第15話 「伝統のバトン」大会前夜。
チャイムが鳴った。
各クラスから陸上部員たちが集まってくる。
・・・・もう、「秋季大会」まで日がない。
ボクが選ばれたのは、短距離の100m、200m。
・・・・そして100m×4人 リレー や。
100m×4人リレー。
陸上のトラックは1周が400mだ。
この競技は1人が100mを走り、それを4人でつなぐ競技や。
ボクたちの陸上部は、リレーで勝ち続けていた。負けなかった。
だから、リレーのメンバーに選ばれることは、メチャクチャ名誉なことや。
・・・だけど「絶対に負けられない」というプレッシャーもかかってくる。
勝ち続けることが陸上部の「伝統」になっていた。
先輩から脈々と受け継がれてきた「伝統」になっていた。
何世代も・・・・ボクの知らない先輩たちからの「伝統」や。
最初は、ただたんに選手に選ばれたことが嬉しかった。
あの「走り幅跳び」の惨敗から、二度と選手に選ばれることはないって思ってた。
だから、選手に選ばれたことがメチャメチャ・・・単純に、天にも上る勢いで嬉しかった。
・・・でも、落ち着いてくると、とんでもない責任感、プレッシャーがのしかかってきた。
100m走、200m走は、どーでもいい。・・・・個人競技や。勝とうが負けようが、全ては自分の責任、自分の実力の無さで終わるだけや。
勝てなかったところで・・・・勝てるはずもないし・・・・同じ陸上部の村木は当然として、宮元にも勝てない。
短距離走者じゃない富岡にすら勝てない。
・・・・だから、大会で勝てるはずがない。・・・・表彰台に入れるはずもない。
「残念だったね」
・・・・それで終わるだけや。
・・・・でも、・・・・100m×4 リレー は、そういうわけにはいかない。
「負け」は、ボクの負けやない。
「陸上部」の負けや。
・・・・絶対に負けるわけにはいかない。
選手に選ばれたという高揚感が落ち着いてきたら、責任感と、プレッシャーが襲ってきた。
・・・・フッと・・・素に戻った時に思わず震えがくるくらいや。
練習が始まる。
身体を温めるためのジョグ・・・
その段階からリレーメンバーはバトンの受け渡しの練習を行う。
リレーのメンバーと決まった段階で、常にバトンを持つことを言い渡された。
常に手に持ち、バトンを身体に馴染ませる・・・・常にバトンパスの練習をさせられた。
リレーメンバーは、第1走者がボク。2走が富岡、3走、宮元、アンカーが村木やった。
ボクたちは1列になり、後ろから前へとバトンの受け渡しを行っていく。・・・・ボクが富岡に渡し、宮元、村木へと渡っていく。
何度も何度も何度も、繰り返し行う。
「バトンパス」はボクたち陸上部のお家芸や
・・・・県下で1番見事だと評されたのは、地元の「自衛隊チーム」。
2番目は、毎年、全国高校駅伝に駒を進める、県下最強の県立工業高校陸上部。
中学校では、時田先生の陸上部が・・・ボクたちの陸上部が間違いなく「県下随一」と言われていた。
バトンをいかに無駄なく渡していくか、それによっていかに時間を短縮するかが、この競技のポイントや。
通常、運動会なんかのリレーだと、走者がバトンを持って走り・・・・次の走者は、それを目で追っている。・・・そして、走者が近づいてきたら、それに合わせるように、バトンを受け取るために「片手を差し出して」走り出す。そして、バトンを受け取り、全力疾走に移る。
これが、バトンの受け渡しの手順や。
「バトンパス」で、可能な限りタイムを縮める。
バトンを持った走者が走る。決めたラインを越える・・・・それを合図に次の走者が走り出す。
もちろん、後ろを見たり、片手を出したりせずにだ。
そして、後ろの走者の合図一発で、バトンの受け渡しを完了させる。
もちろん、このときも前の走者は一切後ろを見ない。また、バトンをもらうために差し出す手も、この「合図」一発だけや。
先行走者も、次走者も、まったく普通に走る手の動きをし・・・つまり普通に走りながら・・・・その手の動きにタイミングを合わせバトンの受け渡しを行ってしまう。
「バトンを渡す」ためという、よぶんな動作は一切しない。・・・あくまで「普通に走る」中でバトンパスを完了させてしまう。
イメージとしては、サーカスの空中ブランコの要領や。・・・あのタイミングの取り方や。
これであれば、走者は単騎で走っているのと同じスピードが保てる。バトンパスによるタイムロスをなくすことができる。
単純に走ることで1秒を縮めることは至難の業だ。だけど、バトンパスの効率化によって、リレー競技としてのタイムを縮めることは、練習によって可能や。
時田先生の陸上部は、この「お家芸」によって、突出した短距離走者がいない時期でも連続優勝を積み重ねてきた。
