第12話 「それは突然の出来事だった」身体の不思議。
それは、全く突然の出来事やった。
基本練習が終われば、メインメニューが待っている。
メインメニューでは「腕の振りに気をつけて100mを10本」とか「腰の高さに気をつけて150mを10本」・・・・んなテーマを与えられての練習だ。
大抵が2人1組で走る。ちなみにアップでの100m、150mは一人で走る。
メインメニューでも、その日その日のテーマがあるわけで、決して速さを求める練習やない。
だけど、ボクはテーマに注意することは勿論、全てを全速力で走ることを自分に課していた。・・・・もっとも・・・練習の後半では、注意点よりも、とにかく、全速力を課すことが精一杯になって毎日が終わっていったけど・・・・
今日のメインメニュー。
「走法に気をつけて150mを10本」
短距離走では、スタートダッシュ、中間走、そしてラストスパート・・・・その区間によって走法を変える。
漫然とただ走るんじゃなく、意識的に、ギアチェンジを行って走る、その練習だ。
ボクは村木と走っていた。
全ての練習で全速力を自分に課した。
そのためには、自分よりも速いヤツと走んなきゃなんないと思った。・・・・もちろん、1年生の一部を除く全員がボクより速かったんやけど・・・それでも、より速いヤツと走ったほうが、練習になることは間違いない。
だから、村木、宮元、あるいは富岡といった連中と走っていた。
メインメニューはだいたい、全速力の90%程度の力で走る。彼らの90%はボクの全速力と変わらない・・・・むしろボクの100%のほうが遅い。
全く突然の出来事だった。
いつものように村木の背中を追った。
・・・・・ついていける・・・・
ボクは村木に、なんとかついていける自分を発見していた。
これまで、ボクの全速力が村木の90%に追いつけることはなかった。・・・・いつも、ボクは村木に置いていかれた。でも・・・今は最後まで離されずについていけた・・・・
もちろん、村木は90%で・・・・テーマを考えて走っているわけで・・・・圧倒的にボクが遅いことに間違いはない・・・・
はぁはぁはぁはぁ・・・・・
ゴール地点。
両膝に両手を添えて、荒い呼吸の上体を支えていた。足元に汗が落ちる。
・・・・・不思議な感覚やった。
狐につままれたって言葉があるけど・・・・文字通りそれやった。
村木が無言で歩き出した。
ボクも歩き出す。
・・・・息が荒い。歩いて呼吸を整えていく。
練習中に喋ることはなかった。
・・・・いや、喋る余裕がなかった。
スタート地点に向かって歩いた。
スタート地点に戻ったときには呼吸も整ってきていた。・・・・そのまま村木がスタートにつこうとする。ボクもその隣についた。
「GO!」
気合を入れて走り出す。
ついていける・・・・50m地点・・・・中間走・・・離されない・・・・・100m・・・離されない・・・・130・・・
ラスト10m!ここからや!
ラストスパート!!
力を振り絞る。意識的にラストスパート!
力を込める・・・・だからって速く走れるわけやない。
ただ、単純に力を入れる・・・力を振り絞ったからって速くは走れない。
単純に力を入れれば筋肉は硬くなるだけ・・・・求められるのは柔軟さ・・・しなやかな筋肉の動き・・・・その動きを見つけることこそが、今日の練習の意味。
力を込めて・・・・振り絞り・・・それでも筋肉を鞭のようにしならせて使う。・・・・腕を振り、足をしならせ走る・・・
村木を抜きにかかる!意識して抜く!・・・・抜いてやる!!・・・村木に並んだ!
その瞬間。
村木がアクセルを踏んだ。スピードを上げた。ボクを突き放す。・・・・瞬間、村木が「フン!」と鼻を鳴らしたのが聞こえた気がした。「100年早えーよ!」声が聞こえた気がした。
村木に後れて、ゴールラインを駆け抜けた。
・・・・それでも、ついていけた・・・・やっぱり、ついていけた・・・・村木の本気には敵わないけど・・・・・ついていけた・・・・・ゴール地点、足元に落ちる汗を見ていた・・・・・緑色のMラインに落ちる汗を見ていた・・・・
・・・・ひょっとして・・・・
・・・・ひょっとして・・・
・・・・ひょっとして・・・・
・・・・ひょっとして、ボクは速くなっているんか・・・・・?
