第27話 「ヤクザになれなかった」夜逃げ。
小学校6年生。夏。
密度の濃い、夏の空気。
・・・・降ってくるのかもしれへん。
お祭りに来ていた。
お囃子の音が聞こえる。
売り子たちの威勢のいい声。
ボクは男のすぐ後ろを歩いていた。・・・・母さんと弟ははいない。
「男」とボクだけやった。
行く先々で、出店から人が飛び出して男に挨拶をしていた。
ヤクザ、独特の空気の挨拶・・・・・中にはボクを知っている人もいて、ボクにも声がかけられた。
「こんにちは!」
ボクも挨拶を返す。
一回りして、テーブルのあるところで座った。
「食べや」
男が関東煮をボクの前に差し出した。
「いただきます!」
ボクは箸を持って、手を合わせて言った。
「おう」
男はぶっきらぼうに答えて、ビールを飲んだ。
ボクは・・・・男にどこかへ連れて行ってもらうのが嫌いやなかった。・・・・いや、むしろ楽しみになってた・・・
母さんの離婚以来・・・ボクらは貧しかった。
食べたいものは食べられない。
欲しいものが買えない・・・・
「金が欲しい」と思った。
大それたことを考えたわけやない。「好きなものを好きなだけ食べたい」それだけやった。
かつ丼を・・・焼肉を腹いっぱい食べたかった。
・・・・だから・・・・男が連れて行ってくれる、寿司や、てんぷらや、焼肉がボクにとっては楽しみやった。
雨が降っていた。
夏のスコールのような雨や。
空気が重かった。・・・・やっぱり降ってきた。
ボクと男は、白いベンツで帰路についていた。
ワイパーが、雨を弾く。
男は自分がヤクザだということを隠さなかった。
男に連れられ、イカツイおじさんたちのいる事務所にも入って行ったこともある。
「暴力団は社会悪だ!社会の害だ!社会にとって不必要な存在だ!」
・・・・・その声に、山口組・三代目の田岡組長が答えている。
・・・・・・確かに、いらんもんかもしれん・・・・しかし、家の中に「ゴミ箱」は必要ですわな・・・・
・・・・家の中だけやない。・・・・街の中にも「ゴミ箱」は必要や。
「ゴミ箱」がなかったら、街中「ゴミ」だらけになりまっせ・・・
ワシらは、「ゴミ箱」や。
社会から不要の、「ゴミ」をひとつに集めて管理するのが、ワシらの組織や。
社会から「ゴミ箱」が、なくなったら・・・・街中に「ゴミ」がウジャウジャ湧きまっせ。
・・・・それでも、よろしいか?
「男」は、ベンツを運転しながら、そんな話をしてくれた。
子供心に、この「男」が、田岡三代目に惚れ込んでるのはわかった。
正しいのか、間違っているのかはわからない。
・・・・それでも・・・何か、男に「気概」のようなものを感じた。
途中、車が混んできた・・・・・どうやら数キロ先で検問をやってるらしい・・・・・
男はユーターンをするとか、少し休んでいこうとかはしなかった。
祭りの席上で男は酒を飲んでいた。捕まるのは当然の状況や。
「だいじょうぶかなぁ・・・・」
助手席で、不安に思った。
別れた父さんがトラックの長距離運転手やった。何度も仕事について行ったことがある。・・・だから、検問がどういうふうに行なわれて・・・・そして「飲酒運転」とわかったときの警官の対応、態度をボクはよく知っていた。
ベンツはすでに検問だと分かる列に並んでいる。・・・・もう、逃げることはできへん。
男は平然としている。
検問の赤い文字なんぞ目に入ってないようやった・・・・・・
「大丈夫かなぁ・・・・」
「男」は黙って煙草を吸っている。
・・・・父さんは、酒の好きな人やった。
離婚の原因も「酒」やった。
父さんと旅をしてた時・・・・検問にあったことがある。
いちど、父さんが、昼にビールを飲んだ時に、検問に当たった時がある。
父さんは脇道に逸れて・・・・トラックの停められる場所を探して、時間をやりすごした。・・・・そのあと、その遅れを取り戻すために、父さんはトラックを飛ばした。
目の前で、父さんと同じ大型トラックの運転手が、飲酒運転で引きずり出されるのを見たこともある。
国家権力をカサにきた暴力を、何度も目にしたことがある。
・・・・また、父さんは、酒が入ってないときでも、警官の尊大な態度に、必要以上にへりくだっていた。
子供心に「嫌なものを見た」・・・・そんな気持ちになった。
でも、絶対的な権力・・・・国家権力をもっている警察に逆らえるはずもない。
何もなくても、痛くもない腹を探られるのにも怖気づく・・・・へりくだった態度をとるのは当たり前やろう・・・・
それが普通の人間やろう。
前の車が警官たちから解放されて、男のベンツの順番が来た。
雨ガッパを着て、コンコンと窓を叩く警官。
運転席の窓が下がった・・・・
「はい、免許証見せて」
警官が、決まりきった口上を述べた。
・・・・若いとはいえ威丈高な・・・・国家権力をカサにきたぞんざいな態度やった。
その時やった。
男は、いかにもヤクザといった口調で・・・・・そして、いかにも相手を小バカにした態度、口調で吐き棄てた。
