2021.03.01 ムダメシ婆ちゃん

 誕生日ケーキはいつも、ひな祭りおめでとうと書いてあって嫌だった。婆ちゃんは次男の俺に本当は女の子が欲しかったと言った。


 親戚には女の子に間違われることが多かったし、小学校時代の俺のあだ名は「なっこ」だった。まるっきり女の子みたいだ。


「スカート履いてみないかい?」


「俺は男だ」


 寝言でも言っていたらしい。そんなワードが出てくるって、どんな夢を見ていたのか自分でも分からないが。


 婆ちゃんはずっと俺の耳たぶを触って、たまに強く引っ張った。大黒様のような福耳になれば一生お金に困らないと言っていた。


「お婆ちゃん、食いかたが汚いよ。見てるこっちが食欲がなくなる」


「食ってるときに汚いって、言われてみな。こっちも食欲がなくなる」


「ぷっ……それもそうだね。ごめんね」


 誕生日になると何故か高校の頃に他界した婆ちゃんのことを思い出す。男ばかりの三人兄弟で俺を一番に可愛がってくれた。


 定食屋で働いていたことがあると言って鶏肉の煮っころがしばっかり作っていた。他のメニューは知らないが、それだけあれば良かった。


「昔に婆ちゃんはあだ名とかあったの?」


「あだ名っていうのか分からないけど、ムダメシって呼ばれとった」


「はあ? な、何だよそれ。そんなこと言うやつは馬鹿みたいだ」


「ハハハ、じゃなくて馬鹿なんだから気にしなくていいんだよ。別に殴られたわけじゃないから痛くもないし」


「……」


 こんな年になっても、世の中の仕組みがまだ理解出来ない。会社でも最近は仕事が面白くない。人件費のかさむ百貨店チームは赤字続きで、他の課からはこう言われる。


「何もしないでくれたら赤字にならないから、ベッド買ってやろうか?」


「アハハ、風当たりがキツいですね」


 うちは中小なので営業が全部返品や棚卸しをするようになっている。委託か消化取引だから売れ残りは山ほど帰ってくる。


 ひとりで返品を開けて新たに価格を変更した品番を設定登録して、ひとりで伝票と金額を合わせて棚を作って、何度もひとりで往復してその棚に入れる作業がどれだけメンタルを削ることか。

 

「頑張ってるのは分かるんだけどさ。それは、きみの仕事のしかたが下手だからだろ」


「ちゃんと真面目に仕事さえしていれば、誰も文句なんか言わないはずだろ」


 ずっと下っ端でいることに疲れることがある。荷あげや棚卸しや出荷、返品をひとりでやるのは構わないし文句もない。


『母をたずねて三千里』でまだ幼いマルコが、空き瓶を洗う仕事を死ぬほどやって、雇い主に向かって叫んだ言葉を思い出す。


「僕が必要だと思うはずだ。僕がいっぱい仕事をすれば、いなきゃ困るって思うんだ。僕をもう手放せなくなるんだ!」


 年を取るとフットワークが悪くなるから、手放すのも簡単だ。一生懸命やるのは良いことだけど、何を一生懸命やるか言ってみろだと。


 まだまだ婆ちゃんみたいには、割りきれない。あんなに惨めなあだ名を、簡単に受け入れられない。必要な人間になりたくて頑張っても、すぐにそれ以上のことを求められる。


 今までだって、いっぱいいっぱいで乗り気ってきたのに、いつの間にか過去は当たり前の基準になる。何も知らないくせに。


 何年たっても何歳になっても、世の中の仕組みは分からないままだ。だって、世界はあまりにも不公平だと思わないか?


「ムカつくよ」嫁さんが言った。「会社で休憩行って一時間帰ってこないやついるんだよ。こっちにしわ寄せがくるんだからさぁ」


「へー、内勤でそんな人いるの。便所にでもこもってるのかね。まぁ文句を言いながらでも、一生懸命な君が一番偉いよ。お疲れ様」


「あなたはいいよね。お気楽で……営業は外出て電車乗ってお茶飲んでくるんでしょ。直帰すればいいんだから」


 みんなが自分は一番忙しいと、自分は特別だと思ってる。みんな特別ってことは誰も特別じゃないってことだ。


 もしかしたら一周回って俺だけが特別なのかもしれない。それなら笑える。


「まあ、バリバリ仕事をする君が好きなんだ。家ではゆっくりしなよ」

 

「あ、ありがと」


「それで充分さ……俺はね」


 追記。

 婆ちゃんは名前がイシで旧姓の語呂合わせでムダメシと呼ばれていたそうです。


 石のようなハートで言われる嫌な言葉には何も返さずに、言ったらいけない言葉を優しく教えてくれました。俺は男だから平気ですが、本当は辛かっただろうと思います。

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