2023.02.15 前向きな未来
「こっちはドイツ語学部に受かったけど、それはやめて国文学でランク下になる女子大に行こうと思うんだけど、いいよね」
「うん。なんで?」
「通うのも大変だし教職とるにしても就職するにしても女子大のほうが有利なの」
「へぇ……娘ちゃんの行きたいほうに行ったらいいと思うよ。やりたいほうに。塾とか学校の先生にも相談したら」
「さっきした」
二階の部屋で話し声がしていたのは塾の先生とだったようだ。前向きに将来の話をする娘ちゃんに少し複雑な感情をおぼえた。
いまは一般入試が終わり結果を待つ日々。学部を含めて約10校も受けたので、大金がかかった。今のところ合否は3勝3敗かな。
全部落ちたらどうしよう~人生つむといって不安な日々を過ごしてきたが、浪人は回避できたので安心していた。
まあ、勝ち負けに関係なく終わりはくる。
まだ全部の結果はでていない。偏差値の高い三校の合否を待っているのだ。今日の四時にそのひとつが発表になる。
発表によっては女子大に頭金を振り込まなくてはならない。残りの二校が合格した場合は、この頭金は無駄に消えることになる。
いわば保険なのだ。浪人するよりは安いにきまっているので誰も文句はいわずに払うのが習慣になっているようだ。
「でも、二校はすごく偏差値が高くて記念受験みたいなものだから、たぶん落ちるよ」
「受かったら凄いよね」
とは言いながら、落ちたらホッとするかもしれないセコい自分がいる。娘ちゃんと嫁ちゃんは少しでも良い大学に行くことに前向きだ。
そして結果の電話口で娘ちゃんは泣くのだ。今日発表の大学には補欠で六人が入学を取り下げた場合に合格になると……。なんつー特殊な仕打ちなんだ。
つまり今日の大学が合格していればニ十万は支払わずに済んだわけで、それを苦にした娘ちゃんはどん底気分を味わっていたのだ。
繰り上げにならなきゃ、もちろん女子大にいくんだけどね。それは分からないから。
「パパ!」泣きながら声をあげる。「ごめんなさい。ニ十万もかかるのに合格出来なかった。補欠の状況なの」
「うん、うん」まだ仕事中なので電話はすぐにきった。「女子大に振り込みして待つしかないんだよね。大丈夫だよ、ママによろしく」とだけいい残した。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
「うん、うん。仕方ないよ」
それだけの会話だったが、胸が苦しくなった。現実はなかなかとシビアだ。少しでもランクの上の大学に行きたい、行かせたい。でも女子大だって充分に立派なところだ。
いっておくが、パパは大学でロクに勉強もせず、何の将来の展望もないまま、何の展望もない会社に入って昇進も転職もせず、少ない給料にしがみついて生きてきた人間だ。
取引先の百貨店はバンバンと潰れていき、社員は減り、世の中で必要な仕事とは到底おもえないような状況になりつつある。
何か気のきいたことがいえる立場じゃないんだよ。「仕方ないよ」だって? 情けないけどお前の父親には向上心が欠けていて、ごめんなさいってのは俺の台詞なんだよ。
なんかイジケていた。何の支えにもなれないしアドバイスも出来ない自分に。
「合格未定ってのは初めて見たわ! まだ繰り上げ合格の可能性ありってことでしょ。すごいよね」と嫁さんはいった。
器がデカイ。俺よりはるかに。
俺は一生懸命に洗濯や洗い物をして夕飯を買って帰って椅子をひいて嫁さんを座らせて、ワインでも飲ませてやることにした。
給料は少ないし社会にも会社にも貢献していないけど、少しでも優しくて頼りになる父親になりたいから。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます