2021.07.12 浴衣でくつろぎたい

 先日見に行った息子くんのサッカー、負ければ引退という最後の試合。公園に車を止めて歩くこと10分。


 五対二で負けました。以後、サッカーについて語ると息子くんの機嫌が悪くなるので話題を封印したいと思います。


 しかし暑い。高温多湿、アラブのような熱波とゲリラ豪雨。エアコンなしに昔の人はどうやって生活していたんだろう。


 昼飯を調達に寄った店先で(洋服のタ○ハシ)甚平が千円で売っているのを発見。東京リベンジャーズの影響で子供たちが欲しいという。


「寝まきにはいいけど、外には着ていけないよね。祭りかヤンキー気取りだと思われる」


「パパのヒーロー気取りの迷彩服よりはましじゃない?」


「……」


 まあ安いし、好きなものを着るのはいいことだ。お気に入りなら長く着れるし、夏は始まったばかりだから。ふと横に視線を移す。


「ちょっ、浴衣あるじゃん。パパも買っていいかな。下駄と帯の三点セットだし」


「えっ、黒い浴衣。岡っ引きか百姓か、文豪気取りだと思われるよ。いくら?」


「うん。二千円だって」


 ヒーローになれなかった俺は文豪になれると思ってウキウキした。今年の夏、部屋着は浴衣で過ごそうと思った。早速帰宅して着替えると嫁さんが言った。


「……思ったより坊さん気取りだね(笑)」


「黒しかなかったのと、まだ着崩してない状態だからね。ステテコと扇子あったよね」


 胴長短足の日本人にしっくりくるデザイン。重心が骨盤にくるため背筋が伸びる感じがする。そして涼しい。


 ほぼ直線縫いで丈の調節もいらない。幅は巻くだけなので当然誰でも着れるつくりだ。生地が貴重だった時代の知恵と知識の結晶である。


 世界中どこを見ても、これ程シンプルで完成された衣服はない。巻くことで裾が邪魔だと感じることもない。


 だがメリットだけでもない。袂は引っかけたり洗い物をする時に邪魔になる。ポケットのような機能をここに持ってきたのは謎である。調べるとお洒落の為に長くなったとか。


 江戸時代には袖で気持ちを表現するような文化があったようだ。袖の下とかたもとを別つみたいに使われるのは珍しい文化だこと。


 帯は分厚いため、腹が冷えないのがよい。だが運転などで椅子に深く座るときは邪魔になる。文豪はあまり偉そうに座らないようだ。


 下駄や草履、わらじも素晴らしい。なんせ履き潰したら100%自然に帰るというオーガニックなところが偉い。我らの先祖は経済成長率がゼロの時代を何百年も過ごしたと知る。


 今頃になってエコとかリサイクル、SDGsと言うが大量消費で経済をまわすことを正義としてきた時代には何の説得力もない。


 そして無防備に巻いて結んだ服装は、リラックスできる。スーツや洋服を着ると戦闘態勢で動き回ったり仕事モードを連想してしまう。


 浴衣を着ていれば精神的に緩くいける気がする。一番大きいメリットである。浴衣で会議なんかしたら争いも無くなるだろう。


 二千円で買ってきた浴衣でリサイクル社会や経済のあるべき姿を語る気はない。先ほどの正義という単語はあえて「まさよし」と読んで欲しい(笑)。


 しかし、服装やスタイルで人間の立ち振舞い、気持ちや考え方は簡単に変わるのも事実だ。自分にも地球にも優しい世界があるとしたら、こんなスタイルもありだと思う俺だった。

 

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