、十三

「よーし」

 細い枝が眼球から抜けていくと、巨大な瞳はまぶたを閉じた。

「クラウくんは眠ったよ。さあ、逃げよう。いつ目が覚めるかわからないよ」

 僕はイトを背中に乗せ、ずいぶんと見慣れた龍木の穴から外に向かった。

 非常口にのあたりまできたが、ロインの姿はない。なんとか逃れたと言うことだろう。

「あれ、モク・ユクもいないですね」

 倒れていたはずのモク・ユクもいなくなっていた。目が見えないのにどこにいったのだろう。

「あの男のことだから、これくらいのことで死んだりしないよ。むしろ、より元気になってるかもしれないね。僕に言わせれば、危険な男ってやつだよ。昔からね」

 ラム・シュウは相変わらずゆらゆらと揺れている。


「なんだか体が揺れているような気がするね」

 艶々とした大きな車がロン・ダン・ガイを出た。車内には甘い匂いが残っている。

「その内、馴れますよ」

 淡々と喋るのはロイン。普段は物静かながらも健康そうな彼女だが、スーチライトの地下から逃げ出してきたばかりで、流石に疲れが見えた。

「はは、それもそうだ。馴れるだろう。なんて言ってるうちに少しずつ馴れ始めてるような気さえするよ。つまりさ、馴れるだろうと思った時点で、すでに体、もしくは精神というものは適応を始めるんだろうね」

 長々と喋るのはモク・ユクだ。その目は硬く閉じられている。

「モク・ユク様、クラウの実験の結果、私たちの体が変化することは予測できていたんですか?」

 私たち、とは植物配線をした者全てのことを言っていた。モク・ユクはカラスのように笑う。

「ロイン、予測していたといえばしていたが、もちろん何も起きない予想もしていたよ。だから、ことが起きてから、僕が全てを分かっていたかどうかを確認するのは無意味だよ」

 モク・ユクは分かっていたのだろうと、ロインは思う。しかし、怒りが湧くわけでもない。別に、馴れてしまえばいいのだ。これくらいのこと。

「とは言っても、ここまでになるとなは。うん、この揺れてる感じには馴れてきたけども」

 モク・ユクの言葉が詰まる。

「どうしましたか?」

 ロインは車の運転を止め、モク・ユクの目を見た。また、目を開こうとしている。

 目蓋が音を立てた。大きな摩擦音が鳴る。木でできたその目蓋は破片を落としながらも形を変えなんとか開いた。

「これにはどうも馴れることができなそうだよ」

 木でできた眼球を指で叩きながらモク・ユクは言う。とても軽い音が車内に響いた。

 一度開いた目蓋は閉じることがなく、ひん剥かれた瞳が虚空を見つめている。

 モク・ユクは笑っていた。


「ラ、ラム・シュウ殿で間違いないんでしょうか?」

 スーチライト本社の非常出口から外に出ると、夕暮れをバックにして、運転手の若い男が待っていた。

「僕はそのつもりなんだけど、どうなんだろうね。もう君が判断していいよ」

 若い男はこの喧騒の中で爽やかな笑顔だ。ラム・シュウも穏やかな表情で、夕暮れのオレンジ色をした光も相まって、いつも通りの午後だと勘違いしそうだ。

「その、喧嘩を売ってると捉えられかねない発言を躊躇なくする様子を見ると、やはりラム・シュウ殿のようですね。それと、ユアンさんとイトさんと……」

 きっと、クラウとロインがいないことに気が付いたのだろう。それ以上はいうのを止めていた。

「あの、なんでお兄さんはここにいるんですか?」

 僕が聞くと運転手の若い男は目をわざとらしく見開いた。

「もちろん、あなた方を待ってたんですよ。僕が大切な仲間を置いて逃げるような男に見えますか? もう一人の運転手のように」

 回りくどく嫌味っぽいが、ひたすらにいい人だと言うことはわかる。

「ありがとうございます。ちなみに名前を聞いてなかったんですけど。教えてもらっていいですか?」

 車に案内されながら僕は聞く。

「やっと聞いてくれましたね。待ってましたよ。私の名前はヤオ・ラップ。ヤオって呼んでください」

 ヤオが運転席に座り車が走り出す。車内はラム・シュウの細い枝のせいで窮屈になった。

 窓から街を眺めると、想像よりもはるかに崩壊している。建物のほとんどは崩れ、なぜか龍木は育っているところが多い。朝来た時には見かけなかったはずだが。他には彷徨い歩く人々がいるだけだ。

 みな、行先などないのだろ。しかい、僕はらそのことに触れなかった。

 車は、静かに音を立てながらロン・ダン・ガイを出た。

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