2021.07.24 ワクチン接種券

 ワクチン接種券争奪戦がきっておろされた。何回みても『大変混雑しておりますので時間をおいてアクセスしてください』の文字。俺たちのオリンピックの開幕である。


 カチャカチャ


 カチャカチャ


「何回リロードしたら入れんの? もう一時間たつけど……」


「仕方ないでしょ。あなたが一緒にワクチン受けたいっていうからいけないのよ」


 嫁さんの会社では集団接種の機会があったらしい。だが俺はどうするかと聞いたときに、ひとりで行きたくないと応えたという。よく覚えていないのだが。


 本当だったら終わってたという嫁さん。一回目の接種を俺と行くために、こんな苦労をしなければならないとぼやき続ける一時間。


 初耳だったが、とりあえず申し訳なかったと丁重にお詫びをした。ただでさえ、昨日から娘ちゃんのスマホの機種変更が上手くいかずイライラしていた。


「はいったわ!!」


「うそっ!?」


 席をたち、嫁さんのスマホを覗き見た。俺は喜ぶ嫁さんの指を目で追った。その顔には俺を見下すような表情がひらめいたのが見えた。自分のほうが一枚上手だと疑い無く信じている目付きだった。


「ふふ、あなたも早く入りなさいよ。あ、あれ、あれれ? 最初のページがもういっぱいになってるんだけど。どうしよう」


「えっ!? くっ、ここはまかせて、俺に構わず先に行くんだ。この日取りで空き席のあるところ」


「なにそれ、かっこわる……」


 事前に話し合って候補の日取りを決めてあった。日時の第四案までが記入してあるメモ用紙をそっと手渡した。


「うん。あとから必ずきてね」


「ああ、心配しなさんな(笑)」


 嫁さんは標的に指をかざすが、戸惑っているようだ。万全の打ち合わせで迷う必要はないはずなのに、嫁さんは手を止めた。


「やっぱり平日にしようかな。よくよく考えたら土曜日だと特休もらえないじゃん」


「はあ!?」


 裏切り。駆け引きは同等の立場でしかなりたたない。俺が忙しいから平日は厳しいといったので候補の日取りが決めてあるのだが、俺がログインできないとなれば、ひとりでわざわざ休日にワクチンを接種する必要性がなくなってしまうからだ。


 それも理解できる。たしかに現状でいえば嫁さんは賢くて、こちらはやすっぽい能無しのごろつきなのだから当然の判断とも言える。


 一瞬、沈黙がながれ奇跡がおきる。


「お、俺もログインできた!」


「うそーっ、じゃあ八月のところまでページ飛ばして、すぐに」


「おお、ほんとにいっぱいじゃないか。八月のお盆あけにしよう。休日前は仕事が読めないから」


「うん、私も前半はきついわ。あと月末は忙しいから二十日近辺かな」


「よし、二十一日土曜日は?」


「うーん、夕方がいいかな」


「準備おっけー!」


 実のところ、一度ログインできてしまえば慌てる必要なんてなかったのだ。俺たちは七月とお盆休みまでの候補しか話し合っていなかったし、八月後半の予定なんて先すぎて記憶にもない。ゆっくり手帳でも何でも見て、一拍おくべきだった。


「じゃあ、八月の二十一日。十八時半を一緒に押すとしますか」


「うん、せーの」


「はい、押したぁ!!」


 残り席数はたったの六席だったがなんとか二人で予約ができた。その数字はならびではなく、ほとんど同時に押したにも関わらずあいだに一人入っていた。


「お疲れさまぁ」


「ふぅ、あぶなかったぁ~」


 胸を撫で下ろした俺は洗濯が終わっていることに気付いた。そうだった、俺だけ冬物の毛布を洗っていたのだ。休みを利用して千円のひんやり冷感掛け布団を購入したのだった。


 今日から快適生活。ちなみに家族は全員、とっくの昔にタオルケットを使っている。


 冷房に弱く、寒がりの俺と娘ちゃんはタオルケット一枚という防御力の低い装備に不満をもっていたので、やや厚みのあるが冷感の爽やか肌触りという掛け布団を購入したのだった。(かなり安物でやんすが)


 そんなことはさておき、洗濯機から毛布を引っ張りだすと。


 バキッ……っと音がして内蓋の根本部分が割れた。水をすって重く膨らんだ毛布が引っかかってしまったのだ。


「あああっ!!!」


「なに壊したんの?」


「ご、ごめん」


 そのとき足音がした。目をあげると戸口に娘ちゃんが立っていた。ホットパンツにシンプルな白いTシャツを着ていた。


 先週ショートカットにしてすっかり夏のスタイルになっている娘ちゃんが近づき、耳に小声で言った。


「……無能」


「!!」


 すぐに実家の電気屋に相談すると、内蓋だけの販売はしていないので修理にだすと二万円はかかるという。十年以上使っているなら買い換えを勧められてしまった。


 固定されないままの内蓋を乗っけた状態でもなんとか洗濯機が動くことが確認できたので、嫁さんに報告する。まあ、洗濯機をまわすのは俺だし。


「洗濯が途中でとまらないか、実際やってみることだね。それでダメだったら買い換え。それより二十一日がやばいわ。息子ちゃんの高校の説明会が三時からあって、併願希望の個別相談がそのあとにあるんだった」


「何だって!? や、やばいじゃん、キャンセルする?」


「ほんとやばい。ほんとさ、パパが急かすからだよ。こっちはパパみたいに暇じゃないから、ほんとに困るわ」


「……あ、ああ。でも終わってから三時間あるわけだから移動時間あわせてもなんとかならないかな」


「なんとかしますよ。すればいいんでしょ」


「あ……ありがと。ごめんね」


 その後、実家から弟が洗濯機を見に家まできてくれた。結論だけいうと製造年月日を自分で調べて七年以内ならPanasonicに電話して部品をとりよせるか、それ以上なら部品は無い可能性が高いので新しいのを買えといわれた。


 ちなみに兄貴と弟が実家の電気屋を継いでいて、俺だけサラリーマンだったりする。安く貰ったり、中古品をただで貰ったりしている手前、よそで家電を買うことは絶対に許されないのだ。


 気分が悪くなった。すこしも優しく言ってはくれないし家を掃除しないと配達も出来ないと見下すように言われたからだ。はっきり言ってうちが汚いのは俺が一番知っている。


「わざわざ、すまなかったね。ありがと」


 それでも来てくれただけでも助かったとお礼は言った。弟はカタログとメジャーを俺に差し出してどれがいいか選べと言った。


 まだ壊れたわけじゃないから後で連絡すると返事をして帰ってもらった。そもそも実家の電気屋で親父にただで貰った洗濯機だけど。


 娘ちゃんが、背後に立っていた。塾のカバンを持って送って欲しいといいたげに。もちろん俺は車の鍵に手を伸ばした。


「叔父さん、仕事向いてないね」


「……なんでそう思ったの?」


「そりゃ感覚がパパに似てるからさぁ、わたし仕事できるし(笑)」


 いつもはきつめの台詞しか言わない娘だが、また救われてしまう俺だった。掃除は明日ゆっくりやるとしよう、そう思った。


 涼しい布団に浴衣で寝る幸せ。嫁さんとは『超高速参勤交代』を一緒に見る約束だ。


「まあ、ガタがくるよね。洗濯機もけっこう使っていたから。買い換えできて丁度良かったかもしれないよ」と嫁さんが言った。


 暑さと不景気、コロナのせいでイライラが溜まる毎日だが、気持ちも洗濯機もリロードすればいい、ただそれだけのこと。


 ゼロからはじめればいい、そう思った。








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