第28話 「愛の暴走」涙の理由。



走っていた。


風が吹く。

北陸の、冬の風が吹く陸上競技場。


ボクは走っていた。



退部を免れた。

冬休みの間、自主トレを怠らなかった。

本当なら、正月3ヵ日は休む・・・・陸上部は休みや。

だけど、こんな事情から、1日も休まず練習していた。



あらためて、自分が、どれだけ「陸上部」が好きだったのかを思い知った。



走ることが好きやった。


村木の背中を追っていれば、何もかも忘れられた。


ただ、夢中になって・・・・村木の背中を追うことだけを考えられた。・・・・頭の中に、他に何もなくなる。


虐めも・・・・家の貧しさも・・・・全てが消えた。


それが、ボクにとって、どれだけ大事なことかを思い知った。



・・・・・走りたい。


・・・・・走りたい。


・・・・・走りたい。



「謹慎処分」


学校の対応はわからない。

時田先生の真意はわからない・・・・


・・・・それでも、「陸上部」は取り上げられなかった。


それだけでいい。




冬休み最終日。

明日から新学期や。



ボクは、時田先生から呼び出された。



冬晴れ。

風もない。

学生服を着て学校に向かった。



学校に入る。

もう、部活も終わっている時間や。・・・・誰もいない。



職員室に入る・・・・広い職員室には時田先生しかいなかった。


座れと促された。

時田先生の隣の椅子に座った。



時田先生の表情が硬い。


しばらく宙に視線を泳がせた・・・・何かを考えてる。

意を決した。

ボクを見た。



「おまえ、タバコ吸っとらんかったんだなぁ・・・・」



はい。・・・・返事をした。



「ワシは・・・・おまえがタバコを吸ったと報告されたんでな・・・・

おまえがタバコを吸っとらんなら、あんなに殴る必要はなかった・・・・

・・・・スマン」



時田先生が頭を下げた。

ちゃんと頭を下げた。


生徒に対しての、軽く頭を下げるといった態やない。

座ったままやけど、ちゃんとした頭の下げ方やった。



「い、いえ・・・・吸ってない・・・・でも、疑われて当然やった・・・・ボクは、あいつら止めませんでした・・・・何より・・・陸上部の部室に連れて行ったのボクです・・・・

本当に申し訳なかったです。・・・・すいませんでした・・・・・殴られて当然です」



ボクに対して、陸上部が・・・・時田先生が与えてくれたことを考えたら、本心からボクは思った。

ホンマに、ホンマに申し訳ないことした・・・・本当にすいませんでした。



時田先生の表情は硬い。

・・・・すこし蒼い顔や。

時田先生の、こんな緊張したような顏を見たことはない。



硬い表情のまま言った。



「水上・・・・おまえ・・・・ワシを殴れ。

・・・・・おまえが、タバコを吸っとらんなら・・・・あそこまで殴るのは、あれは、いき過ぎじゃ。

・・・・だから、あの殴ったぶん、全部をワシに殴り返せ」


時田先生は、目を瞑って顔を突き出した。



・・・・ビックリした。

驚いた。



「い、いえ・・・・いいです」


・・・・そう応えるので、精一杯やった。



「遠慮することはない。・・・・ワシは、これからも、おまえと付き合っていかにゃあならん。・・・・体育教師としても、陸上部顧問としてもな。

・・・・だから、今回のことで、おまえとの間にしこりを残したくないんじゃ・・・・だから、殴れ」



さらに、顔を突き出してくる。・・・・さらに、目を瞑る。




驚いていた。


・・・・そして、・・・そして・・・・・泣けてきた。


時田先生に、職員室でぶん殴られた時には泣いた。


・・・・それでも・・・・その後、泣くことはなかった。


富岡が来て「謹慎処分」だと言われて・・・・陸上部をクビにはならないと知らされた時も泣きはしなかった。


ボクの中で涙は枯れ果てていた。


・・・・あの時・・・あの小学校5年生・・・・弟と別れた時で、ボクの涙は枯れ果てていた。


生半可な・・・多少の、歓びや、悲しみごときじゃ涙は流れない。


・・・・そのボクが泣きそうになっていた。・・・・また、泣きそうになっていた。

・・・・そして、泣いていた。


目の前に涙が溢れてくる。

零れそうになってる。



・・・・・驚いていた。


・・・こんな教師がおるんか・・・・こんな人間がおるんか・・・・


・・・・人間は・・・・人間は、間違いは認めたくないもんや。・・・・・まして、教師が生徒に対して間違いを認められるやろうか・・・・

確かに、タバコを吸ってないんなら、あれだけ殴るのは行き過ぎなのかもしれん・・・・


じっさい、時田先生はタバコを吸ったと誤解してたわけで・・・・・その分、時田先生としては殴りすぎってことなんやろう。


・・・・・でも・・・・ボクは殴られて当然やと思った・・・・ボクはタバコを吸ってないけど・・・・タバコを吸うためにと、部室へ連れて行ったのはボクや・・・・・むしろ、もっと殴られるべきやとすら思ったんや。



