第4話 「意味のない努力はするな」右ってどっち?
陸上部の1日が始まる。
身体を温めるためのジョギング・・・・
柔軟体操。
そして、ウォーミングアップ走・・・・
走っていた。・・・1年生の河本の後ろを走っていた。
まだ、ウォーミングアップの段階だ。スピードは必要ない。70%程度だ。
・・・・たぶん、河本は70%で走っている。
ボクは、離されまいと必死になって走っていた。70%も80%も関係なかった。
選手に選ばれてしまった。
走り幅跳びの選手に選ばれてしまった。
井の中の蛙やった。
自分の足の速さなんか、陸上部じゃぜんっぜん通用しないんだと思い知らされた。
ましてや、入部して1ヵ月だ。まさか、選手に選ばれるとは思ってもいなかった。
・・・いや「走り幅跳び」・・・・跳躍種目だ・・・ボクはジャンプ力をかわれたんだ。このためのスカウトやったんや。
だったら、やるだけや。
教室。
時田先生が前に立っている。
選手発表をしたミーティングの席上。
全員が、時田先生をじっと見つめている。
「大会に出るも出ないもそれほど力に差があるわけじゃない。おまえらの中に、素質のあるヤツはおらん。・・・だから練習せい。ただし、だからこそ漫然とは練習するな。いたずらに練習するな、練習は量じゃない、質じゃ」
陸上部には、うさぎ跳びだの、グランド100周だの、そういった肉体を酷使しての精神修業的な練習は一切なかった。
全ての練習には「意味」があり、目指す「理想」があった。
おそらく、走る量としては他校の陸上部より少なかったはずや。でも、地域では、少なくとも市内では、陸上名門校としての実績を残してきていた。
全ては、時田先生の指導によるものやった。
「意味のない努力はするな」
考えろ。常に考えろ。100m1本を走るのにも考えろ。意味を。目的を。すべての練習に意味を持たせろ。
何のために走るのか、何のための練習かを考えて走れ。
車でも走れば走るほど消耗する。人間の身体も同じじゃ。走れば走るほど消耗する。意味なく消耗させるな。「練習」を目的とするな。
明確に目的を持った努力を行え。
入部して1ヵ月。ボクはそんな時田先生を、そして陸上部を好きになっていった。
ウォーミングアップが終わり、基本練習が終わると、大会に出る選手は、それぞれの種目に分かれて練習を始める。・・・1年生は腕振りの基礎練習や。
ボクは、選手に選ばれたことで1年生・・・新入部員の扱いをとかれ、2年生組になっていた。
基本練習が終わると、走り幅跳びの練習へと移った。
「走り幅跳び」
走って跳ぶ。
ただこれだけの競技を、体育の授業じゃなく、陸上競技として行なうと、どれだけ難しいものになるか・・・
走って跳ぶ。これだけの競技。
この競技は、跳んだ飛距離を競うものや。ただし、この飛距離とは「踏み切りライン」からしか測らない。・・・どれだけ踏み切りラインの手前から跳んだとしても、測定されるのはラインからだけってことや。・・・・だから、実際にどれだけ跳べるかは関係ない。踏切ラインからどれだけ跳んだか、や。
そして、もし、「踏切ライン」を超えて跳んだ場合には失格だ。
だからといってラインにばかり気をとられて、足を合わせにいけば助走のスピードが乗らない。そしたら飛距離は出ない。
理想は・・・・助走を開始し、そのスピードが最速になった!・・・そこに踏み切りラインがある!ってのが理想や。
1にも、2にも、とにかく、的確に「踏切ライン」に足を合わせること。
これが最重要や。
・・・じゃあ、そのためには助走を何mとし、スタート、中間走、スパート、それらをどう組み立てていくのか・・・・陸上競技としての走り幅跳びってのは、こんな複雑な作業を行なっていくことだ。
・・・ボクは何も出来ていない状態やった。まだ、入部して1ヵ月だ・・・・走る基本すらできていない。つまり「走る」ってことが一定していない・・・・スピードも、姿勢も・・・・だから、歩幅も・・・
だから、足が合わない。
そんな状態で、走り幅跳びの選手に選ばれ、難しい理論によっての練習を行なっていた。
時田先生は、いつも、ボクたちがアップを終了する頃にグランドにやってきた。
そして、各競技ごと・・・短距離、長距離、ハードル、跳躍・・・のグループを見てまわり、各選手に一言、短い一言の指示を与えていく・・・・決して口数は多くない。だけども、その短い一言が、実に効果的な、的を得た指示になっていた。
時田先生が走り幅跳びの砂場にやってきた。
縁に腕組をして立つ。するどい眼光がボクたちに注がれる。
走り幅跳びの選手は、富岡、出水、そしてボクだ。全員が2年生で、なかでも、富岡は次期キャプテン候補とされる選手や。
富岡が走って跳ぶ。
時田先生は腕組をしたまま、富岡に何やら話していた。富岡が緊張した面持ちでそれを聞いている。
出水が走って跳ぶ。
時田先生は、砂場の縁に足を投げ出して腰掛け、砂場に何やら描いて出水に説明している。出水も腰を下ろしてその説明を聞いている、出水が大きくうなずいている。
次はボクの番や・・・
ボクは、未だに足が合わなかった。
走り幅跳びは、いかに「踏切ライン」に足を合わせるかが飛距離のポイントだ。そして競技の大前提だ。
「踏切ライン」に合わせて、助走の距離、スピードの配分・・・全てを組み立てていく。何回も何回も練習し、調整し、合わせていく足の誤差を10cm、5cm・・・と縮めていく。最終的には0にするのが練習の意味や。
・・・ところがボクは、足の誤差を縮めるどころか、左右の足さえ未だに合わなかった。
「踏切ライン」に合わせるのは、当たり前として跳躍力の優れた利き足だ。ところが、未だに利き足がラインに合わせられなかったりする。・・・逆の足になったりする始末や・・・・
富岡や、出水が、ラインとの誤差を少なくするために必死に練習している中で、ボクは未だに利き足が合わないという状態だった。
跳ぶ度に、右足がラインにきたり、左足がきたり・・・全てはまだ、走るフォームが一定していないことが原因だ・・・・そんなことはボクもよくわかっている。・・・だけどボクには・・・もう、どうしていいのかがわからなくなっていた。
考えれば考えるほど身体が言うことをきかない・・・・・
走るフォームが一定しない・・・・
もう・・・グダグダ・・・お手上げ・・・
バネをかわれて陸上部にスカウトされた、そして選手に抜擢された。・・・その現実がこれやった。
「次!」という時田先生の暗黙の動作。
走り出す・・・
「踏切ライン」を見つめて走る。ラインばかりを追いかける・・・・
「踏切ライン」に足を合わせることばかりを考える・・・・助走のフォームはめちゃくちゃ・・・・スピードは上がらない・・・・、しかも、それでも、けっきょく足が合わない・・・
跳び終わって、砂場につんのめったような姿のボク・・・
時田先生からの一言はなかった。何も言われなかった。
陸上部に来て以来、ボクは時田先生に、まともに言葉をかけてもらったことがなかった。
もちろん、無視しているってわけじゃない・・・まだ、何かを教えるレベルじゃない。そんな感じやった。
何度やっても足は合わなかった。
もう、どうしょうもなかった。
走る度に、右足が・・・・左足がラインにかかる・・・・
あれ?・・・・ボクって、どっちが利き足だっけ・・・?
・・・・んな状態で大会当日を迎えてしまった。
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