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 そして案の定、次の瞬間に叫び声のような音が鳴った。無数のツタが、クロワッサンの尻尾部分の壁を歪ませながら這い出てくる。その勢いのまま、ネジはチューイングガムのようにやすやすと曲げられ、操縦席と尻尾部分は分離してしまった。

 クロワッサンは、操縦席だけになってしまった場合でも、非常用の燃料でわずかに動くことができる。それでも、城の帰ることは確実に無理だが。

 操縦席だけになったクロワッサンで、僕は急いで尻尾部分から離れる。頭をなくした尻尾からは無数のツタが寄生虫のように這い出ていた。

 無数のツタはまず地面を探し始め、たどり着いたツタたちはその地面を押していた。生まれたての鹿のように、今にも立ち上がりそうだ。

 地面から遠いツタのほとんどは、尻尾部分の中に一旦戻り地面の方から出直していた。それ以外のツタは、周りの状況を確かめる為だろうか、周りの木々を執拗の撫でている。そうしながら三十秒ほどで安定した形を見つけ、歩行を始めた。ゆっくりと僕達は追われる。

 必死に逃げるが、ツタの化け物は歩き方を学習しているのだろう。すぐに速度が上がって来る。

「起きるんだ! 早く!」

 非常用の燃料は底をつきそうだ。警告音が鳴り響いている。ここから降りて逃げるしかない。緑髪の少女と男の子を叩き起こす。

 二人は一度は目を開けたが、しかし、また眠ろうとしている。

「起きて、走って逃げるんだ!」

「うるさいなぁ。あー頭痛い」

 少女の戯言には返事をせずに僕はヘルメットを外した。クロワッサンは急な信号の停止によって、音もなく動きを止めた。

 間も無く、体勢が崩れ操縦席が地面にぶつかる。大きな衝撃が一度あったが、幸い怪我や打撲もなかった。むしろ、少女の目覚めを促進してくれる効果があった。

 目覚めた少女は僕の表情を見て、すぐになにか危険な状況だということを察し、素早くあたりを見回していた。

 ツタの怪物を目に捉えると、無言で僕を見た。宇宙の目だ。恐怖はない。強い瞳。

「行こう」

 少女にそう言い、僕は操縦席のドアを開けた。新しい風が入って来る。空調では永遠に手に入れることの出来ない風、生きた風が僕の肺胞を満たした。

 同時に、排他的な木々たちの湿った鉄の匂いや甲虫類の食べた腐葉土の匂いがした。ドアの向こうは少し地面から遠い。だが、男の子をおんぶしたままでも飛び降りれるくらいの高さだった。まだ寝たままの男の子をおんぶして、迷わず飛び降りる。少女もなんの躊躇なく飛び降りた。

 まだ微かにサイモンさんの血の匂いがするツタの怪物の方を見る。もう数十秒でここまで来そうだ。

「あと三十秒くらいじゃない?」

「そうだね」

 少女はツタの怪物から目をそらさず、じっと観察をしている。

「あれ、止まった。寝てんの?」

 ツタの怪物はたしかに動きを止めていた。汚い水の中に住んでいる寄生虫のようなうごめきもなくなって、それは完全な停止だった。

 やばい。

 僕だけじゃなく、少女もそれを感じていた。まただ。嵐の前の静けさ。僕は少女と男の子をかばうように身を伏せる。

 が何も起きない。顔を上げてみる。

 ツタの怪物は、ひょっとこの時のように気がつくとそこにいた。


 触手が、さっき降りたばかりのクロワッサンの操縦席の中を這いずり回っている。ツタが力を込める時に膨らんだり擦れたりする音が叫び声のように聞こえた。 

 次に、無数の触手がクロワッサンの操縦席を囲み始めた。そして全て包みこみ、大きな卵のようになった。筋肉の軋む音がまた鳴り、卵が小さくなっていく。ヒト一人分くらいの大きさまで小さくなると、ツタは一斉に本体の方に戻っていき、僕らの乗って来た操縦席は、鉄の塊になり地面に突き刺さった。ツタの怪物は、そのまま動きを止めた。

 そこでやっと僕は息を吐く。ツタの怪物はゆらゆらと触手を空に漂わせていた。少女はじっと僕を見る。男の子は背中で眠ったままだ。

「あの怪物、僕たちに気がついてないみたいだ」

 小さく言ったので聞こえているが不安だったが、少女は頷く。

「あいつ、目的は何?」

「僕らを消すことじゃないかな。クロワッサンの破壊が目的だったらいいんだけど」

「じゃあ、クロワッサンの破壊が目的なら私たちは無事お家までたどり着けるってこと?」

「うん。そこまで体力が持てば」

「そっかぁ。頑張るぞ」

 そんな冗談も小声で言いながら、怪物からは一瞬も目を離さずにいる。

「あいつの狙いは、私たちかな」

「多分、そうだと思う」

「たぶん、あいつが私たちを見つけたら、殺されちゃうよね」

 殺しに来る。もちろんそうだ。目の前の鉄の塊になったクロワッサンを見て、最悪の未来を想像した。小さな小さな骨の塊。そんなイメージを振り払いながら言う。

「逃げ切るんだ」

「うん」

 そう、逃げ切るんだ。とは言ったものの、頭の中には小さな骨の塊がぽつんと置かれたままだった。

 静かに立ち上がる。背中の男の子が重たい。まだ寝たままだ。よっぽど疲れているのだろう。

 少女に小さい声でこう言う。

 「なるべく静かに歩こう。音に反応する可能性がある」

 そして静かに右足を地面から持ち上げ、ゆっくりと進行方向に持っていき、たっぷり水を注いだコップを運ぶような慎重さで、そのかかとを音もなく地面に置いた。

 ツタの怪物の触手はゆらゆらと漂ったままだ。

 次は左足。同じように地面から持ち上げ、ゆっくりと地面に下ろす。少女も同じように右足からゆっくりと歩く。次は左足。

 暗い森の中だ。足元が見えづらい。地面は龍木の窪みが至る所にある。

 少女がその窪みのどれかに気づかなかったようだ。左足を地面に下ろすと。窪みに足を取られ体勢を崩した。

「あっ!」

 小さく叫ぶ少女。血の気が引いていく。絶望が身を包んだ。

 ただ、少女は転ばずに、なんとか立て直した。

 恐る恐る怪物の方を向く。どうやら、こちらに気づいてないようだ。

 が、背中の男の子がは少女の悲鳴に反応した。

 いきなり僕の背中から飛び降り、少女のもとに駆け寄ろうとする。

「ダメ! 静かにして!」

 しかし、もう遅かった。

 怪物はいつの間にか目の前にまで来ていた。ゆらゆらと漂っていた触手たちは、すでに僕と少女と男の子を包み込み始めていた。

「ごめん」

 二人にはそう言うことしか出来なかった。暗くなっていく。もう、逃げることなんてできない。

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