第24話 「信じられない伝言」フェンスの内と外。



学校を後にした。


学帽を目深に被り、学校を後にした。



陸上部のフェンスの脇・・・なるべく離れて通る。・・・・スタート場所。砂場の脇だ。



目深に被った学帽の中から陸上部を見た。

・・・・・出水がいた。富岡がいた。・・・・村木がいた。宮元がいる。



たった1日。

たった1日だけで、フェンスを隔てた向うと、こっち。



・・・もう、世界が違っていた。



眩い世界が、フェンスの向こうにあった。



出水が走っている。

村木が走っている。

富岡が走っている。



・・・・・楽しかったな。


みんな・・・・ゴメンな。

迷惑かけた・・・・



みんなゴメンな。



・・・・・みんな、ありがとうな。




・・・・陸上部に背を向けた。

陸上部から遠ざかっていく。



涙はない。

もう、涙はない。



・・・・終わった。


ボクの陸上部は終わった。


・・・・もう、ぜんぶ終わった。




家に帰ってきた。



部屋にいた。


かび臭い、うす暗い部屋。


汚い部屋やった。

6帖と4.5帖。



6世帯が入った平屋のアパート・・・・アパートとすら呼べるのもんやない・・・・バラックや。戦後すぐに建てられたバラックという建物や。



壁が薄かった。

隣の部屋の住人の声が普通に聞こえた。会話の内容が普通にわかった。

テーブルを挟んでの会話みたいに普通に聞こえた。



柱と壁の間に隙間があって・・・その隙間から、隣の部屋の明かりが漏れてきた。・・・・隣の部屋の晩御飯の匂いすら漏れてきた。

隣の部屋とは、文字通り「壁」一枚を隔てただけやった。・・・・「同じ壁」一枚を共有してるってことや。


押し入れの下・・・隅には穴が空いていて・・・・天井にも・・・・夜はそこからネズミが飛び出してきた。

出てくるところ、部屋を走り回るのを普通に見ていた。


台所・・・・・台所と言えるもんやない・・・・水場やった。

1帖ほどの、タイルの張られた水場があった。


・・・・そこは、ゴキブリの巣窟やった。


入っていけば、ゴキブリが、蜘蛛の子を散らすように散った。


便所は・・・・便所やった。お世辞にもトイレって呼べる代物んやない。

ボットン便所。汲み取り便所。


・・・・もちろん、風呂なんかない。



風呂は銭湯やった。


歩いて10分弱かな。


毎日行けるわけやない。・・・・行くのがめんどくさい。


・・・・特に、冬場は嫌や。


雪が降った中・・・・雪が降る中・・・・零下になる夜・・・・ジャンパー・・・防寒をして銭湯に行くのなんか難業苦行でしかない。



・・・・・人間の住む場所やないと思っていた。


ネズミの住処で、ゴキブリの巣窟やった。

そこに、人間が居候りしてるって感じや。


ネズミは、人間を恐れてなかった。

ご飯を食べていても、平気で顏を出してきたりする。



・・・・これが、大阪から「夜逃げ」してきた・・・・田舎での、雪国での「母子家庭」の生活やった。



このアパートの大家さんは、同級生の女の子の家やった。


窓から見える・・・・隣接している・・・・このアパートの敷地の5倍はあろうかという豪邸が、大家さんの家やった。


最初、引っ越しの挨拶に行った時に会った。



・・・・幸い、クラスは違ったけど、学校で顏を合わすこともある。


惨めさに顏を背けた・・・・


時には、帰る時に道で一緒になることもある。・・・・近くの公園で、時間を潰して距離をとった。




「夜逃げ」してきた最初の年は、この部屋で・・・ひたすら、弟とふたりで、母さんが仕事から帰ってくるのを待った。


学校で「嘘つき」呼ばわりされ、関西弁を笑われた・・・・この部屋で一人待つ弟のために、学校が終わったら、真っすぐ・・・すぐに、この部屋に帰ってきた。


そして、弟とふたり、母さんの帰りを待った。


ふたりでチラシの裏に絵を描いて・・・・ブロックで遊んで・・・・2chしかないテレビを見て・・・・



鬱屈していった。


いつだって頭が痛かった。

身体の中に「ヘドロ」が流れていた。・・・・ヘドロは沈殿しない。・・・・血液となって流れていた。



ボクの身体はヘドロでできていた。


