2021.02.11 肺腺癌( 3 )

 手術は午後3時開始予定、2時過ぎには来て欲しいとの事だった。午前中は仕事を済ませて病院に行った。


 すでに義父母が来ていて話込んでいた。前の患者の手術の関係で開始時間がずれ込み、実際開始したのは5時15分だった。


 その後、更に三時間ほど義父と待った。たわいない話しかしなかったが、どれも家族と嫁さんの話だった。


 8時半に手術が終わり、集中治療室へ行った。手術は成功して、肺左下葉とリンパ節が綺麗に取れて、見た目転移していないと医者が言い俺たちは何度もお礼を言った。


「今日はぐっすり眠れるね?」と義父が言った。最後に面会させてもらえた。


 薄暗い廊下を抜け、別室の広い集中治療室に入っていくと寒気がした。薄気味悪い場所で、二度と行きたいとは思わない場所だった。


 そこには目も口も、もしくは人生も半開き状態の年寄りが五人並んで寝ていた。中には容器に入った小さ過ぎる赤ん坊もいた。


 管だらけで真っ白な顔をした嫁が一番奥に寝ていた。やはり目も口も半開きだった。はなしかけても目を覚ましているのか判らなかったので、俺は嫁のデコを撫でて囁いた。


「大丈夫か?」


いだい……いだい……」


 同じことしか言わなかったので俺は怖くなった。まるで悪霊に取りつかれたゾンビみたいに地中から悶える声だった。


 夜間担当医は、容態に何かあればすぐ携帯を鳴らすと言って俺と義父の番号を確認をした。すぐ病院を出たが、二人ともぐっすりとは眠れなかったのは言うまでもない。あの場所を見せられて、電話が鳴ったらと思うと恐怖しかなかった。


 翌日、午後3時半位に病院に行く。嫁は集中治療室での会話を覚えていなかった。だるそうで顔色が白く辛そうだった。


 肺を広げるために起き上がって体を縦にする必要があるらしい。痛み止めの薬のせいで起き上がるたび気持ち悪くなり嘔吐するそうだ。


 俺はあまり長居せず去った。毎日顔をだしたが、日に日に良くなっていくのがわかった。少しずつ元の優しい嫁さんに戻っていった。


 あの当時、五年生存率が何パーセントだとか騒いでいたわけだが、こうして今も無事に元気にしている。


 一度は再発して放射線治療もしたけど。ちょうど、嫁さんが退院した日から五年たった今日、子供たちに話すためにこれを書いた。


「覚えてるかな。颯ちゃんは病院の先生にお礼状書いたんだよ。ほら、9才の汚ない字だけど大事に写真撮ってある。楓ちゃんはママにクッキー焼いたんだよね、パパと」


娘「……いま、何ともなくて草」


息子「暴君のまんまで草」



      ◇我が家の家宝◇


 すずき先生


 おかあさんががびょーきになって、かなしかったです。でも先生のおかげでなおりました。

 ありがとうございます。


         ※


 あの日から何度も夜が来て、朝が来て、俺も嫁さんも子供たちも歩いてる。いつも近くに存在を感じながら、ずっと一緒に歩いてる。


 泣いたり、喧嘩したり、笑ったり、悪態もつきながらだけど、いつまでもそばにいる。きっとこれからも。



 ああ、あとネットで色々と病気や手術について調べるのはお勧めしない。全身麻酔で死ぬ確率が15万分の1だなんて、わざわざ教える必要はない。怒鳴られるだけだ。

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