2021.02.09 肺腺癌(1)
6年前。2014年12月3日ーー
本格的な冬の予感がした。草木は枯れ、風が冷たくなってきたのでダウンをだした。
会社を午後2時で早退して小学校にいく。子供たちは二人とも帰宅してすぐ遊びに行った様子だ。
先に学校に来ている嫁ちゃんは、学年委員出席中なので代わりに動物園の購入写真を選んだ。医者には4時過ぎると言ってあるから少し位遅れても大丈夫だよと言っていた。
自分の事を優先しろよ。学年委員なんて比較的若い母親を見つけて仕事を押し付けるだけで、こちらの事情なんて気にもとめない。
でも、それでもまだ大したことないのかなって思った。そう思うことしか出来なかった。
嫁ちゃんが夏の健康診断で引っ掛かったと聞いたときも、俺のほうが不健康なのにって笑っていた。真顔で評判通りの人でなしだろと言ってやったが、彼女の顔は雲っていた。
そのあと、何回かレントゲンやらCTやら、検査入院までしていたのに俺は心配しても意味がないと言っていた。結果を聞いてから慌てたほうが建設的だとさえ思っていた。
どうせ次に来る電車に乗るのに時刻表を見て何分間待つのか確認する人がいる。一枚でも沢山売らなきゃならない立場なのに、途中の売上を何度も確認する人もいる。
効率よく動け。誤差を確認する時間なんか無駄だ。残りの時間を気にしたり、結果が出るのを待つ時間なんて何の意味もない。
良性の可能性が半分ーー良性のほうが多いくらい。実際、嫁ちゃんは元気でテレビを見ている時はゲラゲラ笑う。
残業は俺より多いので家事だってお迎えだって俺の役割のほうが多いくらいだ。俺ほど家事育児に参加しているお父さんは少なくとも周りにいない。なんという傲慢で無知な俺。
営業より事務職のほうが楽だと決め付けているから、勝手に自分のほうが忙しいと思ってしまうのは世の中がそうさせたのかもしれない。
実際のところ、知りもしないのに。俺は嫁ちゃんに仕事を押し付けるお母様方と、同じ人間でしかなかった。
病院で随分と待たされた後に白衣を着た女性が言ったーー肺癌ですと。
正確には初期の肺腺癌ステージ、1。うちの嫁さんは癌だと言われた。
煙草を吸わない嫁ちゃんが理由を聞くと、理由は解らない、遺伝の要素もあるだろうとか。
また検査の予定をたてる。MRIと胃カメラ、転移さえしていなければ1月末か2月に大きな手術をして肺を一つ取る。
色々な話が果てしなく続いた。でも気になったのは、あまりネットで情報を見ると気分的に良くないから検索するなという話。生存率だとか、抗がん剤の影響だと思った。
人は受け入れ難い事実に直面すると、夢を見ているんだって思うみたいだ。結局、その日水曜日は両方の実家に報告して、早く寝た。信じられないかもしれないが、よく寝れた。
俺たちは二人とも仕事が山ほどあって疲弊していたし、子供たちを家で待たせていたから、頭を整理する時間もなかったんだと思う。
俺は翌朝、一人早く起きると急に涙が沢山でた。止まらなかった。嫁ちゃんが起きてきて洗面台の後ろに立った。
「どうしたの? 目が赤いけど」と言った。
「風邪気味で、鼻水がとまらないんだ」
途中で時刻表を見れば良かった。何度も不安を口にしていた嫁ちゃんに、楽観的で間抜けなことを言わずに済んだのに。経過もしっかりと聞いて、ちゃんと心の準備をしたかった。
すり減って折れそうになる。時刻表? それが何の役にたつのか分からない。平常時は特に。とにかく次の列車がいつ来るのか、何処へ向かうのか知りたくて目眩がした。
「大丈夫?」
「ごめん……」
それだけ言って目を背けた。それから、しばらくして涙は止まり、俺は何一つ夢では無いことを知った。
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