第9話 「もうどーでもいい」居場所ができた。



走っていた。


いつもと同じや。村木の後ろを走っていた。

ウォーミングアップの150m走。村木の背中に向かって走った。


ウォーミングアップが終わった。


スタート練習・・・基本練習が終わった。



本日のメインメニュー。


「100m10本!中間走からラストスパートへの切り替え!」


村木と並んで走る。


メインメニューでは、ひとりで走る時と、ふたりで並んで走る時がある。

今日は「ふたり一組」や。


ひとりで走る時は村木の背中を追った。

ふたりで走る時は村木と一緒に走った。


・・・・どっちにしろ、村木に置いていかれた。


それでも良かった。

それで良かった。



生きているのが嫌になるような毎日やった・・・・


そんな抑圧されきった生活の末・・・ボクは時田先生の陸上部に出会った。

一気に、抑圧されたものを吐き出すように、溜まりにたまったものが弾けるように走りまわった。


流れていく・・・・流れていく・・・・


ボクの中のドス黒く巣くったもの・・・・沈殿していた「ヘドロ」が流れ出していく・・・・

汗に混じって流れていった。


毎日、毎日、毎日・・・ひたすら全速力で駆け抜けた。

村木の背中を追った。全速力で追った。・・・・追い付けない・・・


自分の才能のなさを痛感していた。


「鷹見に負けたない!!」


そう思って今の練習を始めた。・・・・それでも、1年生の河本にも勝てない・・・


・・・・それでもよかった。


気持ちよかった。

走っていれば、気持ちよかった。


自分の中の苛立ち・・・刺々しさ・・・ギスギスした感情が流れていった・・・・走るごとに・・・過ぎてく毎日に、身体が変わっていくのを感じていた。

身体の中身が入れ替わっていった・・・・

「ヘドロ」が流されて、新鮮な水が入ってきた。

それだけじゃない・・・・身体自体に、何かを脱ぎ捨てていくような感覚があった。・・・・上手くは言えないけど・・・



村木の背中を追う。


並んでスタートしたのに、完全に背中を追うことになる。・・・・いつものことや。


90mを過ぎる。意識的にラストスパートへとギアを上げる。


・・・・ダメだ・・・スピードが上がらない。・・・ラストスパートなんか全く効かない・・・


「ラストスパート!」


意識するだけ。身体は前に進まない・・・・


・・・・ゴールラインを駆け抜ける。


フェンスにへばりつくように止まった。


はぁはぁはぁはぁ・・・・


息が切れる。息が上がる・・・・汗が落ちる・・・


村木は、もう歩き出してる・・・・

踵を返して、村木の後を追う。スタートラインに戻る。



インターバル。砂場の脇に腰を下ろした。


「カズ・・・ラストで足が流れてっぞ・・・・」


隣に座っていた出水が、呼吸を整えながら言った。


ラストスパートで、後ろに伸びた足が、そのまま流れてる・・・背中に流れるって指摘だ。

100mのラスト。体力的にも厳しくなり、神経も散漫になる・・・・100mはほとんど呼吸しないで走り切る・・・・後半は酸欠にもなってくる・・・・体力的にキツイ。頭も回らない・・・・

後ろ足が、跳ね上がって流れてしまう・・・・流さず、堪えて、意識して前に引き戻せ。

後ろ足は、着地点から、そのまま前へと引き戻す。足を背中に流してしまえば、流した分だけ前に出なくなる。・・・・ストライド(歩幅)が、その分短くなる。タイムをロスする。