男は、堂々と、自分の所属団体と名前を告げた。
ボクのまったく知らない顏。
「男」が牙を剥いた瞬間やった。
その瞬間、信じられないことが起きた。
「し、失礼しました!」
若い警官が敬礼していた。
今までの尊大な、威丈高な態度が消え失せている。
・・・・まるで、上官に対しての、・・・・警視総監に対しての、最敬礼の態度がそこにあった。
何の咎めもなく、ベンツは検問を通過した。
す、すごい・・・・・
子供心に思った。
ヤクザと警察の癒着の問題は言われていた。・・・・それでも、頂上作戦だの、ヤクザと警察の激しい戦いが行なわれている最中や。
・・・・それがもとでの「大阪戦争」やっていっていい。
・・・・・でも・・・・結局、戦いは下端同士の戦いであって、上は上で繋がってんのか・・・・・
これが力というものなんか・・・・地位というものなんか・・・・これが権力というものなんか・・・・・
男は、ボクを可愛がってくれた。・・・・どこへ行くにもボクをつれて・・・・そして、自分の息子だと紹介していた。
世間からは恐れられているヤクザは、ボクには優しかった。
そして、その優しさは、今までにボクが経験したことのない「守ってくれる」と実感する優しさやった。
本物の男の優しさやった。
命をかけた男の優しさやった。
喘息の発作の時に大学病院に連れて行ってくれた・・・・
強さに裏打ちされた優しさ、揺りかごに包まれたような心地よさをボクは感じていた。
ヤクザとはいえ、一見にはまったくそうは見えなかった。・・・・普通の、どこにでもいる、まったく普通の・・・・・むしろ、有能なビジネスマンにしか見えなかった。
・・・・そして「腰の低い」・・・・柔らかい物腰の男やった。
・・・・もっとも、アパートに出入りする・・・そして、男に頭を下げる連中には「いかにも」といった連中が多かったけど・・・・
そうや・・・・ヤクザとはいえ、一流の人間には風格があった。
ボクの家は・・・・父方も、母方も躾に厳しい人たちやった。そのため母さんからの躾も厳しかった。
・・・・また、両親の離婚後は親戚の家での居候生活もあった・・・・常に年の離れた弟の面倒をみなければなんない。・・・・だから・・・・ボクは、礼儀正しい、大人に好かれる子供になっていた。
そんな部分が・・・・ある意味で礼儀作法の厳しいヤクザ社会の男にしてみれば、なおさら可愛かったのかもしれない。
男は、正式にボクを養子にすると母さんに表明しだした。
・・・・ボクは・・・・
ボクは、それでもいいかと思っていた。
「金が欲しかった」
「力が欲しかった」
・・・・・これまでの世間の仕打ちに対してザマーミロ!と言える力がほしかった。
・・・・でも、現実は、そう簡単にいきそうもない。・・・・勉強では「落ちこぼれ」になりつつあった。成績が、離婚前から比べられないほどに落ちていた。
はじめて、勉強がわからないといった状態になってきていた。
・・・・・家庭環境を考えれば、大学進学とはいかへんやろう。
学歴至上主義の、この世の中で・・・・いい高校、いい大学、いい会社というのが成功方程式や。
・・・・でも、どうやら、自分には、その道は閉ざされてしまたっと感じていた。
・・・・だったら、ヤクザという選択肢も悪くない。・・・・・むしろ、そのほうがボクらしいのかもしれへん。・・・・そう考えていた。
・・・・でも、母さんは違った。
・・・・当たり前やろう。
どこの世界に、息子がヤクザになるのを喜ぶ母親がいるんや。
そして、それだけやない・・・・アパートには、日本刀だの、散弾銃だのが置かれている。
・・・・テレビでも、ヤクザの抗争劇がニュースを賑わせている。
毎日、毎日・・・・「大阪戦争」で、巻き添えで、一般市民が犠牲になっていた。
毎日、毎日、毎日、命が失われていた。
毎日、毎日、命の危険が実感できた。
息子がヤクザになる。
そんな不安に、母さんは耐えられへんかったんやろう・・・・
ボクたち母子は逃げた。
逃げた先が、この北陸の田舎町やった。
母さんにとって縁も所縁もない・・・・男が探したところで、絶対にわからない・・・・それが、この町に決めた理由やった。
1年目・・・去年・・・・母子でビクビクしながら暮らした・・・・
男が追いかけてくるんやないか・・・・・
母さんはビクビクしながら暮らしてた・・・・
ボクたちにも、家から出ることを禁じた。
どこで、見つかるかわからへんからや・・・・
・・・・いや・・・・ボクは、ビクビクしてへんかった。
「男」は、追いかけては来ない。
「男」は、逃げた女を追いかけたりはしない。
そういう男だと思っていた。
・・・・良かったのか、悪かったのかはわからない。
こうして、ボクはヤクザになり損ねた。
「成り上がり」損ねた。
大人たちの勝手を恨んだ。
・・・・真黒な「ヘドロ」が増殖していった。
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