7話:初恋

「…ふふ。水蓮さん、なんだかご機嫌ですね」


「そ、そうかな。あ、見えてきたよ。あれが私の家」


 水蓮が指差した先には立派な洋風の屋敷。水蓮がお嬢様であることを既に知る美桜は特に驚きはしなかったが


「で、向かい側の和風な屋敷がももの家」


 水蓮が指差した立派な和風の屋敷を見て固まってしまう。


「…姫野先輩もお嬢様なんですか?」


「ん?うん。お嬢様というか…まぁ、お金持ちではあるよ」


「…親御さんのご職業って、ヤのつくあれですか?」


「もものご両親?そうだよ」


「…やっぱり…カタギの人間じゃないんですね…」


「うん。ご両親共に有名なさんだからね」


「やく…しゃ…?じゃなくて?」


「…えっ」


「えっ?」


 お互いに顔を見合わせて固まる二人。数秒の沈黙の後、水蓮がぷっと吹き出した。


「ふ…ふふ…ヤクザって…確かにももはお嬢様というよりはお嬢って感じだけど、別にヤクザの娘ではないよ」


「な、なるほど…役者…確かにヤのつく職業ですね…」


「まぁでも、もものお父様は割とヤクザみたいな役が多いけどね。だから誤解されがちだけど、凄く優しい人だよ。…っと、着いたね。送ってくれてありがとう。…せっかくだし、ちょっと寄っていかない?お茶とお菓子出すから」


「…じゃあ、お言葉に甘えて」


「うん」


 水蓮が門の前でインターフォンを押し、しばらく待つと、ガチャリと鍵が開く音がした。扉を開けて広い庭を進み、家の玄関の大きな扉を開くと「お帰りなさいませ、水蓮お嬢様」と執事服を着た男性が頭を下げる。


「ただいま。今日はお客さんを連れてきたんだ。橘は居る?」


「はーい。あら、可愛らしいお嬢さん。例のご友人ですか?」


 水蓮が呼ぶと、台所から女性が顔を出す。


「うん。そう。おやつ、この子の分もお願いね」


「かしこまりました」


「美桜ちゃん、座ってて。紅茶入れるから」


「あ、は、はい…」


 食卓の椅子に座る美桜。流石の美桜も使用人が複数居るこの状態には緊張していた。それを察した水蓮は二人分の紅茶を持って「外行こうか」と彼女を誘い、外のテラスに移動する。

 少し冷たい秋の風が庭の木を揺らす。


「…風が気持ちいい季節になりましたね」


「君と出会った時期はまだ残暑が厳しかったもんね」


「…水蓮さんと知り合って、まだ数ヶ月しか経ってないんですね。なんだか、もっと昔から友達だったような気がします」


 照れ笑いする美桜。出会った頃は美桜に対して普通のお友達でいてほしいと望んだ水蓮だが、今はその言葉がもどかしく感じた。


(私は、最初から彼女を特別だと思っていたのかもしれない。きっと、私に対して『意外と普通の女の子なんですね』と言ってくれた時から)


 今は、友達より上の存在になりたい。そう告げたら彼女はどんな顔をするのだろうか。そう考えると、不安で言葉が出なくなる。


(のばらやみんなも、私に告白してくれた時こんな気持ちだったのかな)


 俯いて黙り込んでしまう水蓮を見て、美桜は「何か悩みがあるんですか?」と心配そうに声をかける。


「…美桜ちゃんは…その…恋人とか…好きな人とか…いる?」


「あ、恋の悩みですか。なるほど」


 美桜は困ってしまう。美桜もまた、恋の経験がなかった。それを素直に話すと、水蓮はそうなんだとホッとしたように、しかしどこか複雑そうに笑った。


「私も…今まで誰かを好きになったことが無くて、戸惑ってるんだ。…実は…ついさっき、自覚したばかりで」


「さっき?」


「うん…のばらに言われて」


「その好きな人って、どんな人ですか?」


「えっ…と…」


 どんな人と問われ、水蓮は悩む。


(…どんな人も何も、目の前にいる君のことなんだけど…。勢いで言ってしまおうか。いや、でも…)


