_四

 嫌な予感が脳をかすめた。血にまみれたひょっとこの顔だ。

 荷物置きの中のサイモンさんの、血の匂いが鼻をつく。暗闇が恐怖を煽る。冷たい汗が頭皮を伝い眉毛の端から流れ、右の目尻から染み込んだ。

 その後も、ガタゴトと、物音が鳴り続けた。後方を見てみるがなにも確認できない。

 一度降りて、後ろの物置からなにからを見て回りたかったが、燃料のことを考えると余計な行動はできなかった。

 何かが起きてから対応するしかない。

 そもそも、この物音の正体がひょっとこのあいつと関係があると決まったわけではない。それはただの悪い予感というだけだ。あんな訳のわからない生物に二度も出くわす可能性なんて、きっと低いだろう。

 そう気持ちを落ち着かせた。

 宇宙の瞳を持った二人は未だに夢の中にいる。後方では物音が少しづつ大きくなり僕の精神を衰弱させた。部屋の中に、虫が動く音だけ聞こえているような不快感だ。

 敏感になった鼻腔をサイモンさんの血の匂いが執拗に刺激し続け、気が狂いそうだ。気を紛らわす為に、この森の外のことを思った。もう、夕暮れになっているだろうか。もしくは夜になっていて、せっかく森から抜けても、真っ暗かもしれない。

 物音と、二人の寝息がずっと聞こえる。

 他にはクロワッサンが木々をかき分ける音。見えるのは淡い光に照らされた操縦席と、二人の閉じた瞳から溢れ出す宇宙の光。

 この森に入ってから何時間くらい経ったのだろう。時間も分からなければ、進んだ距離の実感もない。

 ふと、集中が切れる時、いや、集中の向かう先が外の物事から、自分の内面になった時のことかもしれないが、とにかくその時に僕は、サイモンさんのことを思い出した。

 そうして、何度か思い出す旅に、少しずつサイモンさんが死んでしまったのだと実感した。


 僕とサイモンさんと出会ったのは、僕が高校を一年でやめ、炭鉱夫という、今の仕事を始めてからだ。一年ほどだったと思う。

 思えば、たった一年の間だったが、僕らは良いチームだったんじゃないだろうか。サイモンさんは面倒見がよく、なにもわからない僕にクロワッサンの動かし方を教えてくれた。

 それから、仕事のことだけじゃないく、うまい人付き合い方や、家事についてのいろいろなことも教わった。本当は、まだまだ教わることがたくさんあったのだ。

 けど、もういない。あまり人と仲良くできない僕が、サイモンさんにたった一年でそれほど心を開けたのは一つの大きな理由があった。それは、僕が匂いに異常なほど敏感なことに対して、全く偏見の目を持たなかったことだ。

「泣いてるんだ。大丈夫?」

 少女はいつの間に起きていたらしい。寝起きとは思えないしっかりとした声が聞こえる。

 少女に言われて、僕は自分が泣いていることに気がついた。サイモンさんと出会ってからの一年間が、大切な時間だったことに今さら気がついていた。

 小型観測機で涙を拭いてから僕は言う。

「大丈夫。ありがとう」

 喋りだすと、また涙が出そうになった。

「ねぇ、喉乾いた」

 少女は、俺の情緒に気を使うことはなかったが、むしろそれはありがたかった。おがげで感傷的な気持ちが薄らいだ。

 いつの間にか男の子も起きていて、少女と同じように物欲しそうに僕を見ている。

 二人とも、どうやら、喉が乾いて起きたらしい。

 なにか言ってから水を渡そうと思ったのだが、また、涙が出てしまいそうな気がしたから、黙って水分補給用のチューブを二人に渡した。二人はそれを交互に飲み、終わるとまた静かに寝てしまった。

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