第4話

 英梨奈が同じ高校にいたことは、シマ唄から距離を置きたい李心にとっては誤算だった。しかし、英梨奈は李心を勧誘することもなく、李心の心配は杞憂に過ぎなかった。


 五月になり下宿生活にも慣れてきたある日、家に帰ると叔母が声をかけてきた。


「おかえり。リコちゃんに荷物届いとったから、部屋に入れとるよ」

「ありがとう」


 リコは礼をいうと間借りしている自室にむかった。

 部屋は和室の六畳間。中央に小さなテーブルと、窓際にベッドがあるだけのシンプルな部屋だ。その部屋に居座る巨大な段ボール箱からは甘酸っぱい香りがしていて、中身がだいたい予想できた。

 箱を開けた李心は「最悪」と思わず顔をしかめた。

 中からは実家の畑で収穫したらしき大量のスモモが入った袋と、三味線のケースが出てきた。

 李心はすぐさまスマートフォンを手にして実家に電話する。コール三回で母親が出た。


「ちょっと、母さん! あれなに!?」

 前置きもなしに声を荒げる。

「あ、届いた? 今年もスモモいっぱい獲れたのよ。おばちゃんにもおすそ分けしてね?」

「そうじゃなくて! 三味線! なんでスモモと一緒に入れて送るの!?」

「だって、家に置いとっても邪魔なんだもの」

「せめて別の箱にしてよ、じいちゃんが作った大事なものなんだから!」


 つんとして李心がいうと、母親は電話のむこうで少し笑った。


「そ。よかった。もう忘れちゃったんかいち思ったのよ。おじいちゃんの三味線。とにかく、大事なら李心がちゃんと管理しなさい」


 そういって母はさっさと電話を切ってしまった。

 ぶつぶつと不平をこぼしながら、李心は三味線を取り出した。見たところ、大きな傷はない。

 蛇皮の胴にウマを立てて弦を張り、挟んであった竹撥で一番低い「男弦うぢる」をはじきながらカナクリを巻いて調弦をする。弦を巻き付けるカナクリは、先端にメノウのあしらわれた一点もので、赤いまだら模様が窓から差し込む陽光に輝いていた。


 李心はベッドに腰掛けると、三味線を構え、ぴん、と弦をはじいた。高く澄んだ音色が部屋の中に広がって溶けていく。

 挨拶唄ともいわれる、朝花あさばな節を弾いてみると、左手の指はそれ自身が意思を持ったかのように滑らかに動いて的確に勘所を押さえ、右手の撥さばきも思ったより軽快だった。

 しかし、五分もしないうちに李心はふたたび弦をゆるめて三味線をケースにしまいこんだ。

 三味線を弾くと脳裏に沙織のあの言葉が甦ってきてしまう。大好きだったシマ唄も沙織も、今はただ李心の気を滅入らせるだけだった。


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