。・・・・・160cmにも満たない。・・・・ボクも165cmといった身長や。低い方や。

中学も3年生になれば170cmが普通になる。

そして、スポーツは、身長が高い方が何かと有利や。


陸上競技も同じや。


160cmと170cmじゃあ、走るのでも1歩のストライドが違う。

1歩のストライドが違えば、それに連動して、全てが違ってくる。


・・・・その、身長の低さ・・・ハンデを、少しでも補うのが「陸上理論」やった。・・・・時田先生自身が、それによって選手生活をおくってきたのは聞いたとおりや。


出水にとって、その「陸上理論」の延長線上に道具の使い方もあったんやないかと思う。


シューズ、スパイク・・・・道具一つ一つにさえ気を配ることが、出水の戦い方だったんやろう。



出水は、ボクにとって一番身近なコーチやった。


出水は、常にボクの走りを見ていてアドバイスをくれた。

スパイクの「ピン」を交換してくれた。

出水によって調整されたスパイクは、すぐにわかるほど走りやすくなった。



出水の横に座ってグランドを見ていた・・・・・いや、心ここにあらずや。


・・・・緊張していた。


とんでもなく緊張していた・・・・


出水が、さりげなく・・・緊張をほぐすように話し掛けてきた。

ボクはそれに相槌をうっていた。だけど、胃が収縮しているのがわかる。呼吸が浅くなっていくのがわかる。

それに気づかないように、出水はさりげなく・・・会話が途絶えないように話かけていた。


映画の話・・・・音楽の話・・・・


胃が、これ以上ないほど収縮していた。

胃が胃として・・・・・「ここに胃がある!!!」と、存在感を強烈にアピールしていた。



「逃げだしたい」



本気でそう思った。

呼吸が犬のように浅くなっていた。鼻だけが呼吸していた。肺に空気が回っていかない・・・・



陸上競技は個人競技や。・・・・でも、個人競技やない。


選手が競技で戦う。・・・・でも、選手だけが戦うんやない。


緊張をほぐすために・・・ボクたち選手は、待ち時間をマンガを読んだりして過ごす。・・・そのマンガを持ってくるのは1年生の役目や。


そして・・・・選手たちがマンガを読んでいたり、寝転がっていたり・・・・部として悪印象を与えかねない。・・・この悪印象を帳消しにするために選手以外の部員は大会運営の雑務をこなした。


・・・選手以外の部員たちは、雑務をこなすことで、選手を助けるという競技に参加してるんや。


決勝では、かならず部員達がコースの20mおきくらいに立っていた。走る選手に声をかけた。

「がんばれー!」・・・・声援やない。

選手の走る姿をみて気づくことを声にする。


「腰が低い!」

「足が流れてる!」


練習でさんざん注意していても、本番ではできなくなる。・・・・そして、短距離競技は、一瞬のミスが結果に直結する。100mは10秒で勝負が決まる競技や・・・・・だから、この声は大事なんや。


そして、ラスト10mでは、「ラストー!」の大声がかけられる。・・・・この仲間たちの声援がどれだけ心強いか。どれだけ自分に「活」が入るか・・・・


選手だけやなく、全ての部員が大会に参加していた。


それがボクたちの陸上部やった。


そして・・・・そういったことが、どれだけ大事かを、時田先生に教え込まれていた。



・・・・緊張していた。


・・・・逃げ出したい・・・・



時間がきた。


中学生、最後の200mのレースが始まる。


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