第32話 「大会前夜」先生の秘密。



明日は「市大会」や。


雨が降ったり止んだりやった。

身体を冷やしてもいけない。

軽めの基本練習・・・・身体を動かす程度の練習で終わった。




教室に陸上部全員が集められた。


・・・・ボクたち3年生にとっては、最後の大会や。


各種目で優勝すれば「県大会」に進める・・・・そこで優勝すれば、さらに「北陸三県大会」・・・でも、そこまでいく選手はおらんやろう。

もちろん、ボクには、「市大会」ですら優勝する目はない。・・・・そんなことを考えたこともない。



毎日毎日、村木の背中を追って走った。・・・・・最後まで・・・今日の今日まで追いつけなかった。

最後の方・・・ここんところは、いつも村木と並走して走れるようにはなった。

それでも、絶対に村木は追い越させることを許さなかった。


並んで・・・追い抜こうとすれば、アクセルを踏んで抜かせなかった。



練習中に「全速力」で走ることはない。


練習中は何かテーマをもって走ってるわけで、いたずらに全速力で走るってことはない。


いつも村木はテーマをもって90%で走っていた。

ボクは1年間のブランクを埋めるために、ひたすら100%で走った。


並走できてるのは、ボクの100%の速さと、村木の90%の速さが同じってだけや。


・・・・・同じ短距離選手の宮元にも勝てたことはない。

だから、ひっくりかえっても優勝とかって目はない。


表彰台に上ることもありえない。


・・・・だから、結果について考えたことはなかった。


「明日が中学生最後の大会」


・・・・それだけや。



陸上部に入ってから1年以上が経った。


今は・・・・毎日の生活・・・全てが陸上中心になっていた。

常に陸上のことを考えて生活していた。



登校、下校・・・・通学中・・・・

歩く時には、常にフォームに気をつけた。


歩くことは走ることのスローモーションや。

常に背筋を伸ばして歩いた。

足は・・・・爪先で蹴り、膝から前に送り出し・・・・踵から着地させる。・・・着地させる場所にすら気を配る。

両足の向きは進行方向に並行や。・・・・真っすぐ前に足を進める。ガニ股やウチ股に注意や。

とにかく、無駄のない歩き方を常に考えた。


信号で止まる。

信号機の呼吸を読む。

常に頭の中でストップウォッチが動いている。「青」になるのと同時に動き出す・・・・常に反射神経の練習や。




教室の前。

キャプテンの富岡が立っている。

明日の集合時間の確認、持ち物の分担なんかの確認をしていた。


競技場に持っていくものは多い。

スパイクとかは選手各自が持っていくけど、スタートブロックとかの備品は、選手じゃない部員たちが手分けして持っていく。



・・・・全ての伝達事項が確認された。



窓の外。雨が降っている。

細かい雨が降っている。



時田先生が、外を見ていた。

どこか遠くを見ている。



「明日は晴れるらしいが・・・・・

ワシは、雨が嫌いでな・・・・・」



ポツリと言った。



「ワシが生まれたんは、京都の山奥でな・・・・・」


京都の山奥は田舎や。・・・・京都と言えば「都」というイメージがあるけど、山の方は本当に田舎や。

医者すら満足にいない。そんな田舎・・・・山奥の村で生まれた。


一家で、和紙の工房をやっていた。

その材料を採るために、なおさらに山奥やったと言った。



・・・・・生まれた時から身体に障害があった。

股関節に障害があった。

左足を引きずるようにしか歩けなかった。



・・・・え・・・・?



