第25話 「観覧車で別れた」大阪。



冬休み。

・・・・・もうすぐ、お正月や。



走っていた。


陸上部は謹慎処分となった。


ボクは走っていた。


市営陸上競技場。

・・・・そう、大会が行われる陸上競技場や。



市営陸上競技場は一般に開放されている。出入りは自由や。


高校駅伝の常連校、県下最強の工業高校陸上部は、ここをホームグランドにしている。

他にも、いくつかの高校陸上部が、ここで練習している。


陸上競技場だけやなく、野球場、テニス場、体育館、プール・・・・いくつもの運動施設が隣接していた。全体で「スポーツ施設の森」ってなってるような場所や。




枯葉が舞う。

冬の乾いた風が吹く中、ボクは走っていた。


練習時間は午後からにしていた。

午前中は、高校の陸上部が多いからや。


競技場を好きに使いたいから、毎日午後から走った。


練習メニューは、身体に染みこんでる。


アップを開始・・・・柔軟体操・・・・そしてアップの100m、アップの150m・・・・


陸上競技場は1周が400mや。


学校では、最長150mしか走れない。


メインメニューとして、毎日200mを15本走ることにした。



ひとりでゴールラインを駆け抜ける。



・・・・はぁはぁはぁはぁ・・・・・・


両手を膝に当てて上体を支えた。



空に、ジャンボジェットが飛んでいた。


・・・・思わず見上げた。


悠々と・・・ジャンボの名の通り、大きなクジラのように飛んでいた。



・・・・あれに乗ったら、大阪に帰れるんかなぁ・・・・


いつだって、そう思いながら見上げていた。




大阪。


ボクが小学校5年生、弟が3才の時に両親は離婚した。


原因は、父さんの暴力やった・・・・酒やった。

酒乱ってやつなんやろう。

酔うと訳がわからなくなる。


度重なる母さんへの暴力・・・・ついには、ボクたち子供にすら手をあげるようになってしまった。

・・・・そして、仕事すら上手くいかず・・・・けっきょく離婚ってことになった。


母さんとボク、そして弟・・・家を出て、2間のアパートを借りて3人の生活が始まった。


母さんは知り合いの化粧品店に弟を連れて勤めに出た。


でも、3歳の弟が、店でおとなしくしていることができるはずもない。早々に、弟を連れての勤めは無理ってなった。

だからといって、越したばかりの地域で、幼稚園とか預かってくれるところもない。


弟は家で留守番ってことになった。


朝、母さんが家を出るときに外から鍵をかけ・・・・ボクが学校から帰ってくるまで1人で待つ。


・・・・もし、なんか事故とかでも起こったらどうすんのかって思うけど、他にどうすることも出来へんかった・・・・

ボクは学校が終わると、寄り道もせず、友達と遊ぶこともなくまっすぐ家に帰った。

もっとも、転校したばっかりの小学校に友達もおらんかったけど・・・・



・・・・弟が待っている・・・・家で、ひとりで、3歳の弟が待ってる。



学校にいても弟のことが気になった。

給食の時間は・・・・弟が、どうしてるか気になった。


・・・・誰もいない部屋・・・・お弁当箱・・・・3匹の小ブタのフォーク・・・・

昼は、母さんがお弁当を作っていった。

弟がひとりで、お弁当を食べてる姿が浮かぶ・・・


・・・・散らかったブロック・・・・画用紙・・・クレヨン・・・



学校が終われば、逃げるように帰った。・・・馴染めない学校にたくもなかった・・・

・・・・早よ帰らなアカン・・・・弟が待っとる・・・ほやから、早う・・・・


そこから、弟とふたりで過ごした。


ふたりで公園に行って・・・・ふたりでテレビを観て、母さんの帰りを待った。


・・・だから、ボクには友達と遊ぶ時間も、大好きなプラモデルを作る時間もなかった・・・・

宿題すらする時間がなかった・・・



そんな生活で子供たちを不憫に思った大人たちは・・・・母さんと叔母さん・・・・母さんの妹との間で、ある話が持ち上がっていた・・・・・




細かい雨が降っていた・・・・


・・・・夜になっていた。

アパートの部屋の中。・・・湿気・・・息がつまる空気やった。


弟は二段ベッドの下の段・・・弟の寝床で眠っていた。


叔母さんがいた。


母は俯いていた。


そして、ボクは泣いていた・・・・


叔母さんの嫁ぎ先は、老舗料亭やった。

結婚して6年・・・未だに子供ができなかった。

・・・・でも、子供がないということは、嫁ぎ先の老舗料亭・・・代々続く老舗にとっては大問題やった。



・・・家が途絶えてしまう・・・・・



・・・・だから、弟が叔母さんの家へと養子に出されることが決まった。・・・決まっていた。・・・今、知らされた。



「カァくんも大変やろ?毎日毎日、学校からまっすぐ帰って弟の面倒みて・・・」


叔母さんが言った。


・・・・そうか・・・・そうかもな・・・確かに大変や・・・毎日毎日、学校終わったら真っすぐ家帰って・・・


・・・・弟がおらんようになったら大好きなプラモデルを作る時間も、宿題をする時間も、友達と遊ぶ時間もできるようになるんやなぁ・・・


そうかもな・・・そのほうがええんかもな・・・


弟も、いつまでも、ひとりで家でお留守番させとくわけにもいかんよな・・・


叔母さんの家は老舗料亭や・・・弟は、そこのボンになるんや。・・・未来の老舗料亭の当主や。


こんな、廃墟みたいな家で、毎日、毎日、ひとりでお留守番して・・・ボクを待って・・・このあと、どうすんねん・・・


・・・・このあとどうするんや・・・・?