「…水蓮さん?」


「…私の…好きな人は——「お嬢様、パンケーキが焼き上がりましたよ」あ、ありがとう…橘…」


 二人分のスフレパンケーキを持って来た橘は水蓮の微妙な表情を見てタイミングが悪かったとすぐに察した。


「も、申し訳ありません。私ったら空気も読まず…」


「えっ、あ、あぁ、いや、大丈夫だ。大した話はしていないから…ありがとう」


「失礼いたしました」


「構わない。皿は後から自分で持っていくから回収に来なくていいよ」


「かしこまりました」


 テーブルに皿を置き、頭を下げて去って行く橘。彼女が背を向けたところで水蓮が美桜に視線を戻すと、美桜はパンケーキをキラキラした目でじっと見つめていた。「分厚いですね」と、そのキラキラした目を美桜は水蓮に向けてから「いただきます」と手を合わせてパンケーキにナイフを入れた。


「うわっ!ふわふわ!…!んー!美味しい!」


 幸せそうにパンケーキを頬張る美桜。その姿を見て水蓮は「…可愛い」と思わずぽつりと呟いてしまう。


「可愛い?」


 と、美桜はフォークを咥えたまま首を傾げる。その仕草を見て、心の声が漏れてしまったことに気づき水蓮は赤面する。

 ドッドッドッドッ…と、水蓮の心臓の鼓動が、美桜に恋をしていることを激しく主張する。真っ赤になって固まってしまう水蓮を見て、美桜は察する。


(…水蓮さんの好きな人って…もしかしてわた…いや…いやいや…)


(…心臓がうるさい…どうしよう…)


 固まる二人を密かに見守る使用人達。


「お嬢様、頑張って!」


「しー…気付かれちゃう」


 美桜が彼らの視線に気づいた。慌てて引っ込む使用人達。それを見て、美桜は水蓮の好きな人が自分だと確信して苦笑いする。


「…あの、水蓮さん、水蓮さんの好きな人って…「い、言わないで…」」


 真っ赤になった顔を覆って恥ずかしそうに呟く水蓮を見て、美桜もつられて赤面する。そして、転入する前に友人に言われた言葉を思い出す。


『恋ってのは理屈じゃなくて、ある日突然落ちるものなんだよ』


 自分と同じ、中学を卒業したばかりの子供のくせに…と思っていたが、今この瞬間、美桜は友人の言っていたことを理解した。


「…可愛いのは、貴女の方だと思います」


「へ…可愛い…って…私が…?」


 カッコいいとは言われ慣れている水蓮だが、可愛いという褒め言葉を彼女に使う人間はほとんど居ない。


「…私、貴女のこと好きみたいです」


「へ…好き…って…」


「…友人が言ってたんですけど、恋って、ある日突然落ちるらしいんです。…真っ赤になってる水蓮さん見てたら…なんか…胸がキュンとして…多分私、今この瞬間、貴女に恋に落ちてしまったのだと思います。…いえ、もしかしたら、もっと前からかもしれないですね。…前々から、貴女のこと可愛い人だなと思っていましたから」


「えっと…つまり…好きって…」


「はい。貴女の恋人になりたいという意味です」


「…こ、恋人…」


「…はい。でも水蓮さん、好きな人居るんですよね…」


 わざとらしく深いため息をつく美桜。


「う…君…分かってるよね」


「はい?」


「私の好きな人…分かってるよね」


「いいえ。見当もつきません」


「…君だよ」


「キミさんですか?」


「もー!」


 水蓮を揶揄い、くすくすと笑う美桜。


(…両想いなら、言うしかないよね)


 伝えたらどんな顔をするのかと言う不安はもう、水蓮の中からすっかり消えていた。


「…私は、美桜ちゃんが好き」


 真っ直ぐに美桜の目を見て言葉を紡ぐ。その言葉を聞いて美桜は優しく微笑んだ。


「…私と付き合ってほしい」


「…はい。喜んで」


「うん…ありがとう」


「ふふ。よろしくお願いしますね」


「…うん」


 こうして、二人は付き合うことになった。

 二人が付き合い始めたことは瞬く間に学園中の噂になり、美桜は転入してたった数ヶ月で学園中にその名を轟かせることとなった。

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