教室・・・部員全員に、驚きの空気が走るのがわかった。



・・・・・だから・・・・物心ついた時には虐められていた。


「鬼ごっこ」

「かくれんぼ」

「缶けり」


・・・・全ての遊びで「オニ」にされたと笑った。



「かくれんぼはまだいい・・・・・隠れてる場所を探せばいいからな・・・・

・・・・しかし、鬼ごっこは、永遠に「オニ」じゃ・・・・終わらん。


缶ケリもなぁ・・・・・気づいて缶に戻ろうと思っても、こっちは走れん・・・・ダーーーーっと走ってこられて、缶を蹴られて・・・・また「オニ」じゃ・・・・・」



時田先生の顏に悲壮感はない。

笑ってる。

いつもの笑顔や。


陽に焼けた、彫の深い笑顔や。



・・・・そんな幼少期から、やがて小学校に上がる。


通学が始まる。

山道を歩いて小学校に通うようになる。

毎日毎日、他の生徒の3倍の時間がかかる。

険しい山道を、不自由な足で通学した。



小学校でも、当然に虐められた。

小学校になれば、さらに過酷な虐めが待っていた。



・・・・なにせ・・・なにを仕掛けても時田少年は、追いかけることができない。

他の子どもたちの歩く速さにもついていけない。


どれだけ・・・・何を言われても・・・・何をされても・・・・歩いて逃げる相手すら、捕まえることができない。


虐められ・・・・虐められ・・・・堪忍袋の緒が切れ、爆発しても、相手に掴みかかることすらできない。

目の前で、目前で・・・・手の届きそうな目前で、バカにされ、小突かれ・・・・それでも、掴みかかろうとすればヒョイと逃げられる。



・・・ボクは・・・・

瞬きすらできなかった。

初めて聞く話やった。


時田先生に、そんな過去があったなんて・・・・知らなかった・・・・・

先生の歩く姿に、過去の障害を感じたことはない・・・・歩く姿に・・・まったく不自然なものを感じたことがなかった・・・・


・・・・知らなかった。

気づかなかった・・・


そして、それは部員全員の思いやった。



「・・・・・一番、悔しかったんは雨の日じゃ・・・・


ウチは先祖代々の和紙工房じゃ。

それで、傘も番傘を使うとった・・・・番傘ってのは紙を張った傘でな・・・


もちろん、世間じゃ、みんなビニールとかの傘よ。


じゃが、和紙工房の家が、ビニール使ってどうする・・・祖父さんが言い張ってな・・・・

まぁ、貧乏じゃったからってのもある。・・・まだ、当時は傘ってのは高かったんじゃ。

番傘の材料、和紙ならいくらでもあるからな。


学校の帰り、傘さしてビッコひいて歩いていると・・・・・後ろから、ダァ~~~っと、同級生たちが走って追い抜いていくんじゃ・・・・・

そんで、追い抜きザマに、みんなが傘の先っちょで、ワシの傘を突っついていく。


・・・・そう、破けるんじゃ・・・・・ワシは走れんからな・・・絶対に追いつけんのじゃ・・・・・いっつも家に着く頃には、傘はホネだけよ・・・・・・ずぶ濡れじゃ・・・・ホネだけの傘を持って、ずぶ濡れで帰った・・・


・・・・それでも・・・いっつもオフクロが・・・・そのホネだけの傘に、また、紙を貼ってくれる・・・・・雨の日には持たせてくれるんじゃ・・・・でも、帰ってきたら、またホネだけよ」