母さんひとりで、ボクらふたりの子供、めんどーみていくんか・・・・それは、難しいやろな・・・

弟の将来は・・・弟の未来は・・・叔母さんの家に行った方がええんちゃうか・・・

絶対そうや・・・そのほうが、弟にとって、絶対ええねん・・・わかってる・・・そのほうがええねん・・・そのほうがええ・・・


・・・・そんでもな・・・・そんでも・・・



「離れて暮らしても兄弟であることに変わりはないんやで」


叔母さんが言う。



・・・・・ほんでも、そんな言葉、慰めにもならへんわ!



ボクは泣いていた。

涙が、これでもかと、こんなにも泣けるもんなんかと涙が零れた・・・・・

人はこんなにも泣けるもんなんか・・・・人間には何リットルの涙があるねん。拭いても拭いても涙が流れた。



どれだけ、どれだけ泣いたら止まるんじゃ・・・・アホたれ。



・・・・弟は眠っていた。・・・弟は何も知らずに眠っていた。

二段ベッドの下の段。タオルケットを掛けられて、両手を握って眠っていた。

枕元に汚い、汚れた小さなタオルがあった。・・・・薄い水色の。

弟はこれがないと眠れない。グズる。

なんてことはない薄い水色のタオル・・・無地で・・・それでも生まれてから、ずっと弟の傍にあった。

今では、水色なのか何なのか・・・元の色すらわからへん。

毛羽立ち、破れ・・・それでも、そのタオルを触らなければ弟は眠られへん・・・



よく眠っている・・・

・・・遊び疲れたかなぁ・・・・今日も、砂場で、いっぱい遊んだもんなぁ・・・・


泣き声が、これでもかと口をついた。

しゃくりあげる嗚咽をガマンすることすらできずに泣いた。


間違いなく、生きてて一番泣いた。

いつまでも、いつまでも泣いた。泣き続けた。


机の脇に、少年ジャンプが転がっていた。

・・・・もう、少年ジャンプなんか読みたない・・・・なんにも面白ない・・・ぜんぜん笑われへん・・・


もう、何があっても笑えへんかった・・・・もう、泣くこともない。感動するなんてあるはずもない。


どれだけ泣いても涙は止まらへんかった。



窓に細かい雨筋が流れている・・・・


・・・・畳の上。涙の染みができていた・・・・




宝塚遊園地に、ボクと弟、そして叔母さんの3人で来ていた。


家族で遊びに行くといえばここやった。

特に、父さんの羽振りの良かった時には、月に1度は連れてきてもらった。

トラック運転手やった父さんは、ボクが小学校3年生の時に独立していた。

家の車がブルーバードから、高級車のクラウンへと変わっていった。

家族みんなで遊んで・・・そして、夜には鱧を食べる・・・寿司、冬ならフグ。

それが幸せやった・・・・



弟と手を繋いで歩く。

弟はまだ小さくてほとんどの乗り物に乗れない。


売店で、叔母さんに仮面ライダーの人形を買ってもらった。同じものをボクと弟に。

キーホルダーになっていて10cmくらい。ゴムでできていて、中には針金の芯が入っている。

自由に動いて、好きなポーズをつくることができた。



メリーゴーランドに弟と二人で乗っていた。・・・身長制限に弟はギリギリセーフやった。

隣で弟がボクにしがみつく。

もう片方の手に仮面ライダーを握りしめていた。

ボクは遠心力で弟が転ばないように抱きしめた。



お昼ご飯。

ボクたちは屋外のテーブル席についた。

テーブルには売店で買った、たこ焼きやお好み焼きが並んでいる。

ボクは食べながら弟を見ていた。

弟が黙々と食べている。

叔母さんはあまり喋らなかった。

ボクも喋らへんかった。



弟と手を繋いで、ふたりで乗れるものには全部乗っていく・・・叔母さんが一緒に乗ることはなかった。


天気が良かった。秋晴れ。・・・動けば汗ばむ・・・・遊園地で遊ぶには一番の天気やった。

売店でアイスクリームを買ってもらった。


観覧車乗り場に並ぶ。

手を繋いでふたりで乗る。


観覧車が上っていく・・・・目の前がどんどん広がっていく・・・

ボクはアイスクリームを頬張りながら外を見ていた。


「高っかいなぁ・・・・」


弟が隣で・・・ひとりで座らせるのは危ないから隣や・・・・外の景色を見ることなく両手でアイスクリームと格闘していた。


食べ終わったボクは弟を見ていた。


狭いゴンドラでふたりっきりや。

ふたりっきりでいた。・・・・誰も邪魔しない。ふたりっきりや。


てっぺんに届いた・・・・・前にも後ろにも他のゴンドラはない。広い空の中・・・秋晴れ、雲一つないすーっとした蒼空・・・・真蒼や・・・・そこで、ふたりっきり・・・・ふたりっきりや。