・・・・だから「殴りすぎ」って事は、黙ってたら誰にも分からんことや。



それでも・・・・もし・・・・もし・・・・そのことをボクに対して謝るんなら・・・・普通なら・・・・その誤解を招いた原因が「タバコを吸っている」と言い張った、音楽教師の責任やと・・・・・責任回避の言葉があってええはずや。

そやけど、この教師は、一切の言い訳をしなかった・・・・・・


「タバコを吸った」

そう報告を受けたと言うだけや・・・・・それが、あの音楽教師からやと、責任転換の言葉は一切言わなかった。


言い訳を一切せず、責任転換を一切せず、自分の非を真正面から認め・・・・殴りすぎた、そのぶん、ボクに殴り返せって言う。・・・・・そして、これからも付き合っていくためにそれが必要なんやと。



これほどの教師・・・・これほどの人間がこの世に存在するんか・・・・



・・・・ボクは、これまで・・・人間の汚さや、醜さや、そんなものばかり目にして育ってきた。


大人とは、弱くて・・・・身勝手で・・・・狡い生き物やった。



そして・・・・世の中全てはボクを無視して動いていた。


夜逃げ、転校・・・・・ぜんぶのことが、ボクを無視して進んでいった。


ボクは子供やった。・・・・まだ子供やった。だから大人のやることには、有無をいわずに服従するしかなかった。


今でもボクは14歳の子供や。・・・・・・そやけど、この教師は、この大人は、14歳の子供に対して、真正面から、自分の非を認め、謝罪をし、殴り返せとって言う。



涙が溜まってくる・・・・・・



「いえ、いいです・・・・」



「遠慮するな」



「いいです」



「ほんとに、いいのか?」



・・・・涙が流れた。



・・・・あの時・・・・あの時・・・・


職員室で往復ビンタを受けた、あの時。


ボクは泣いた。


時田先生から往復ビンタを受けてボクは泣いたんや・・・・



ささくれ立っていた。


心がハリネズミのようにささくれ立っていた。


音楽教師は、ボクがタバコを吸ってると決めつけてかかってきた。



「オマエがタバコを吸ってるのはわかっている。・・・・・仲間は誰だ!?」


一方的に責めかかってきた。


「吸ってない!」


どれだけ言い張っても聞き入れられない。



「だから!吸ってねーってんだろうが!このボケが!!」



ついに爆発した。

心がささくれ立った。


「触れれば切れる」


ハリネズミが学校の廊下を行く。


全ての生徒が道を開けた。



職員室で、時田先生にぶん殴られた。


・・・・・・痛かった・・・・でも・・・・スーーーーッと、心が静まっていくのを感じたんや。


・・・・そして、我に返って申し訳なさがこみ上げてきた・・・・



「陸上部」は・・・・

時田先生の陸上部は・・・・何かに追い詰められるように生きてきたボクにとって・・・・初めて居場所を与えてくれた。


幼い頃からの経験で・・・・ボクは、世間を・・・・物事を斜に構えて見る癖が染み付いてしまっていた。

そんなひねた子供に・・・初めて・・・人間らしい、暖かさや・・・プライドや、自信・・・数え上げればきりがないものを与えてくれた場所やった。



なんということをしてしまったんや・・・・・



往復ビンタが頬を打つ。右に、左に走る。



「貴様を陸上部に入れるに当たって、貴様のことを、先生方に聞いてまわった・・・・

みなさん、苦労してる子供だとおっしゃていた・・・・それが、まさか、こんなことになるとは思わなかったわ!」



涙が零れ落ちていた。

・・・・これまでのことを振り返っていた・・・・ラジオ体操・・・走り幅跳び・・・・100m、200m・・・・そして、リレーでバトンを落とした・・・・


・・・でも、・・・・でも・・・・

涙の理由はそれやなかったんや・・・・



時田先生は怒っていた。・・・・その怒りが尋常やないことは、その形相が物語ってた。


時田先生は生徒の中でも人気があった。・・・けど、恐れられてもいた。それは鋭い眼光と、身体中から発する迫力と威圧感からやった。


その眼光を鬼のようにした・・・・真っ赤な形相・・・・まさしく「赤鬼」が、そこにおった。これまでに見たことのない時田先生やった。


その顔での往復ビンタや・・・・

派手な音が響いた。


職員室の教師たちも、あまりの迫力に止めに入ることすらできずに固まるだけやった。


開け放たれた扉からは、行き交う生徒たちが、驚いた顏を向け、足早に去った・・・・


いくらなんでも、やりすぎや。誰もが思う・・・・そんな、一方的な体罰がそこにあった・・・



・・・・そやけど・・・・そやけど・・・痛くない・・・・痛くなかったんや・・・・



傍目には、ものすごい往復ビンタに見えてるはずや。


じじつ・・・・平手が振り上げられ、頬に当たるまでの風圧たるや、ものすごい勢いやった・・・・・

そやけど、・・・・・そやけど・・・・その平手が、頬を当たる瞬間、その刹那、急激にブレーキをかけて頬を打ってたんや。


