_八
少女は右手に掴んだ剣を見ながら言う。
「よくわからないけど、これで、なんとかなりそうね」
そして自信ありげな表情を浮かべた。もしかして、あの化け物と戦おうとしてるのか?
「逃げようよ、この隙に逃げるんだ!」
「なに甘っちょろいこと言ってんの」
「甘っちょろいってなんだよ!」
怒鳴ったが、僕の言葉を聞く前に少女は駆け出していた。
仕方なく、男の子に待っててと言い残し追いかける。
ツタの怪物は迎え撃つように、いくつかの触手を鋭く尖らせた。少女が持っている剣に似ている。
どうやら少女の剣を真似たようだ。しかし、どれだけ精巧に模倣したとしても、それだけでは意味がない。
幸い、あの怪物は使い方がわかっていないようすだ。素人目に見ても分かるほど、デタラメな剣の振り方をしている。
いつのまにか、少女は怪物の足元にまで行っている。怪物の、海に漂うクラゲの様な剣さばきを余裕でかわすと、自らの剣を一振りした。
いくつもの触手が、たやすく切り裂かれる。見ていて爽快だ。根元から切り取られた触手たちは、穴の空いたクロワッサンの至る所から、蓮の実の様に飛び出し疼いていた。
「死ね! 死ね!!」
少女は大きな声で叫びながら、無数にある怪物の触手を切り刻んでいく。数秒後には、足の部分が全て切り取られていた。短くなったツタの根元が蠢いている。まだ生きているのだろう。そもそも、あの化け物は死ぬのだろうか?
「ここか?」
少女はクロワッサンに開いた穴の中にびっしりとひしめくツタをひたすら切り飛ばしている。奥に入ろうとしているらしい。
やっと少女の近くまで来たが、刻まれたツタがこちらまで飛んできて、僕は気絶しそうになった。
「気をつけてくれよ」
少女は反応しなかった。無数のツタを切るのに夢中になっている。
僕は地面いっぱいに落ちているツタを手にとってみた。が、全く動かない。おそらく、本体側から切り離せば死ぬってことだろう。その本体はどんな見た目をしているんだろう。ひょっとこのお面だろうか。
「あとっ、少し!」
クロワッサンの中は、見るからにツタの密度が低くなっている。
「もう、行けるな。行ってくるね」
少女は剣を振りながら中に入っていく。
この怪物は死ぬんだ。そう思うと、自分が落ち着きを取り戻すのがわかった。
しかし、そこであることに気がついた。
「まって!」
そう言いながら僕も中に入っていく。
「ん? いきなりどうしたの?」
中は血の匂いが充満していた。すでに少女は、怪物の本体を見つけていた。剣を突き立て、今にも首をはねようとしている。
「なに、いきなり待てって?」
「ごめん、ただ、まだ殺さないで」
「じゃあ、こいつはどうすんの?」
少女は剣をおろすことはなく、そのままの姿勢でそういった。どうするのか、それは、怪物の本体に聞くことだ。
「まだ言葉が伝わるのなら、返事をください。サイモンさん」
サイモンさんの体とつながっていたツタがビクッと動く。意識がないように見えたが、僕の言葉に少し反応しているみたいだ。少女は驚いている。
「知り合いなの?」
「うん。荷物置きに乗ってた人だよ」
「え、でも、その人亡くなってたはずでしょ? しかも、なんでその人ってわかるの? だって、顔なんてもう潰れちゃってるのに!」
確かに、その姿からサイモンさんとわかる部分はなかった。でも、匂いでわかる。
「分かるんだ。サイモンさん、僕です! 生きてるんですよ、僕たち!」
すると、ゆったりと動いていたツタは静かに床についた。そしてサイモンさんが喋り始める。
「あれ、ユアンか。それとイトもいるのか。そうか、俺は死んだんだな。でも、やっと会えた。みんなこれで一緒だな。よかった」
「なに言ってるんですか、サイモンさん! 僕たち生きてるんですよ!」
「生きてる? えっと、俺はどうしてこうなったんだっけか? 確か、お前と炭鉱に行って、鉄の塊を見つけて……」
そこまで言うと、サイモンさんはうめき声をあげた。
「そうだあ。 俺は、俺はもう怪物になったんだあ。あー、思い出した。思い出したよユアン! くそったれ。なんで殺さなかったんだ! おい、くそったれ!」
全てのツタがまた意識を持ち出したその時、少女は躊躇なくサイモンさんの首をはねた。宿主の意識を失い、ツタはその形のまま静止した。
「ここから出ましょう」
僕は頭が真っ白になる。
「ふざけるな! なんで殺したんだ! おい!」
気がつけば少女の首を掴んでいた。
「あなたも、聞いてたでしょ!」
もちろん聞いてたに決まっているじゃないか! 自分が怪物になってしまったと気がついた人間の最後の言葉。でも、だからって、あんなすぐに首をはねるなんて。気持ちの整理がつかない。
少女は次に、サイモンさんの体を分解しようとまた剣を構える。
「まって、このままにしておこう」
「なんでよ。だって、また生き返るかもしれないのに……」
「そんなこと、わかってるんだよ」
それ以上、なにも言わない。少女もなにも言わなかった。
ただ、構えた剣を下ろしていた。僕たちはこの化け物との戦いに勝利した。
クロワッサンから出ると、すぐ近くまで来ていた男の子が少女に抱きついた。
「ごめんね、置いてけぼりにしちゃって」
僕は声をかける代わりに、頭を撫でてみた。
薄暗い森の中、先ほどまでの騒がしい音もなくなり、妙な寂しさが残る。
「ごめん、私なんか疲れちゃった」
少女はそんなことを言いながら地面に座り込み、クロワッサンにもたれかかった。男の子も隣に同じように座ってもたれた。そして、間も無く寝息を立て始めた。
寝ている場合じゃない。だけど、この戦いでクロワッサンは壊れてしまい、どっちが帰路なのかも分からなくなってしまった。もう、なす術はない。
地面に座り、僕も抜け殻のクロワッサンにもたれかかる。
短い人生だった。あまり幸せなことはなかったけど、人生で唯一尊敬することのできた、サイモンさんが死んだこの場所で僕も死ねる。それも案外、悪くないんじゃないかと思っていた。
もう、ほとんどがどうでもいいことだった。なにより疲れていた。サイモンさんの血の匂いがやけに鼻をつく。
そこで、意識が途切れた。
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