ボクと弟はふたりっきりの兄弟や。



観覧車が下りに差しかかる・・・・ゆっくりと、ゆっくりと降りていく・・・・

不意に、弟が口を動かしながら残りのアイスを差し出した。


「ごっちゃまか?」


頷く弟。口の周りがベタベタや。

アイスを受け取り、クリームを一気に食べた。コーンを咥えてポケットからハンカチを取り出した。

弟の口のまわりを拭く。


8歳違いやった。

兄弟ゲンカになるような年齢差やなかった。


両親の離婚以来、学校が終われば、まっすぐに家に帰って弟の面倒を見るのがボクの毎日やった。


学校に残って野球をすることもない。友達と遊ぶこともない。・・・転校した学校に友達もおらん・・・

真っすぐに家に帰って弟の面倒をみた。

弟は、たったひとりで、昼は、母さんの作った弁当を、まだ、箸さえ満足に使えない手で・・・3匹の子ブタのフォークで・・・ひとりで食べていた。・・・・ひたすらボクの帰りを待っていた。

ボクの帰りだけを待っていた。

ボクが玄関の鍵を開けると


「カァくーーーん!」


いつも、飛び出してボクを迎えてくれた。


日曜も、母さんの仕事は休みやない。

ボクは1日、まる1日弟と一緒におった。

一緒に、お砂場セットを持って公園に行った。

弟にとって、唯一、日曜だけが、昼間から公園で遊べる日やった。


日曜の昼ご飯はボクが作った。・・・・・といったところでインスタントラーメンやったけど。


袋麺ひとつを、ふたりで分けて食べた。

それがふたりの日曜日の昼ご飯やった。



ボクは弟を見ていた・・・

仮面ライダーの人形で遊ぶ弟を見ていた。


・・・・父さんゆずりの長いまつ毛、大きな目・・・・ボクは母さんに似たな・・・・


可愛かった・・・・ヒイキ目やなくても弟は可愛かった。・・・・ほかの・・・誰の弟より可愛かった。

自慢の自転車の後ろに、弟を乗せて走った。



・・・・・ボクらは・・・・ボクらは、ずーーーーーっと一緒におったんや!!!



観覧車が地上についた。

係員が扉を開けた。


弟と手を繋いで降りた。




ゲームセンターにいた。

弟は、幼児用の遊び場所にいた。何人かの幼児がいる。・・・・叔母さんが見守っていた。


ボクは、そこを離れてドライブゲームで遊ぶ。


やっぱり父さんの影響なんやろう・・・運転するゲームが一番好きやった。

・・・父さんが、速く運転する方法を教えてくれた・・・・


いくつかのゲームを一通り遊んだ。


・・・・・叔母さんの元に戻った。

弟は叔母さんに抱かれていた。

今にも寝落ちしそうや・・・・・


叔母さんとボクの目が合った・・・・・・

ボクは頷いた。

・・・・・・・回れ右をして、その場を離れた。


真っすぐ歩く・・・・真っすぐ歩く・・・・真っすぐ歩く・・・・振り返らへんかった。



宝塚遊園地を出た。

ひとりで電車に飛び乗った。まだ乗客が少なかった。・・・座れた。


仮面ライダーの人形でいろんなポーズをつくった。


口ずさんだ・・・・仮面ライダーの歌を口ずさんだ・・・・


電車に乗客が少し増えてきた。やがてアナウンスが聞こえ電車が走り出した。


街中を電車が走っていた。乗客が増えていた。

ボクは片手に仮面ライダーを握りしめていた。


窓から外を見ていた・・・・蒼空や・・・・キレイなキレイな・・・観覧車で見た蒼空や・・・仮面ライダーの歌を全部歌い終わった。・・・・次は、ロボットアニメの歌を歌っていた。


仮面ライダーを握っていた。



「弟を養子に出す」


そう決めたとて、3歳の幼児が、ひとりで叔母さんの家に行くなど、うんと言うはずもない。

・・・・そこで、執られたのが、この方法やった。


今ごろ、叔母さんは・・・


「カァくん遅いねぇ・・・カァくんも後から来るんやよ・・・・」


そう騙し騙し、弟を連れて行っているんやろう・・・・


涙は出えへんかった。

涙は、昨日、出尽くした。


・・・・昨日、目が腫れるまで・・・畳に染みを作るまで泣いた。

もう涙も出えへん。



秋の空。・・・・ええ天気や・・・・


アニメの歌を歌い続けた。・・・・始まりの歌、終わりの歌・・・・何回も、何回も歌い続けた・・・・



10歳やった・・・弟は3歳やった。

・・・・ボクは・・・あと3日で誕生日やった。


観覧車で別れた。



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