「GO!」
ついていける・・・・50m地点・・・・ついていける・・・・100m、離されない・・・・130m・・・必死にくらいつく。必死だ。目の前、村木の背中。
必死や・・・・それでも意識するのは、しなやかな筋肉の動き・・・・滑らかな腕の振り・・・・滑らかな足の運び・・・
ついていく・・・・ついていく・・・
・・・・今まで、遠のく一方だった村木の背中。・・・・近い。手が届くほど近い!!
離されない。
離されない。
離されない。
ラスト10m!
ラストスパート!!
渾身の力。文字通りのラストスパート!!
力の限り足に叩き込む!
・・・・村木に並ぶ・・・・・
村木がアクセルを踏む。・・・・逃げられる。・・・抜けない。逃げられる・・・
ゴールラインに雪崩を打ったように突っ込んだ。
はぁはぁはぁはぁはぁ・・・・・
膝に両手。
村木とボク。並んでいる。
汗が落ちる。
・・・・ひょっとして・・・
ボクは速くなっているのか・・・・・・?
翌日。
練習開始。
ジョグ・・・・柔軟体操・・・・
100m、150mを走る。
ウォーミングアップ走は、ひとりで走るといっても数珠繋ぎで走る。
ボクは、いつも、村木や、宮元の後を走っていた。
自分より速いヤツの後ろを走るためや。
・・・・順番をずらした。
走る順番をずらしてみた。
いつもは一緒に走らないグループの中で、ボクは走った。
速くなっていた。
「嘘やろ?」
・・・・・驚くほどに、ボクは速くなっていた。
シューズを変えた影響は感じていた。
今までボクが使っていたのは、「ズック」と呼ばれる、安物のシューズやった。
それを、Mライン・・・・ミズノの陸上用シューズに変えた。
明らかに走りやすさを感じていた。
ストライドが明らかに伸びていた。
練習中は歩数を数えながら走っている。
新入部員で、最初に走り出した時には100mで、55歩といったところやった。
それが、最近では、53歩くらいになっていた。
・・・・シューズを変えてから一気に50歩になった。
身体を軽く感じるようになっていた。
勝手に飛ぶ感覚があった。
ダッダッダッダッダッダッ・・・・ と走っていたのが、
タッタッタッタッタッタ・・・・ と走れる。
身体から濁音が取れたような感じやった。
・・・そう、ボクだけやない。
村木も、宮元も、富岡もシューズを変えている。
しかし、彼らが、履いていたのはすでに陸上競技用のシューズやった。
シューズを新しくしたってだけのことだ。
・・・・ボクは、今まで、知らず知らずに「ズック」というハンデを背負って練習してたってことなんか・・・・
でも、シューズの影響だけやなかった。
それだけじゃ説明がつかない。
ウォーミングアップでは、シューズで走る。
でも、メインメニューではスパイクで走る。
そのスパイクで走る時にすら、身体が軽くなった感じがしていた。走りが軽くなっていた。
・・・・明らかに身体が変わってきていた。
ボクは1日・・・・1日・・・毎日、毎日、自分が速くなっていくのを感じていた。
毎日毎日・・・・速くなっていく充実感を噛みしめた。
昨日より今日・・・今日より明日・・・・明日より明後日。
・・・・もう、寝て起きたら・・・・朝起きたら勝手に速くなる。・・・・そんな言葉がピッタリやった。
もちろん、速くなるったって、最初が陸上部としては笑ってしまうくらいに遅かった。多少速くなったっても、村木や、宮元には追いつけなかった。
それでも、陸上部内での自分の速さが日々上がっていくのを感じていた。
・・・・不思議な感覚やった。
足の中の骨・・・・血管の動き・・・そんなものが手に取るように分かった。
血液の流れ・・・心臓を出発した血液が・・・その粒子の一粒一粒が・・・今、どこを通っているのか・・・それすらわかった。
身体の細胞、その一粒一粒が開花していくのを感じた。
・・・・不思議な感覚やった。
身体だけやなかった。
五感が研ぎ澄まされていた。
空気の流れさえ鋭敏にとらえた。
体中に張り巡らされた神経が・・・全てがアンテナとなって、あらゆるものを感じ取っていた。
・・・・不思議な感覚やった。
自分の身体・・・・全てが自分の支配下にあると言いきれた。
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