はぁはぁはぁはぁ・・・・・


呼吸が整わない。

うんうんと頷いた。


練習中には、みんなの走りを見た・・・・自分の勉強でもある・・・・そして、気づいたことがあったら相手に伝える。


ボクたちは、陸上部の仲間だ。時田先生の陸上部の部員だ。



・・・・・「カズ」と呼ばれていた。

気づけば「カズ」と呼ばれていた。

嬉しかった。


ボクに、居場所ができた。


この学校で、初めて居場所ができた。・・・・この街で、初めて居場所ができた。



視線の隅・・・・村木が立ち上がった。

弾かれるように立ち上がる。

村木の隣に並ぶ。


「GO!」


村木の声。

走り出す。


・・・・離される・・・・離される・・・・村木の背中・・・・全速力で追いすがる・・・・




時田先生の前に全員が整列していた。


「兎と亀が、走り高跳びをした。

兎は1m80cmを跳び、亀は1m60cmだった。“走り高跳び”という競技としては、兎の勝ちじゃ。

・・・じゃが・・・ワシは亀のがエライと思う。


兎が1m80cm跳ぶのと、亀が1m60cm跳ぶのと、どっちが大変じゃ?」



・・・そうだよな・・・「亀」でいい・・・


もう、鷹見なんか、どーでもいい。


諦めじゃない・・・


「それでいい」


そう思った。


勝ち負けなんか、どーでもいいことなんや。


ボクは「亀」を目指す。

自分の限界を目指す。


・・・・また「ヘドロ」が流れていった・・・・・



普段は、ムスッとした、どちらかといえば怖いという印象の先生や。あまり喋ってくれる先生やない。

・・・・ボクは、未だに、ちゃんと喋ってもらったことがない・笑。

喋る事柄がないんやろうけど・・・笑。


でも・・・・何か・・・ふとした岐路のようなとき・・・・ボクが何か・・・なんとなく煮詰まっているとき、時田先生は見事なタイミングで話をしてくれた。


もちろん、ボクだけに話してるんやない。みんなの前で、みんなに話してる。


・・・でも・・・・多分、時田先生は部員一人一人をよく見ているんやと思う。陸上部員としての体調だけやなく・・・生徒としての成績・・・家庭環境・・・時田先生にわかる全てを把握しているんやと思う。・・・・だから、部員一人一人の心の動きが分かっていた。その心の動きを読んで、話すべき時に、話すべき内容の話をしてるんやと思う。


・・・・・ひとつの話に多くの意味をもたせて、聞く者それぞれを包んでくれた・・・・



「誰もやらないんなら、おまえがやれ」


なんでもいい、クラス委員でも、はたまた、家のおつかいでもいい、誰もやりたがらないことを率先してやれ。

そんな、生きる上での大事なことを教育してくれる場所やった。


陸上部からは生徒会をはじめ、学校行事での立候補も多かった。・・・・誰も手を上げないことは陸上部員が率先して行った。


ボクたちは全面的に、全てを時田先生に任せていた、信頼していた。



・・・・転校・・・夜逃げ・・・転校・・・・夜逃げ・・・・


ボクには、小学生の頃のような屈託のない明るさが無くなっていた。

明るい・・・・ノー天気な子供らしさがなくなっていた。

世の中に対しての憎しみを、恨みを目に宿してしまっていた。世の中を斜に構えて見る・・・そんな子供になってしまっていた。


そんなときに、時田先生に出会った。


「陸上部にこんか?」


この一言で陸上部に入った。


陸上部では一番足が遅かった。でも、その結果に不満はなかった、当然のことやった。

みんなが必死になって練習をしていた。ボクなんかがとても及びもつかないほどの素質を持った連中が、それこそ必死になって練習していた。


100m10本のメインメニューを、誰一人10本で終わるヤツがいなかった。

みんなが、自分には才能がないと・・・・だから、誰よりも練習しなければいけないんだと・・・みんながみんな・・・必死に練習していた。


みんなが、それぞれの「亀」を目指していた。

求めるのは順位じゃない。世間の評価じゃない。



自分の一等賞や。



敵は自分や。・・・・こいつは強敵や。・・・すぐに甘えたがる。

昨日の自分に負けんな!



・・・だから、ボクも・・・速くなろうとか、優勝したいとか、そんなことは考えなかった。

鷹見のことなんか、もう、頭から消えてた。



ただ、走る。

ひたすら、走る。

いつからか染み付いてしまった、ボクの中に溜まった・・・澱のように溜まった、黒くてつまらないもの・・・マイナスの思い・・・・腹に巣くった「ヘドロ」が流れ出していく・・・・


ただ、走る。

ひたすら、走る。・・・・全速力で・・・そして、最後に練習を上がった。


時田先生が好きやった。

陸上部が好きやった。

陸上部員が好きやった。


ただ、走る。

ひたすら、走る。

ただ、それだけの毎日になっていった。



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