時田先生が笑っている。

笑っている。


懐かしい・・・・懐かしい、楽しい思い出を話すように笑ってる。



「・・・・じゃから・・・・小さい頃からのワシの夢は・・・


走れる身体・・・・走れる足が欲しい じゃった。

野山を駆け巡りたい  じゃった・・・・」



時田先生が愉快そうに笑った。



・・・・アカン・・・・

涙が溜まってきた。

・・・・流れそうや・・・・落ちそうや。


それでも目を見開いて、先生の顏を見て話を聞いた。


なんでか・・・・なんでか、まっすぐ先生の顔を見て話を聞くべきやと思ったんや。



・・・・ボクも虐められていた。

「大阪弁」を笑われ・・・・どもるようになってしもうた。喋れなくなってしもうた。

「ウソつき」と虐められた。


・・・・悔しかった。

身体の中に「ヘドロ」が溜まっていった。


・・・・それでも・・・・それでも・・・・時田先生の虐めから比べればママゴトみたいな長閑なもんやった。


ボクの身体は十分に動いた。

走れた。

思う存分動き回れた。

ボクの足は、思う存分に走り回れた。


・・・・そうや。陸上部に助けられた。


時田先生に、陸上部に入れてもらえた。


時田先生に助けられたんや。



目を見開いているのはボクだけやない。

「陸上部」全員が、まっすぐ先生の顔を見ていた。

全員の背筋が伸びているのを感じた。



・・・・そんな・・・どん底にいた時田少年を救ったのは水泳やった。


水の中では、陸上よりも障害が軽減されたからや。

ひたすら水泳に打ち込んだ。

頭角をあらわしていった。

時田少年の水泳中学記録は・・・・京都府の記録は、長く破られなかったという。



御両親は、手術に一縷の望みをかけた。

ひたすら時田少年の足を治してくれる医師を、病院を探し回った。


何人もの医師をめぐり・・・・いくつもの大きな病院をめぐり・・・・・県を超え・・・・少しでも可能性があればと、医師から医師、病院から病院へと紹介を求めた・・・・・



・・・・そして・・・・・ついに・・・・ついに「治せる」という医師との出会いが訪れる。



股関節に手術を施される。

手術は成功。


時田少年は走り回れる生活を手に入れる。


夢を実現させた。


走れる身体。走れる足を手に入れた。


そこから、文字通り、走り回る生活へ・・・・・「陸上部」へと転向していった。・・・・それが、時田少年の、生まれてから、ずっとの夢やったからや。


それでも・・・・走り回る生活を手に入れたといっても、それは日常生活でのこと。陸上選手として、その身体が完璧に機能するわけやなかった。

他の陸上部員と同じだけの練習をすれば、すぐに身体が壊れた。

他の陸上部員と、同じ練習量をこなせる身体やなかった。足が壊れた。


・・・・だから、時田少年はその部分を陸上理論で補った。・・・そして、成績を残す選手生活を送っていった・・・・


その自分の経験を、子供たちに伝えようと・・・・子供たちの、何かの手助けになればと、教師への道に進んだんやという。



・・・・そうやったんか・・・

全部分かった。



時田先生は・・・・この陸上部は、とにかく走らせへんかった。



「意味のない努力をするな」


全ての練習には意味があった。

明確な意味があった。


とにかく、漫然と走ることを戒められた。



「身体は消耗品だ」



精神論的な・・・ただ懲罰的な練習は、絶対にさせられなかった。


他の中学陸上部から比べれば、明らかに練習量は少ないと思う。



常に、明確な練習。的確な練習がそこにあった。




時田先生が教壇に立ち、陸上部全員をしっかりと見据えた。



「3年生は、ほとんどが最後の大会じゃろう・・・・

走れるってことは・・・・走り回れる身体というのは幸せなことなんじゃ。

その幸せを噛みしめて走ってこい!」



「はい!」


全員が大きな返事を返した。




教師は、みんな同じような話をする。

みんな、もっともらしい顏をして、同じような話をする。

「例え方」は違っていても、みんな同じ趣旨のような話をする。・・・・方向性はみんな同じや。


「日本の教育」に沿って話すんや。・・・・みんな同じ方向を向くのは当然なんやろう。


「茶番劇」やと思う時がある。

「キレイ事」やと思う時がある。


・・・・・嘘臭く感じることがある。


・・・でも、・・・でも・・・・、時田先生は、時田少年は、水泳で障害を乗り越えて京都府記録を持つまでになっていた。・・・・そして、その後の陸上生活の過ごし方。

・・・・何より、今でも、教師として、自身の言葉に責任を持って行動されていた。



・・・・それは、ボクが一番よくわかっていた。


職員室での往復ビンタを忘れない。

・・・・そして、そのあとの職員室での出来事も。

絶対に忘れない。


そうじゃなくても、ふだんの先生を見ていればわかった。

感じた。


この大人は、この教師は信じられると、誰もが感じた。

ボクたちはアホやない。敏感に感じ取った。


だから「茶番劇」にならなかった。だからボクたちは聞くことが出来た。

時田先生の言葉には力があった、命があった。


こうやって皆を集めて話す時でも、誰に対してということじゃない・・・・話の内容も何に対してといったことやない。

・・・・でも、聞く者それぞれが、時田先生の話で何かをつかんで納得していった。解決していった。乗り越えていった。



吐いた言葉には魂が宿る。

吐いた言葉は実践する。

吐いた言葉には責任を持つ。



それが「陸上部」の、時田先生の教えやった。




出水と、富岡と一緒に正面玄関を出た。


・・・・雨は上がっていた。

晴れ間が出ている。

これからは晴れるらしい。


富岡は自転車通学や。


「じゃあな」


富岡が自転車置き場に向かって行った。


出水と校門を出た。


「明日な」


手を上げて、逆方向の出水と別れた。



空に晴れ間が出ていた。

灰色の雲が動いている。流れ去っていく。

その隙間から光の矢が降り注いでいた。


・・・・綺麗やなぁ・・・・


明日は、このまま晴れるらしい。


陸上競技の大会には、もってこいの天候や。

暑くもなく寒くもない。



・・・・なんか、・・・・・なんや、とてもスッキリした気分やった。


変な緊張感もない。

おかしな高揚感もない。


・・・・なんやろう、すごく清々しい気分やった。


ボクだけやない。

富岡も、出水も・・・・みんなが清々しい顏をしてた。




明日。中学生、最後の大会が始まる。




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