、七

「思考者。簡単に説明すると、スーチライトの機密事項の管理者のことだね」

 説明しながら、ラム・シュウは壁に沿って歩いていく。僕らは静かについてく。

「多分、この下の階ってなると、こっちの方にある非常階段からいけるはずなんだ。クラウくん、大丈夫かなぁ」

 ラム・シュウが弱音ばかりを吐いている。

 電気は復旧する様子が全くない。イトの表情も暗い。

 一体何が起きているのか、いくら考えても分からないのだが、考え込んでしまいしばらく無言になった。イトもおんなじなのだろう。その不安を感じてか、ラム・シュウが口を開いた。

「僕が今回、ここについてきたのは、理由があるんだ」

 一瞬ためらい、また言葉を放つ。

「ロインの見た目、植物配線で変わっていただろう。それを見てどう思った?」

 僕に聞いているのだろうか?

「僕は正直、異様な見た目だなと思いました。あと、イトとクラウに似てるなって、思いました」

 ラム・シュウは足元のゴミを蹴る。

「そう。イトとクラウに似ている。僕もそう思ったんだ。たったそれだけのことなんでけど、妙に胸騒ぎがしてね。とりあえずついて行くことにしたんだ。まあ、久々にここに顔を出したいって理由もあったけど」

 揺れは収まっている。しかし、なにか音がずっと鳴っていた。

「で、来てみればイトとクラウと同じ色の植物配線者はいなかっただろう。それに、クラウのような男の植物配線者もいない。それでさ、なんか怪しいと思ったんだ。植物配線を提供している会社のアイニーパブロフって、スーチライトにクロワッサンの技術を提供してるだろ」

 なにかの音は、呻き声のようだ。少し小さくなる。遠くに非常階段の目印が見えてきた。

「詳しくは僕も知らないんだけど、どうやらアイニーパブロフからの技術提供の裏には、思考者どうしの繋がりがあるらしいんだ。つまりね、怪しい関係なんだ。だから僕は嫌な予感がしてたんだよ」

 非常階段のドアを開ける。カビの匂いが流れ出した。すぐに中に入る。音が反響しやすく、うめき声が耳にまとわりついた。それと、明らかにクラウの匂いが強くなる。

「まぁ、今の話が、この状況と関係ないことを祈るけど」

 余計に不安が募るだけの話だったが、無言よりははるかに気が楽だった。

 うめき声は、いつの間にか歌に変わっている。


 いや、泣いているのだろうか。だれかの歌だ。聴いているだけで痛みが手にとってわかるような声で歌っている。

 非常扉の向こうには細く長い廊下がある。そこを不安がつきまとう中、歩き続けた。

 五分も経たずに下の階に進むための階段に来られた。が、シャッターによって道は断たれていた。

「非常事態に非常階段が使えないって、意味ないよね」

 ラム・シュウがそう言ってヘルメットを外した。ライトのあたりを見ている。

 ざっと見終わると、頭に装着していれば側頭部の右側に位置するところを親指で押した。

 一度その部分が引っ込み、親指を離すと小気味良く開いた。小さな折りたたみ式の刃物が入っている。

 左手に取り、右手で刃の部分をゆっくり出した。

「動くかな」

 ラム・シュウは弱々しく呟きながら、柄の終わりからは出ている人差し指が入るくらいの輪っかに指をかけ、思い切り引いた。

 なにも起こらない。輪っかはまた元の位置まで戻っていく。もう一度、引いた。一度目とは僅かに音が違った。もう一度同じ動作を繰り返すと、刃物は音を立て始める。

「良かったー。ちゃんと動くよ」

 そのままシャッターに向かい、小さな刃物を突き立てた。

 安い包丁で安い肉を切る様になんども刃を動かして切っていく。少し時間が経つと、刃物についた輪っかを引き、また作業に戻る。

 僕も手伝うためにヘルメットから同じ様に刃物を取り出し、同じ様に輪っかを引いた。刃物が小刻みに揺れている。どうやら、簡易採掘用の刃物をさらに小型化したものの様だ。振動と発熱が始まっている。

「こっちのはもうダメだ」

 ラム・シュウの刃物には、溶けたシャッターがくっつき固まったせいで使い物にならなくなっていた。ダメになった刃物を受け取り、今つけたばかりの刃物を渡す。

 僕の刃物もすぐダメになり、イトのヘルメットから新しい刃物を取り出す。

 シャッターには一人が頭から入ってようやく通れるくらいの、歪な丸い穴があと少しで開きそうになっている。

「ユアン君、ちょっとここを押し込もう」

 わかりましたと返事をして、その歪な丸い穴の形をしたシャッターを押し込んだ。型抜きのように同じ形が向こう側に少しだけ折れる。

 穴の向こうを少しだけのぞいてみると、こちら側と同じで暗いがクラウの匂いが強くなった、誰かの歌も大きく聞こえる。

「もっと押してみようか」

 ラム・シュウが僕に言い、二人でさらに押し込む。人が通れるくらいになった。

 ラム・シュウ、僕、イトと、順番にむこう側へ行く。シャッターの切り口は鋭利で、少し腕のあたりを切ったが、無事に穴を抜けることができた。

 一旦呼吸を整える。強く臭うクラウの匂いのなかに、なにか花のような匂いもする。

 歌が叫び声に変わった。聞くに耐えないほど大きいが逃げる訳にも行かない。

 僕らはその先にある階段を降りる。踊り場で折り返した所で微かに光を感じた。光は、少しだけ開いている非常口の隙間から溢れ出している。

「光を消して」

 ラム・シュウがささやく。僕らはヘルメットの光を消した。

 隙間からは呻き声と一緒に話し声が聞こえた。それと、明らかにクラウの匂いがする。そのことを言おうとしたが、イトが聞いたらすぐにでも飛び出して行ってしまいそうで渋っていると、イトが小さな声で話し出す。

「多分、あの光の向こうにクラウがいる」

 僕が言わなくても、クラウの存在を感じていた。二人は特別な力でつながっているのかもしれない。

「どうしてそう思うの?」

 ラム・シュウが聞く。するとイトは僕を見て言う。

「こいつの顔に書いてあんの!」

 どうやら僕は嘘がつけない人間の様だ。

「僕が様子を見てくるから、二人は待ってて」

 ラム・シュウが小さな声で言ってから、靴を脱ぎ、一人で光の方に行った。

 音を立てずに進んでいく。僕は言われた通りに待っているが、なにかあった時にはすぐ駆けつけることができる様に身構えていた。隣にいるイトも、同じように身構えている。

 ラム・シュウが非常口の前に着き、中を覗こうとした。

 僕とイトは踊り場の折り返し部分で身を隠し、顔だけを非常口がある通路に出している。

 隣を見ると、イトの髪の色がまた、桃色になっていた。

 その桃色の髪が揺れた。考えるより先に体が動き身を隠す。踊り場の壁に、誰かの千切れた腕が叩きつけられた。次に様々な破片が飛び、最後に赤い臓器のようなものがべっとりとくっついている。

「逃げろ!」

 ラム・シュウの叫ぶ声が聞こえる。

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