・十

「こんなにお湯をつかっちゃって大丈夫かな」

 ラム・シュウが心配そうにしている。しかし、しょうがない。枝になった腕には驚くほどにゴミが溜まっていた。

 いくらお湯をかけても、流れ出る水が灰色をしている。

「どんどん洗っちゃいましょう」

 ヤオさんはとても楽しそうにお湯をかけている。洗っても洗っても灰色の水だが、目に見えてきれいになっているのもわかり、パズルのピースを埋めていくような楽しさがあった。

「しかし、これほどまでのものです。綺麗にしてからじゃないとお湯に浸かれませんよ」

 ヤオさんが、とてもわざとらしい残念そうな顔をしている。そしてお湯をどんどん使っていく。湯気の匂いが立ち込めた。

「あっ!」

 ラム・シュウが情けない声を上げた。

「どうしましたか?」

 枝の先端部分を洗う僕は状況が判断できない。ヤオさんが声を殺して笑っている。

「ヤオくん、頼むから根元の方はやめてくれよ〜」

「すみません、でも、ははっ、ほら、汚れていますんで、多少はね

 笑いを堪えながらも、ヤオさんは根元を洗おうとしている。

「やめ、やめてくれ、そこだったら自分で洗えるからさ」

 ラム・シュウの枝が波打ち、僕は顔を叩かれそうになる。

「ちょっと、ラム・シュウ! 危ないですよ、暴れないでください」

「じゃあ、ヤオくんにやめるよう説得してくれよ。やめて、根元を触るのをやめてくれ!」

「あと少しなんですよ。ほら、またごっそり取れそうですね」

「ヤオさん、もう勘弁してあげてください、あ、危ない、ラム・シュウも我慢してください」

 僕は必死に枝を避けた。


「結構騒いでますね。注意しなくていいんですか?」

 女性用の温泉で、ここの主のお婆さんに、イトは言った。壁の向こうからユアンたちのはしゃぐ声が聞こえていたからだ。

「昼間の運営でもここまで騒ぐ人はいないよ。まあ、私が注意しなくても誰かさんが言うだろうよ」

「なるほど。そっちの方が堪えそうですね」

「堪える、か。そうだね」

 あんなに騒がしいんじゃ、別々で良かったとイトは笑うお婆さんを見ながら思っていた。

 軽く体を流し、昼間も入った湯船につかる。人がいない分より疲れが取れるような、そんな気分になっていた。

「ここの運営は大変だけどね、ここを独り占めできる時間があるだけで続けていけるのさ」

 空が緑色に染まった。巨大な怪物が光を放ったのだろう。イトはその光を見ると、言葉では言い表せない気持ちになった。食べても食べても満腹感を感じなかったり、走っても走っても目的の場所にたどり着けなかったり、そんな時の気持ちが押し寄せる感じだ。

「この緑色の光は一体何なんだろうね。不気味なような気もするけど、とても強い優しさを感じるような気がするよ。ま、長く生きてればこういう出来事も体験することになるんだろうね」

 お婆さんは、とくに聞かれるわけでもなく話し続けた。イトも相槌を打ちながら聞いた。お婆さんの話は、実はずっと聞きたかったことだったような、そんな気がしながらイトは話を聞いていた。

「静かにしろ!」

 壁の向こうで怒鳴り声がした。

「あ、怒られちゃった」

「少し遅いくらいだけどね」

 二人は笑っている。そこに、別の温泉から若い女性がやってくる。

「もしかして、知り合いの方でしたか? でしたら、すみません。あの、怒鳴ったりする人じゃなかったんですけど。あ、ポーリンお婆様もご一緒でしたか」

 真っ白な髪を携えた女性だ。その胴体は龍木でできていて、肩甲骨のあたりには小さな枝が飛び出ていた。

「ほんと、なんで急に変わっちゃったんだろうね」

 人がいないせいでやけに熱くなっているお湯に、少しだけイトはのぼせそうになっていた。

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