。七

 雨の音で目が覚めた。僕が伸びをして起き上がると、その音でイトとクラウも目を覚ましたようだ。

 両手が生臭い。昨日、家についてから魚の仕込みをラム・シュウと一緒にしたからだ。肝心のイトはシャワーを浴びてすぐに寝たのは気に入らないが、仕込み自体は楽しいものだった。

 寝癖も直さずに下の階に行くと、エプロン姿のラム・シュウがいた。

「お、ちゃんと起きたね。さあ、準備をしちゃおうか」

 スパイスの効いたトマトのスープを煮込んでいるようだ。

 僕たちは洗面台に向かった。顔を洗い歯を磨く。歯ブラシはいつの間にか、人数分用意してあった。

 準備を終え戻ると、机の上にはトマトスープと歯応えの良さそうなパンがあった。

「さあ、食べようか」

「あれ、昨日作った魚は?」

 お前は作ってない、と思うが、ぐっと気持ちを抑えた。

「イト、あれはもっと漬けないとできないんだって」

 昨日、ラム・シュウに教えてもらったばかりの知識を教えてあげると、

「ふーん。じゃあ我慢する」

 と素直にパンを口に頬張った。


 とても硬いパンだ。口の中がズタズタになる。イトもクラウも食べるのに手こずっているが、ラム・シュウは早々と食べ終え、奥の部屋に入った。

「なにこのパン! 硬すぎ!」

 イトがすぐに口をこぼし始める。

「でも、腹持ちがいいんだって」

「あのね、ハラだかモチだか知らないけどね、口が持たないっての」

 クラウが静かに頷いている。しかし、食べないわけにもいかない。

 時間をかけながらご飯を食べていると、ラム・シュウがスーツを持ってやってきた。

「食べ終わったらこれに着替えてね」

 僕たちが着る為のもののようだ。本部に行くのだ。正装じゃなければいけない。

 それにしても、クラウも着られる子供用のスーツまであるのに驚いた。

「うん、ちょうどあってね」

 といい、どこか遠くを見るような目で少し微笑んだ。

 食事を終え、着替える。僕のスーツは少しだけ大きかったが、イトとクラウはぴったりのサイズだ。

 出発の準備を整える。ロン・ダン・ガイまで行くのには丸一日はかかるらしい。食料と水をカバンに詰めた。

「よし、準備オッケーだ。もうすぐ車が着くと思うから、ゆっくりしてて。あっそういえばユアンくん。君の妹も迎えに来るみたいだよ」

「えっ、ロインが?」

 不思議だ。こんなところに何度も来たって面白くないだろうに。いや、もしかすると、この仕事に興味があるのかもしれない。あとで紹介してやろう。


 トイレに行ったり、少し散歩をしたりして時間を潰し、昼ごろに、ロン・ダン・ガイ行きの車が二台到着した。四人乗りの小さな車だ。

「また車かぁ」

 イトが言う。大きなため息も聞こえた。たしかに、最近は車に乗ってばかりだ。僕も嫌な気持ちがあった。

 二台の車が雨水を弾いている。

 窓がゆっくりと開き、中から髪の長い女性が顔をのぞかせた。

「久しぶり大丈夫だった?」

 と抑揚のない声で言った。その声でやっと気がつく。ロインだ。だけど、髪の色と目の色が鮮やかな青色に変わっていていたし、なにより匂いが変わっている。どういうことだ?

「ロイン、なのか?」

「うん、迎えに来た」

 花のような香りがする。ラベンダーの匂いだ。ラム・シュウも、明らかに異様なその姿をじっと見ていた。

 僕はロインに聞く。

「なんか、変わったね。なにがあったの?」

 ロインは笑っている。

「え、知らないんだ。でも昔からお兄ちゃんってそうだったよね。流行に疎いっていうか」

 結構きつい内容を淡々と言われる。

「それはわかったから、一体なにがあったの?」

 質問になかなか答えないのはロインの癖だった。実際に会話したのなんて僅かだったけど、それでも分かるくらいだった。

「まずはさ、車に乗ってよ。お話はいくらでも出来るんだから」

 ロインはウィンクをした。まったく、どこで覚えてきたんだか。


 ラム・シュウとイトとクラウはうしろの車に、僕とロインは前の車に乗り、ロン・ダン・ガイへと向かった。

 ゆっくりと車が走り始める。

「まさか、ラム・シュウさんも来るなんて思わなかった」

「僕は当然、一緒に行くもんだと思ってたよ」

「普通、管理者は塔を離れないの」

 ロインはそう言って青い爪をいじり始めた。髪の毛がふわふわと揺らいでいる。

「なあ、その髪と目と爪、なにがどうなってるんだ?」

 車に乗る前にした質問をまた投げかける。

「やっぱり気になるんだね」

「もちろんだよ」

 ロインが笑った。今まで見たことがないような笑い方だ。なんというか、あまり好きではない笑い方。

 青い髪がふわふわと揺らいだ。そして、まるで手のようにその髪で俺の頭を撫でてきた。

「こんなこともできるんだ。色が変わったのも、瞳が青いのも、全部、植物配線のおかげなの」

「植物配線?」

「そう。あ、この爪は塗ってるだけだよ」

 そう言って、爪を見せてくる。まだ塗り始めたばかりなのだろう。少しムラがあった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る