2021.03.02 早朝事変

 女子高生。高校一年生に大学の知識はまだない。たが急に進学の話になるとあたかも知っているというスタンスで盛り上がれてしまう。


「あの国○舘大学行きたいなんて、すごーい」


「……」沸き立つ生徒たちに、気圧されながら娘ちゃんは言った。「○学院じゃないよね?」


 確たる自信はないので、楓ちゃんの柔らかい質問は流される。おしゃべり女子高生軍団は止まらない。


「偏差値55ってことはさ、65だよね!」


「大学は高校受験に偏差値5から10足すって、先生が言ってたもんね」


「……」これは間違っている。「55は55でしょ。そしたらみんな東大入れちゃうよ」


 実際はあまり興味がないため、ややこしいルールや変な単語だけが頭に残っている。東洋駒専大東京帝国など、微妙に間違えている様子。


「ふうん、じゃあ楓ちゃんは志望校は何て大学にしたの?」


「一応、駒○って書いたよ」


「へぇ、知らない。みんな知ってる?」


「知らないね」「知らないわ」「知らぬ」


 高校入試で休校になった楓ちゃんは、その夜、机に向かって黙々と勉強した。そして早起きした俺を見てニヤリとした。


「初めて徹夜で勉強したんだけどさ、何回かゾーンに入った感覚があるよ。分かる?」


「えっ! あのスポーツ選手がなるやつか。前にみんなで卓球やったときパパが凄いショット打ったの覚えてる? だから何となく分かるよ。見たでしょ」


「……遊びの卓球で、たまたまのやつじゃなくてさ。その試合、私が勝ったし」


 驚いた。楓ちゃんは、勉強をしていて全集中の呼吸か黒閃みたいな領域を会得したらしい。あるいは徹夜で脳が変なテンションになっただけかもしれない。


 ここ最近、楓ちゃんは友達のドタキャンが続いて元気がなかった。遊びにくるというのでトイレや玄関、家中の掃除をして大変だったのに誰も来なかった。イライラしていた娘ちゃんの笑顔に、俺は沸いた。


「実はパパ、遊び以外で徹夜したことが一度もないんだ。凄いことをやったんじゃない。だってさ、ゾーンに入るタイミングは自分では選べないんでしょ。ずっと勉強してたから出来たんだよね」


 起きてきた嫁さんと弟くんは、今週全部休みになった楓ちゃんを見た。朝から変なテンションで盛り上がれる暇があって羨ましいと感じていたのだ。弟くんはきつめの口調で言った。


「そんなの意味ないでしょ。昼夜逆転して頭とか絶対すっきりしてないよ。お姉ちゃん、まじでうるさい。夜もさ、電気ついてるの気になってスゲー迷惑なんだけど!」


「……はあ? お前だってユーチューブつけっぱなしで寝てるし、朝から目覚ましタイマー何度も鳴らして起きないから迷惑だよ!」 


 朝から険悪になるのを避けようと嫁さんがフォローに入る。絶妙なタイミングで。ナイスだと思った。ネチネチ機嫌の悪い女子高生は何をするか分からんし。


「それはおとうとちゃんが悪いね」


「うっさいババア、うっさいブス、喋んな」


「……!!」


「あらら、今度買い物連れて行ってあげるから機嫌なおしなよ。洋服買ってあげるよ」


「うっさい。おれ、買い物とか好きじゃないから、洋服とか靴とか見てもつまんねーし!」


 最近は母親のことも糞ババア扱いしてくる弟くんも、身長は175センチ。反抗期になってしまって暴れたら大変な体つきだ。


 そう、もしこの家で一番体力のある颯ちゃんが反抗期に突入したら……熱の壁による空力加熱が発生し理論値でよどみ点温度は350℃を超える。(大気圏じゃねーよ)


 パパとの摩擦により温度が上昇すると言われるが誤りである。適切な軌道離脱タイミングと機体の角度が必須条件。


 タイミングがわずかでもずれると着陸地点が大幅に変わる。また角度が浅いと大気に弾かれるというのは間違った解釈である。


「もうさ、子供じゃねーんだから洋服とか自分で買いにいけるし、お前らと出かけても待たされるだけなんだよ!」


 パニック状態の俺は変な妄想をするほど、焦っていた。家族がいつも姉ちゃんばかりに気を使っていたら、怒るのも無理はない。だが嫁さんは冷静だった。


「ごめんね颯ちゃん、ポケモンカード買ってあげまちゅ」


「……」颯ちゃんは少しだけ考えてこたえた。「買いに行きたいでちゅ」


 なんだと。金で釣ったとはいえ、俺と娘ちゃんは耳を疑った。扱い方がよく分かってるほど……仲がよろしいようで。

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