・・・・しかし、メチャメチャ高度な技術が要求される。
普通に走っている状態でバトンパスを完了してしまう。
言えば簡単やけど・・・・空中ブランコが、中央で「ピタリ」と合わなければバトンは渡らない。
当然、バトンが渡る距離は、前を走る走者、後ろを走る走者が・・・お互いが手を伸ばしたときに「ピタリ」と合う距離でなければ意味はない。・・・・短ければバトンは渡らない。・・・・それで万事休すや。
そして、行き過ぎなら、それはタイムロスってことや。
その丁度良い距離を・・・そこを一発勝負で決める距離を、徹底的に詰める。
0. 1秒の無駄のないポイント。
・・・・そこを、徹底的に詰めていく。
何度も何度も・・・・何度も何度も練習して詰めていく。
安全マージンを極限まで削り・・・・なおかつ100%の完成度を目指す。
「できなかった」
「失敗した」
それは、絶対に通用しない。
これまで伝統を築いてきてくれた先輩達に報いるためにも、絶対に、ボクたちで失敗することは許されない。
・・・・・なおかつ、レースで負けるわけにはいかない。
リレーメンバー達はこれを徹底するために、練習のアップの段階からバトンを持たされ、あらゆるシチュエーションで、このバトンパスの練習を行なっていく。
1走のボクが富岡に向かって走る。・・・・決めたラインに差し掛かる・・・ボクに背を向け富岡が走り出す。
「はい!」
ボクが叫ぶ。富岡の手が後ろに伸びる。その手にバトンを渡す。富岡が掴む。
富岡から宮元へ。
宮元から村木へ。
何度も何度も繰り返す。
0. 1秒を縮めるためにラインを見直す。声の出し方を考える・・・・
0. 1秒を縮めるために手の差し出し方を考える・・・・
100m走、200m走では、村木、宮元と練習をした。
富岡は、走り幅跳びと110mハードルの選手でもある。
個人種目の練習をし、それからリレーの練習を行う。
走った。
走った。
・・・・そして走った。
毎日、走り回った。
村木の・・・宮元の背中を追った。
村木と並ぶようにゴールラインを駆け抜ける。
・・・・ほぼ並んで駆け抜けた・・・・それでも、村木は90%で走っている。・・・・ボクは全力疾走や。
フェンスにへばりつく。
汗が落ちる。足元のオニツカタイガーに汗が落ちる。
富岡とバトンパスの練習をする。
ボクがラインを超える。
富岡が走り出す。
絶対的な、唯一無二のタイミングを計る。
・・・そのためには、いつだって、同じスピードが求められる。
全ては、全力疾走や。・・・・スピードが変わっては・・・・歩幅が変わっては腕の前後が違ってくる。
毎回毎回、同じスピードで、同じ歩幅で、同じ腕で・・・・求められるのは正確無比な走りや。
・・・・バトンが渡っていく。
ボクから富岡へ。
富岡から宮元に。
宮元から村木へ。
・・・・何世代もの先輩たちから受け継いできたバトンだ。
ボクたちも、次の世代に引き継いでいかなければならない。
・・・・大事なバトンや。
大事なバトンや。
・・・・絶対に、絶対に、絶対に負けるわけにはいかない。
勝って・・・・今年も勝って次の世代に渡さなきゃなんない。
それがリレーに選ばれたメンバーの、背負った使命や。
汗にまみれて走る。
埃にまみれて走る。
・・・・・陽が暮れていく。
大会前日。
軽めの調整メニューで今日は終わりや。
時田先生を前に全員が集合した。
明日・・・明日は大会や・・・・・
部員全員が緊張してるのがわかった。・・・・みんな、肩に力が入っている。
いつになく、時田先生が苦笑しているのがわかった。
・・・・たぶん、時田先生から見えるのは、緊張で、真っ青な顏をした部員たちなんやろう。
「今日はゆっくり休養を取れ・・・・早く寝ろ。
・・・・とはいえ・・・・まぁ・・・緊張するなといっても身体が勝手に緊張してしまうもんじゃ。・・・だから、寝れない場合もある。
寝れない。寝れない。寝れない・・・・そう思うとよけいに寝れなくなる・・・
じゃがな・・・・・一晩くらい寝れなかったくらいで、死ぬモンじゃない。
今さら、一晩寝れないといったところで、走る速さがかわるもんじゃない・笑。
寝れん!・・・そう、思ったら、今度は覚悟を決めて、一晩起きてろ。・・・・これ幸いと、気に入った漫画を全巻読んでろ。
・・・・起きてよう・・・起きてよう・・・そう決めると、今度は眠くなるもんじゃ」
時田先生は笑った。
・・・・その、日焼けした、彫の深い笑顔に、なんか、フッと身体が軽くなった。
・・・・ボクだけやない。
みんなが笑顔になっていた。
肩の力が抜けていた。
・・・・明日。大会や。
明日。リレーに出る。
伝統の競技に出るんや。
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