_四

 車に戻るとイトが起きていた。

「大丈夫? ユアン、顔が真っ白だけど」

「ああ、大丈夫。それより、大変なことになった」

 僕の様子を見てイトは戦闘態勢に入っている。戦う前のあの表情だ。

「イトくん、まだ焦らなくて大丈夫だよ。もちろんその時になったら頼るかもしれないけど。一応、まだ時間はある」

 その言葉話を聞いても、イトは緊張を崩さない。僕は頼もしく感じたが、それ以上に恐怖も感じていた。

「ラム・シュウ殿、どちらに向かいますか?」

 この状況でもヤオさんは落ち着いている。思えば、スーチライト本社で僕たちを笑顔で待っていた男だ。このくらいの状況ではうんともすんとも言わないだろう。

 その落ち着き方を見ていると、こちらまで落ち着いてくる。

「まずは避難勧告を出す。まずはポーリンさんのところに頼みに行こう。他にも大きめの施設に寄って避難指示。みんなをなるべく西に連れていくんだ。ここまでを一時間」

 ヤオさんはラム・シュウの話しを聞きながらもすでに車を走り出させていた。いつもと変わらないように見えるが、一分一秒を争う状況を理解しているのだ。


 ポーリンさんは一体何者なのだろう。ラム・シュウが用件を伝えても、やはり落ち着いていて素早く部下に指示を出していた。

「では、あとで西の方で会いましょう」

 しまいには笑っていた。

 次に近くの運動場を目指す車内で僕はラム・シュウに聞いた。

「ポーリンさんって、何者なんですかね」

「そうだね。まあ、城の施設を任されてるんだから、ただものじゃないことは確かだね」

「普通のお婆さんに見えたけどね」

 イトが窓の外を眺めて呟く。

「はは。そりゃそうか。ただものじゃないイトくんから見れば、普通のお婆さんかもしれないね」

 ラム・シュウの言葉にイトは気分を良くするわけでも悪くするわけでもなかった。


 運動場、図書館、点在する飲食店を回った。すべての人たちはポーリンさんと同じように、平然とした様子だった。

 街には、だんだんと車の中からでわかるほどの大きな音で避難を促す放送や声が溢れた。

「さすがだね。ここの社員達は動きがいい。繁栄の城だって負けてはないけどね」

 臨時事務所に戻ると、既に社員達は皆に避難指示を出していた。

「とりあえず西に向かわせてます。なので、ここの住民については大丈夫かと思います。問題は謎の生き物です。ラム・シュウ殿、どうしますか?」

「この城にある武器を全部集めてくれ。それとクロワッサンもあるだけ集めよう」

「はい!」

 事務所から一斉に人が捌ける。ラム・シュウと僕とイトとヤオさんだけが残った。

 謎の生物と、殺し合いをするための準備は始まっている。とても現実味がない。あまりに落ち着きすぎている。

 今までは、僕自身が死ぬか生きるかの状態に直面して、自分が生きるために選択をすることばかりだった。それは死を目の前にしたものなら絶対に起こす行動で、本能だ。

 今の僕たちは殺すための準備をしている。それが少しだけ違和感を生み出していた。ただ、そういう風に思ってしまうのは、僕の危機感が足りないからなのだろう。

 僕らも部屋から出ようとした時、部屋の通信機から声がした。

「——誰かいますか」

 風の音が入っている。その向こうで誰かの怒鳴り声もする。どこかで聞いたような声だ。

「こちらラム・シュウ。どうした」

「——はっ、ラム。シュウ殿、今私は西の外れにきております。避難者達も数多くいて、みなでさらに西を目指しているんですが、一体何のつもりか、五十代くらいの男が進行を邪魔しています。どこまでの行使をして良いでしょうか」

 五十代くらいの男と聞き、怒鳴り声の主が誰なのか予想がつく。

「ラム・シュウ、もしかしたらその人って」

 僕が言うと、ラム・シュウは頷いた。

「きっと、そうだろうね。えっ、プリンなんとかって言ってたっけ? よく覚えてないんだけど」

「あの色茶、とても濃かったですもんね。キープリンです」

 と、全く色茶が効いていなかったヤオさんが言う。

「ああ、キープリンか。んっ、よし。聞いてるかい?」

 ラム・シュウが通信機に話しかける。

「——聞こえてます。はい」

「まずはみんなに、西に向かうのは待機して欲しいと伝えてくれ。その後、男がなにを言ってるのか聞いて欲しい」

「——そうですか。分かりました」

 不服そうな声の返事が返ってきて、ガサガサと雑音が入る。

 なにか騒がしくなったあと、段々と、キープリンのものと思われる声が近くなった。

「——今、対象に近づいてます。なに、なにを言ってる? ほう、ふん。なぜそんなことが分かる? ほう。まあいいだろう」

 そこまでいくと、声の主がキープリンであることが確実にわかった。なにを言っているのかまでは聞こえないが、声でわかる。こうして聞いてみると、キープリンの声が独特なことに気が付いた。体の外にまで共鳴しているような声をしている。

「——わかった。わかったから一旦静かにしてくれ。ラム・シュウ殿、男が言う内容を伝えます。どうやら、これ以上西に、え、ああ、わかったわかった。ええ、これ以上ロン・ダン・ガイに近くと、植物配線者は龍木化すると、そう言っています。はい」

「そうか。なるほど。一旦、君はそこで避難者を待機させておいてくれないか? 僕たちは今からそこに向かうから。男と直接話がしたい」

 ラム・シュウが無意識にだろう。右腕を触った。きっと、温泉で言われた言葉を思い出しているんだろう。僕も同じ言葉を思い出している。その身を滅ぼすか、それ以上のものを失うことになる。

「ユアンくんとイトくんは一緒についてきて。ヤオくんはここで今みたいな通信が入った時に相手をして欲しい。それ以外の時間は、君に任せる」

「任せてもらえるとは、光栄です。では、皆様の健闘を祈ります」

 急いで僕らは西に向かった。イトはすでに戦うつもりなのだろう。体力を温存しているように見えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る