・三
部屋は荒れた様子がない。机には冷め切った食事が置かれていた。コーンスープとステーキだ。
「たぶん浴室です」
部屋の奥の方から、石鹸の匂いに混じった腐臭がした。頭が痛くなる。
ラム・シュウが細い枝を広げた。なにかを警戒している。
浴室の扉の前まで来ると、ラム・シュウが細い枝でその扉を開けた。中の白い浴槽の中に、分厚い布のようなものが沈んでいる。
しかし、そこからとても強い腐臭がしている。
「ユアンくんは待ってて」
ラムシュウが浴室に近く。細い枝たちは一つ一つが意思を持っているかのように、その布のようなものに群がった。
「これは、人だ」
そう言われた瞬間、その布が瞬く間に人に見え始めた。なるほど。あれは人が内側からきれいに開かれている状態なのだ。魚の内臓を抜いた時のことを思い出した。
石鹸や洗剤や入浴剤の、どれの匂いだか分からなかったが、花の匂いがしている。
「クオン殿、安らかに眠ってください」
ラム・シュウが固く目を閉じた。僕も目を閉じ手を合わせる。
外に出ると、イトとヤオさんが暇そうに立っていた
「どうでしたか?」
「うん、クオンさん、亡くなってた。とりあえず、専門の人に手伝ってもらおう」
「亡くなっていたんですね。なんだか、悲しいことばかり続きますね。東の方にスーチライトの事務所がありましたっけ?」
ラム・シュウが頷く。遠く東の空には眩しい太陽の光が龍木の影を際立たせていた。
ラム・シュウは右腕に布をきつく巻き、事務所に入った。無数の声がしる
「ラム・シュウさん! お久しぶりです!」
事務所の人たちは皆ラム・シュウと馴染みが深いようだった。
「みんな久しぶりなんだけど、懐かしんでる場合じゃないんだよ。すまないね」
「いえ、とんでもございません。我々も現状を楽観しているわけではありませんから。いったい、なにがあったんですか?」
「クオン殿が亡くなった。自宅でだ」
ラム・シュウの口からクオンさんの訃報を聞かされると、事務所の人々は無言になった。中には涙を流す人もいる。
「処理班から四名、クオン殿の遺体を弔ってくれ。現場は悲惨だ。くれぐれも協力し合うように」
ラム・シュウの指示で処理班と思われる人たちが素早く動く。それを見てから、ラム・シュウは次々と指示を出した。
情報の管理と収集を主としている人たちには、現状を簡潔に報告してもらい、その他の動ける人たちにはテントや食事の供給の準備をさせせた。
「ヤオくんにもテントや食事の準備を手伝ってもらっていいかい?」
「もちろんです。この中でじっとしていられるほど図太い神経はしていないので」
ヤオさんは笑って、人の流れに入っていった。そしてすぐに仲間たちと談笑するのが見えた。
「彼、すごいね。どこに行ってもうまくやっていけそうだ」
そんなヤオさんを見て、ラム・シュウも笑った。
「あの、僕も手伝いに行きます!」
「私も」
僕もイトも、じっとしていられない。ラム・シュウがそんな僕らを見て微笑む。
「そうだね。だけど、二人はもう少し僕の手伝いをして欲しいな。細かい作業が多くなると思うけど。ほら、僕、これだから」
右腕をチラリと見る。たしかに、不便なことが多そうだ。
「わかりました。力を尽くします」
「なーに、そんなに気を使わないでいいよ。普通に普通に」
右肩を叩かれる。その手はひどく傷だらけだった。
そのまま、とても慌ただしく一日がすぎた。みんなが動き回ったおかげで、火が沈む頃にはある程度休息を取ることができた。
みんなの分のテントは準備できなかったが、地面に布を敷いたので、地面に直接寝ると言う事態は避けられていた。
「人をこの広場を中心に集めたのもうまく行ったね」
「はい。皆さんとても協力的で素晴らしいですね」
広場の真ん中で、なでを煮込みながらラム・シュウとヤオさんが話している。
これが今日の最後の仕事だと、二人とも意気込んでいた。
広場の真ん中には大きな火が燃えている。
「燃えすぎじゃない?」
イトと僕は少し離れたところの椅子に座わっていた。
「いいんだよ。より高く、より大きく燃えるほど、クオンさんへの敬意と称賛になるんだ」
「ふーん」
今日一日、多くの人と話したおかげで、イトの表情も話も柔和になっている気がする。それは僕も同じなのかもしれないが。
「あ、あのおじさん」
人だかりから離れたところに昼間、イトに暴言を吐いたあのおじさんがいた。
「まだいたのか。まったく、なに考えてるんだろうね」
僕は疲れていたせいもあって、怒りをそのまま口にした。そのおじさんは、高く燃え上がる炎を見つめている。シワだらけの頬が赤く染まっていた。
「ちょっと、行ってくる」
「え」
イトがいきなり駆け出した。そのおじさんのもとに着くと、そのおじさんはなにかを言ってどこかに歩いて行った。
一人になったイトのもとに行く。
「なにしてるんだよ。大丈夫だった?」
「私は大丈夫。いやね、あのおじさん、なんだか寂しそうだったから、なにか話そうと思ったんだけど……」
「だけど、どうしたの?」
イトは困った顔になった。そして目尻の辺りを掻いた。
「なぜか泣いてたの。私、名前を聞いただけなのに。それって変なことかな」
「いや、変なのはあのおじさんだよ」
「そう、だよね」
遠く暗闇の中にかすかにおじさんの影が見えた。悲しい匂いがする気がした。
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