第五話 ポーリンの大浴場
_一
「すみませんでした」
怒鳴られ、とりあえず声のする方向みて頭を下げた。湯気が立ち込めていて相手の姿が見えない。
「恥ずかしくないのか。まったく」
お湯を掛けるのをやめて、少し冷たい空気が流れ出す。白い霧が晴れると、そこに立っていたのは広場でイトに悪態をついた五十代くらいの男だった。
「あ、お前は」
「またあんたらか。行くとこ行くとこ私をイライラさせやがって」
そういい、立ち去ろうとする後、ラム・シュウの右腕を見て目つきが変わった。
「なんだよ。なにも言わせないぞ」
僕はなにかを言い出しそうな男に詰め寄る。
男に睨まれる。その眼光はただ普通に生きてきた人間が持つものとは違かった。違うが、生まれ持った物でもなく、修羅を潜り抜けてきた人間の目なのだと思う。もちろん、こんな目をみるのは初めてだが、それでもこれくらいのことが分かるくらいに、意志が籠もっていた。
「ほう、目を逸らさないか。お前もいろんなものを乗り越えてきたのかもしれないな」
笑った。その表情の変化で、立ち込める湯気が流れを変えたような気さえした。まるで大気を揺るがしているようだ。もちろん、それは僕か感じている恐怖が見せる幻想だ。
ヤオさんが、僕がこれ以上進まないように見張っているのが分かる。
その傍らで、ラム・シュウが立ち上がり男に近づいて行った。いつも通り、全く変化のない表情で。
「うるさくして申し訳ございませんでした。ユアンくん、行くよ」
場を収めるためもう一度、謝っている
「ユアンというのか。ユアン。この男は鈍感なだけだ。君の方がだいぶ見所があるよ」
男は、すでに怒りがなくなっていて、薄ら笑いをしている。
ラム・シュウは無視してこの場を立ち去ろうとしたが、男がまた声をかけてきた。
「気を悪くしただろうな。すまん。しかし、それとは別に、一つ君に忠告がある。いや、これには、私からの注文も含まれている」
ラム・シュウは全く相手にしていない。
「なんで、男なのに植物配線なんだ? きっと、その問題を先送りにすれば、あんたはその身を滅ぼすばかりか、それ以上のものを失うことになるかもしれないぞ」
一度、ラム・シュウが振り返り男を見たが、それ以上はなにも言わなかった。
お湯に浸かると、気持ちが和らぐ。さっきの男は全く見えなくなった。おそらくここから一番遠い風呂に入っているのだろう。
「いやー、人のいない温泉は最高だね」
ラム・シュウはさっきのことなど忘れたように言った。ただ、声は抑えている。
「そうですね」
ヤオさんも目を瞑って湯を堪能している。しかし、どうしても妙な沈黙が訪れてしまう。
ラム・シュウの右腕が剥き出しになっていることも少しは関係しているだろうが、そのことなら今更の話だ。それよりも、あの男が言った、植物配線ということだ。
そのことを、直接ラム・シュウに聞きたかった。けど、同じくらい今の落ち着いた時間を大事にしたかった。
結局、それからなにも喋らずに湯船を出た。
ラム・シュウは、本人が言った通り長風呂で、僕はのぼせていた。
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