2021.02.10 肺腺癌( 2 )

 2015年2月4日肺摘出手術。


 その前日に入院するまで、嫁ちゃんはイライラしたり不機嫌になったりするので俺は、なるべく未来の話をしようと考えた。


 医者は転移は見られないが、開けてみないと分からないと俺たちに言った。それから一刻もはやく手術をして欲しかったが、結果は2ヶ月待たされる始末だった。


 その日から毎晩のように夜中に目を醒ましては「なんで私なんだろう。何か悪いことした?」と俺を問い詰めた。だんだん俺のせいな気がして胃が痛くなった。


 変化は嫌いだが、手術より先の事を考えたほうが健全だと思った。子供達は自分の部屋が欲しいと思う年だし、嫁さんの体のこともある。


 ベッドを買うこと。子供達と別々に寝ることになるが。新しい生活を予感させなくちゃならなかった。


 誰の為でもなく自分の為だ。弟のお古だが新しい車も手にいれた。十万キロ走った業務用中古の三菱から、中古シエンタに代えた。


 ベッドを2つ入れるには、大掃除が必要だったが、退院したらベッドが必要だ。出窓のある一番綺麗な部屋にベッドを置いて喜ばせてやりたいと思った。


 癌告知から1ヶ月たって少しずつ落ち着きは取り戻していったが、仕事初めから続く忙しさに無心しているだけだった。


 精神状態は安定しているが、実際のところ毎日残業で1ヶ月以上も22時前後に帰宅、夕飯を一人でとりコタツで寝ている嫁さんをおこしては、優しく怒るのが日課の生活。


 悪化しなければ好きにしても構わない。定時帰宅で家事をするほうがストレスになるなら自由にするのも構いはしない。悪化しないように願うだけだ。


 無理しないでくれと怒鳴ることも出来ず、仕事は増えていくばかりで嫁さんの肉体は衰えるばかりだった。


 仕事さえしていれば世界は、彼女を受け入れてくれる。そう感じていたのかもしれない。病気のことを会社の誰にも話さず、嫁さんは働き続けた。


 仕事なんか辞めちまえっ。どうせ使い捨てなんだから、家で大人しく寝てろよなんて言えるわけがなかった。


 日曜参観と文化祭の行事で一緒に小学校にも行った。子供達は生き生きして成長を感じさせ、俺たちが作った弁当を完食していた。


 夕飯はサイゼリアで連続で食べたり、毎日王将や、オリジン弁当、華屋与兵衛、またオリジン弁当と外食か夕飯を買って帰る生活が続いていた。


 たまの日曜は嫁がカレーを作ったが月曜日からは俺が残りでカレーうどんを作った。とにかく肺が全部あるうちに嫁さんはバリバリと働きたかったのかもしれない。


 好きなだけ仕事に集中して、好きなだけ愚痴を吐き捨て、好きな外食ばかり行く嫁さんだった。残業を辞めるように実家の義父に相談しても無駄だった。


 嫁さんは最強のワーキンウーマンに変貌を遂げて、一家の大黒柱になって崇拝された。車の運転はしなくなって、いつでも何時間でも俺を待たせることが平気で出来る体質スキルを獲得した。


 パワー全開、自由奔放の暴君が入院した日に、俺は休みが貰えた気分だった。誰も逆らえない嫁さんが、なんかよく分からなくなっていたが、ふと手術の前に嫁さんを見て思った。


 あれか……私が居なくても大丈夫的な流れを作っていやがったか。そんな事で俺が大丈夫なワケがないだろう。俺は評判以上の人でなしだぞ。そう思った。

 


  

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