友だちもいない。

遊びに行くこともない。

風呂にも入らない。


ボクの身体はヘドロでできていた。



1年が経って・・・・弟が、小学校に行くようになって、ボクは「部活」を許された。


「陸上部」


・・・・ボクの全てやった。


走り回れば「ヘドロ」が消えていった。汗と一緒に流れていった。



「村木の背中を追う」


それが、この場所での・・・・中学校での全てやった。


陸上部しかなかった。

陸上部が全てやった。



・・・・終わった。


・・・・その、ボクの陸上部が終わった。


・・・・・それだけやない。


もう、学校に行く気にもなれへんかった・・・・


もう、ええ・・・・


学校も、それが望みやろ。


ボクには、来てほしくないんやろう。


・・・・誰からも望まれてない。


ボクは・・・・ボクは・・・・この世の中で、誰にも望まれてない・・・・



だから、もう、ええ・・・


もう、ボクは、終わった・・・・




何もしなかった。


何もできない。


ただ、座っていた。


壁にもたれて、足を投げ出し座っていた。


帰ってきてからのまま・・・・着替えもせず、学帽を脱ぐことすらせず座っていた。



なおいっそう部屋が暗くなってきた。


日が暮れてきたんやろう・・・・




・・・・・誰かが名前を呼んでいた。


玄関から名前を呼ばれている。


モゾモゾと玄関に立った。



・・・・・富岡が立っていた。



富岡は、3年生が引退したあと、陸上部のキャプテンになっていた。


練習じゃあ・・・・富岡は跳躍・・・・ハードルの選手やった。だから、一緒に走るってのは、あんまりなかった。

それでも・・・・「走り幅跳び」で、一緒に選手になった。・・・・だから、仲良くしてくれた。

出水も含めて、陸上理論や、練習メニューについてとか、そんな話はよくしてた。


富岡の家にも遊びに行った。・・・・出水の家にも。3人で仲が良かった。・・・・仲良くしてくれたなぁ・・・・



富岡が好きやった。

出水も、もちろん好きやった。


真っすぐな富岡が好きやった。

ずっと、友達でいたいと思ってた・・・・・



なのに・・・なのにな・・・・



ふたりで公園に行った。



「何があったんだ・・・」


富岡が心配そうに聞く。


ボクは全てを話した。隠していてもしょうがないと思った。


・・・・何より迷惑をかける・・・・かけた。



ボクは・・・陸上部を退部やろう・・・・


友だちとしての富岡に・・・・陸上部キャプテンとしての富岡に申し訳ないと思った。


せめて、包み隠さず、全てを話すべきやろう・・・・義務やと思った。



「スマン・・・・」


話し終えて言った。・・・いつものとおりや・・・・気持ちがこもってないような言い方になる。

いつもこんな言い方しかできへん・・・・


そんな自分が嫌いや・・・・


富岡は、事が重大だとは思っているんやろう。

口をはさまず黙って聞いていた。


聞き終わった後も、何も意見らしいことは言わない。



・・・・富岡が黙っている・・・・懸命に問題を咀嚼しようとしているようやった。


自分に何ができるのか・・・何をすべきなのか、真剣に考える顔がそこにあった。

・・・・ボクのために何ができるのか・・・・考えてる顔やった。


・・・・それでも、軽はずみに何かを言うべき問題じゃないと判断したんやろう。

自分の言葉は何も言わへんかった。



・・・・そして、切り出した。



「時田先生からの伝言だ。


冬休みの間、陸上部は謹慎処分とする。


・・・・陸上競技は練習を1日休むと、4日バックする。

だから、自主トレを怠るな。


これが、時田先生からの伝言だ」



・・・・・!!



ボクを・・・・ボクを・・・・時田先生は退部処分にしないというんか・・・・



信じられへんかった。


ただ、それだけやった。



嬉しいも何もない。


学校が何を考えてるのかわからない・・・・


時田先生の真意もわからない・・・・



でも、退部やない。


信じられへん・・・・


ただ、それだけやった。




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