2020.12.6 ゲリラ

 時は大後悔時代。シャワーを浴びながら泣きたい気持ちをぐっと抑えた。俺は腹が痛かっただけだ。帰宅してすぐ穢れた体を洗い、長い一日を振り替える。


 十二月の冷たい雨が、街を灰色に映したのが悪い。昼に食べた焼き肉カルビ丼の油が合わなかったのかもしれない。


 息子は塾に行っており、娘は二階でふて寝していた。嫁さんも都合よく残業だった。誰もいない散らかった居間で炬燵こたつに入る。


 また墓場まで持っていく秘密が増えてしまったが、何も反省する必要なんかない。俺はやれることは全てやった。やってのけた。


 駅のトイレにはウオッシュレットが無かった。だが、俺は鞄の中に消毒スプレーを持っていた。後悔するのは後でも出来る。だから後で悔やむと書くのだ。


 パンツについた茶色い染みをティッシュでぬぐった。消毒スプレーを使い、匂いも色も完全に無くなるまで繰り返し作業する。


 ティッシュにスプレーを染み込ませ、ポンポンした。アルコールの匂いしかしない。仕上げに自分の尻もアルコールティッシュでいた。


「……!!」


 滲みて激痛が走ったが、俺は顔色一つ変えずに作業を続ける。冷静、冷酷なプロの殺し屋のように、淡々と仕事を終えたのだった。


 炬燵は俺を癒してくれた。寒さと疲労、仕事のストレスから解放された俺は、しばしの安らぎを貪った。


「パンツが洗ってある! も、もしかしてパパ漏らしたの?」


 帰宅してすぐに嫁さんが気付いた。俺の心に黒い染みが広がっていく気がした。どうして、こんなにすぐバレるのだ。


「……あ、ああ。参ったよね」


 俺は誤魔化さないという、一か八かの賭けに出た。嫁さんなら、一緒の墓に入るのだから、どうせバレても問題ないとか、むしろ優しく慰めてくれると信じたかったからだ。


「バカじゃないの? ズボンも洗ったんでしょうね。まさか一緒の洗濯機に入ってるなんて言わないわよね」


「えっ……入ってるけど、ズボンはセーフだったよ。そんな大袈裟な漏らしかたじゃなかったんだよ。当たり前だけどね」


 同じ墓に入るどころか、同じ洗濯機に入ることすら完全に拒否られた。いつかの優しい嫁は何処に行ってしまったのだろうか。


「駄目に決まってるじゃん。今すぐ出して、自分で洗ってよね!」


「そんな、そんなに心配しなくても大丈夫だよ。鼻をつけて匂ったけど無臭だったし」


「……あんたの鼻は詰まってるでしょ」


 俺は堪えていた涙が溢れそうになった。悲しみを誤魔化すには怒りしかなかった。首まで入っていた炬燵から飛び出した。


「分かっよ! 洗えばいいんだろ」


「そうよ、当たり前じゃない!」


「どうせ、いつも洗濯機を回すのも洗濯物を干すのも俺の仕事なんだから、文句ないだろ」


「はあ? そういう問題じゃないでしょ。さっさとやるっ」


 いつの間にか声のトーンは上がって息が荒くなっていた。二階にいた娘は何があったのかと階段を駆け降りてきた。


「どうしたの?」


 顛末はすべて娘にもバレてしまった。泣きたい気分だった。汚物扱いされた奴隷や難民の気持ちが、全てに満ち足りた現代人には分からないのだと思った。


 なんて悲しい世界になってしまったのだろうか。悪いのは俺なのだろうか。そんなに俺が醜いのか。そんなに汚物が憎いのか。そんな穢れた俺の肩を叩いて、娘はそっと言った。


「悪いのはね……パパだわ、100パー。まさか、いい年した夫婦がウンチの話しで怒鳴りあってるとは思わなかったよ」


 翌朝、ちゃんと嫁さんに謝る俺だった。だが、あの年で漏らすとかまじで気持ち悪いよね……と娘に愚痴を洩らしていたのを俺は知っている。


 娘がちゃんとリークしてくれるからね。俺と娘の間に隠し事はないのだ。ふっ、本当のおもらしはどちらかな。

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