2021.02.23 迷子

 小学生のとき動物園で迷子になったのは颯ちゃんだ。上野ではひとりでフラミンゴを見ていた。迷子になった自覚は無かった。


 目を離した隙に知らない子供と仲良くなっていたこともある。器がでかいのかバカなのか心配になった。


 ショッピングセンターで迷子になったのは楓ちゃんだ。俺は右を、嫁さんは左を探そうと別れて走り回ったが見当たらなかった。


 数時間後、館内にアナウンスが繰り返し流れた。一階の中央にあるお客様窓口から楓ちゃんが来ておりますので、迎えに来てくださいと。


 慌てて向かった場所には、すまして姿勢よく座っている少女が冷静に俺たちを見ていた。まるで行儀のいい大人みたいな顔で、悪いのは見失った親のほうだといってるみたいに。


 自分が迷子になったときは、ただ大きな声をあげて泣いていたような気がする。ふたりみたいな行動力は無かった。


 それで良かったと思ってる。俺とはぐれて迷子になった兄貴は勝手にひとりで家に帰り、母親に怒られていた。


 どういう神経してるんだ。探すのを諦めてひとりで帰るなんて、どうかしてる。二度とするなと言われていた。大声で泣いたほうが早い場合もあるから、俺は俺のやり方を否定しない。


 働き者がいて怠け者がいるように、せっかち者がいてノンビリ者がいる。臆病で泣き虫な奴もいれば、ずっと冷静な奴もいる。


 あのアニメを見ていないなんて損をしてると言うが、他に素晴らしい映画を知っている俺はこれからそのアニメも見られて得をしてる。


 酒が弱いなんて人生を半分損してるという連中もいるが、飲んでる時間と金銭的な見方をすれば半分なんてありえない。


 まあ、一滴も飲めないという人もいるから、それほど極端な話じゃない。ところで厳密に言うが一滴は飲めるはずだ。


 一滴で本当に具合が悪くなるのか聞いたら、飲めない人に強要するのは失礼だとか、無理に勧めるのは横暴だと注意されたことがある。


 俺は好奇心で、厳密に一滴も飲めないのか知りたいだけだった。一滴で人間の体調が変化するのか知りたかった。話がそれた。


 サソリとカエルの童話をご存知だろうか。川の向こう岸に渡ろうとするサソリが、カエルと交渉する話だ。

 

 毒針は刺さない、そんなことをしたら自分も一緒に溺れて死ぬ。安全を約束して金を払い、カエルの背中に乗せてもらう。


 だが、サソリは川の途中でカエルを刺してしまうのだ。どうしてそんなことを……そしてカエルと共に、サソリも溺れ死んだ。


 環境問題になぞらえて、サソリは人類でカエルは地球だっていう見方をする人もいる。人は本能には逆らえないという教訓とみる人もいる。


 つまり、見方も捉え方も人それぞれだと言いたいんだと思う。それは大前提であって、なかにはサソリみたいに交渉にもならないヤバい奴もいるから、話し合いにも限界があるという教訓だろう。


 嫌われたっていいじゃないか。好きだっていい。別に本人に伝えたいなら止めないが、話し合う必要なんかあるのか。


 怖がる必要もない。嫌われるのはそんなに恐ろしいことだろうか。大概は殺したいほど嫌われちゃいないと思う。


 迷子になっても切り抜け方は人それぞれで、正解があるとも思わない。大事なのは迷子になっても必ずまた出会える人がいることだ。


 探して走りまわって、こちらの気持ちを心配してくれる人が一番大切な人だ。大事な人は誰か、大切な思いは何か。それを忘れて迷子になるのだけは間違っている。


 


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る