、十
僕に与えられた選択肢はあまりにも少なかった。進むか、逃げるかの二択だ。
しかし、たった二つの選択でさえ僕には決断ができない。
先に進めば見たくないものを見てしまう。逃げてしまえば、もう、知ってしまうことはないだろう。
足が進まない。それどころか、扉とは反対の方向に向いてしまいそうだ。そんな僕に見かねてか、イトが言う。
「ユアン。考え事は後にして。とりあえず前に進むよ。クラウを見つけて、ラム・シュウと二人まとめて担いで帰るの」
そして歩いて行ってしまった。服が伸びきって、僕もついていく。
きっと、選択肢は一つしかなかったのだろう。イトは進むに決まってるし、それを無視して逃げるなんてことできるはずがないから。
全員助けて帰る。そう、僕たちはみんなで帰らなくちゃいけないんだ。
「中を覗くよ」
倒れているモク・ユクを横目に、部屋の中を覗いた。息を止めても感じるほどに甘い匂いが充満している。
が、その甘い匂いがなければ、卒倒してしまうんじゃないかという光景が広がっていた。
龍木が網目のように張り巡らされ、その隙間から赤いゼラチンのようなものが、押し出されている。
「う、なにこれ。気持ち悪い」
赤いゼラチンのようなものが、龍木の密度が低い穴のようなところから、飛沫をあげながら流れ出してきた。
穴の中は、ゼラチンのようなものがベットリとまとわりついた草木が生い茂っている。
「あの奥になにかある」
僕はイトに言って進んだ。
さっき、イトが進んで僕の迷いが断たれた。だから、ここは僕が躊躇なく進もうと思っていた。
しかしイトは立ち止まってしまった。口を覆っていく服が伸び切り、僕も進めなくなる。
「行こう。止まってたってしょうがないよ」
「くる」
「え、なにが」
突如、頭に違和感が生まれた。
音が聞こえた。高速で飛んでいるような音だ。ただ、僕の体は地上にある。頭をイトに掴まれていた。
「また、もらうからね。まだ、大丈夫だよね」
よく見ると、イトの右手は頭の中に入り込んでいた。なにかを探している。
ああ、この感じ。懐かしい。すごく懐かしい感じがした。常に緊張感があって、まったく予想していないタイミングで刺激を感じる。
「ごめんね。また少しだけもらったから」
右手が頭から抜けていく。
目の前にはイトが立っている。赤い飛沫があたりを汚し回っていた。
「動くな!」
イトにそう言われ、じっとした。やがて、飛沫が収まった。
「ユアン、このまま進むよ」
また、イトの髪の色が桃色になっている。それと、教科書で見たことがある、古い紙でできた傘が握られていた。見事な朱色だ。
「その傘、どうしたの?」
「しらないよ。いつの間にか持ってた。でも、これがあれば行ける」
片手で開いた傘を突き出しながら、イトが進んでいく。僕は口を隠す布に引っ張られるようにして追いかけた。
穴の中は、呻き声が充満してた。それと、クラウの匂い。
「もうすぐだよ」
「わかった」
傘のせいで前が見えない。ただ、だんだんと生茂る草木の密度が低くなっていることは分かった。そのまま進むと、ずいぶんと開けた場所に出た。
壁全体が龍木に包まれていた。洞窟の中に入ってきたようだ。
その壁には、横にまっすぐ伸びた光の線がある。イトやクラウ瞳の光と同じ色をしていた。
「お兄ちゃん、どうやってここまできたの?」
ロインの声がする。やっと、ラベンダーの匂いに気がついた。クラウと甘い匂いに気を取られていて、気がつかなかった。
端にしゃがみこんでいる。
「大丈夫か。とにかく、ここから出るんだ」
「うん。だけど、赤い飛沫のせいで出られない」
ロインは、平気な顔をして言った。普段通りの態度。
イトが朱色の傘を掲げてロインに言う。
「大丈夫。それは私がなんとかするから。ほら、さっさと行きなさい」
僕とイトを交互に見て、小走りで駆け出した。穴の中に入ってすぐに見えなくなる。ラベンターの匂いもかき消えた。
「じゃあね、お兄ちゃんとイトさん。もし逃げるときには、私のことは探さなくていいよ。もしかしたら、探す気もなくなってるかもしれないけど。じゃあ、またどこかで」
暗い穴の向こうで、ロインの声がこだました。
クラウは確かにここにいるはずだが、どこにも見当たらない。
「どうなってんの? もっといけるところがあるのかな」
「いや、でもここのはずだ。匂いがこれ以上強くなるはずない」
壁の横にまっすぐ伸びた線から、赤いゼラチンのようなものが流れ始めた。
「イト!」
「わかってる!」
傘を広げた瞬間、赤いゼラチンのようなものが光線のように溢れ出た。次第に線が太くなる。
しかし、朱色の傘をその全てを受け流した。
勢いをなくした赤いゼラチンのようなものたちは、龍木に吸収されていく。
「なんとか大丈夫みたい」
イトが呼吸を荒くしていた。
ふと、この部屋全体が明るくなっていることに気がつく。
イトも気がついたのだろう。朱色の傘をどけた。
すると、先まで横にまっすぐ線が伸びていたところに、巨大な眼があった。その瞳からは宇宙の光が溢れていた。
「お姉ちゃんとユアン兄さん?」
初めて聞いた声だったが、クラウだと、すぐ気がついた。
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