・・・・だから・・・傍目には・・・・派手に・・・・そして、じっさい、頬を打つ音は派手な音を出していた・・・・・でも、見た目ほどの痛さはまったくなかったんや。



時田先生の怒りは・・・・その「気」が・・・・ボクの身体を突き刺すほどに激しかった。陸上部員として、時田先生と接する機会が多いがゆえに、よけいにそれが分かる。


・・・・だから・・・・・なおさら・・・・・それほどまでに怒りながら・・・・それでも、頬を打つ瞬間に力を抜く、その時田先生の気持ちを思うと、涙が溢れた。



涙が止まらない・・・・



もっと、ぶん殴ってええんです・・・・・・本気で殴ってええんです・・・・・正直にそう思った。



ホンマに・・・・心底、・・・・ホンマに、そう思ったんや。



・・・・案の定やったんや。


あの日、家に帰っても、頬は、見事なほど腫れてなかったんや。

赤くなってただけや。

全くといっていいほど腫れてなかったんや。




「ええんです。先生が力抜いてたのわかってた」


ボクは、少し笑って言った。

涙を拭いた。



「そうか・・・・わかってたか・・・・」


時田先生も小さく笑った。・・・・少し照れた顔や。

・・・・また、視線を宙に向けた。



「あの際、ああするしかなかったんじゃ・・・・・先生方がみんな見てるところで、おまえを殴るしかなかった・・・・

事がことだけに・・・・処分は、ワシの手を通り越してしまう可能性があった。

一気に学校全体の問題になる可能性があった。


だから、ワシは・・・・先生方、みんなの見てる前で、おまえを殴ることで、おまえに対しての責任は全てワシがとる・・・・おまえの処分はワシが決めるんじゃ・・・・そう、意思表示せねばならん・・・・そう、思うたんじゃ・・・・」



・・・・・そうやったんか・・・・・



全てがわかった・・・・・・


なぜ、職員室の入口で殴られたのか・・・・なぜ、あれほど派手に殴られたのか・・・・にもかかわらず、なぜ、力を抜いて殴られたのか・・・


全ては、演技やったんや・・・・いや、時田先生は、真剣に怒ってたはずや。

心血そそいで築き上げてきた陸上部に泥を塗られた。・・・・しかも、それが、自分が陸上部へと連れてきた生徒やった。・・・・・諸先輩方への申し訳なさ・・・・・自分に対しての情けなさ・・・・あの、鬼の形相に嘘はなかったと思う。


・・・・でも、・・・・それでも・・・・その時でも、時田先生はボクを見捨てへんかった。


諸先輩への申し訳のなさ・・・・自分に対しての情けなさ・・・・それでも、目の前の生徒に対して、自分が何をなすべきか、それを考える・・・・



・・・・・こんな、教師がおるんか、こんな大人がおるんか・・・・



普通やったら、処分は上に任せるはずや。・・・・・逆に、上に任せて、学校全体の問題としてしまうことで、自分の責任を回避する。

あとは、いかに、陸上部や、自分が陸上部へ入部させた生徒やという事実を逸らしていくか・・・・・諸先輩への思い、陸上部への思いがあればあるほど・・・・・責任回避するべきやろう。


ワシは悪くない。陸上部は悪くない。


・・・・そう、責任回避をするはずや・・・・


そやけど、この教師は、積極的に泥にまみれようとした。・・・・・この大人は、ボクのために、泥をかぶる覚悟をしていた。


・・・・派手にボクをぶん殴り、全ての責任を取ろうとした。

他の教師に手出しが出来ないほどに殴りつけた。



・・・そして・・・・人間の心理は不思議や。


例え「悪者」であれ、必要以上に痛めつけられれば、人間は、痛めつけれれる「悪者」に味方したくなる。「悪者」ですら、可哀そうだと同情を感じてしまう。


時田先生は、必要以上に、ボクをぶん殴ることで、自分が悪者にさえなろうとしたんや。



・・・・・そうまでしてボクを守ろうとした。



全てがわかった。


何より・・・・一番分かったのは、時田先生の愛情やった。




新学期が始まった。


放課後。


陸上部。グランド。



ボクは、いつものように走っていた。


村木の後を力一杯追う。


汗にまみれ、埃にまみれ村木の背中を追う。



ボクは、翌日・・・・新学期初日から陸上部に復帰していた。


何ひとつ変わったことはなかった。



山川はテニス部を退部になっていた。

朝倉は卓球部を退部になっていた。




音楽教師達は、時田先生の対応に不満なようやった。




・・・・時田先生がボクに言った。



「おまえはタバコを吸っとらん。

その事実だけじゃ。誰が何を言おうが、釈明も弁解もする必要はない」



長閑な冬の陽の光。



出水が笑っている。

富岡が笑っている。

村木が笑っている。


誰も、ボクが謹慎処分になってたなんて知らんみたいや。





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