第6話 覆面クッキングのセイ
扉の開く音がした。
それと同時に、これまでガヤガヤと雑談していた生徒達が一斉に押し黙る。
入ってきたのは上品で洒落た眼鏡をかけたクールビューティー。
薄いストライプのスーツセットアップ。
色はネイビー、タイトスカートから醸し出される色気が素晴らしい。
さらに白のブラウスを押し上げる小高い山が2つ。
あの山に登りたい(切実)
「授業を始めます。」
眼鏡をクイッとした冴木先生が、静かに言った。
50分後、授業終了を告げるチャイムが鳴る。
先生は3分前には板書に触れるのを止め、残りを板書を書き写したり質問をする為の時間としていた。
そしてチャイムと同時に教科書やペンケース等を持ち、眼鏡をクイッとする。
「授業を終わります。」
委員長が号令をかけ、礼をする。
先生は頭を上げて教室内を一瞥した後、扉へ歩き出した。
「先生!」
僕の前の席に座っていた野口が勢いよく立ち上がり、冴木先生を呼び止めた。
先生がチラリとこちらを見る。
「…何か?」
「先生もこれからお昼っすよね?良かったら一緒に食べません?」
「結構よ。」
バッサリ。
冴木先生は冷たい目で野口を見ていた。
野口は質疑応答の時間中にも冴木先生に話しかけたりしたが、「授業に関係のない事は答えません。」と切り捨てられていた。
まだ諦めていなかったんだね。
「そ、そこを何とか!」
「…………」
食い下がる野口。
クラスの男子共が固唾を飲んで見守っている。
先生は暫し冷たい瞳で野口を見た後、スッと目をそらした。
「学生は学生同士で食べなさい。」
それだけ言って歩を進める。
「くっ……」
野口が悔しげな表情で力なく座った。
残念そうな溜息があちこちから漏れる。
冴木先生は退室する寸前、項垂れる野口をチラッと見た。
そして、その後ろにいる僕と一瞬目が合う。
だが、冴木先生はすぐに目を逸らして去っていった。
「……大丈夫?」
先生が退室した後も顔を上げない野口に声を掛ける。
応答はない。
ひょっとして泣いているのではと思い、お節介だとは思いつつも顔を覗いた。
野口は……ニヤついていた。
「ふひっ……あの目…あの態度……イイ…」
「僕の心配を返せ!」
ひとまず手元にあった数学の教科書で頭を叩いておいた。
溜息を零す。
そして頭を押さえて痛がる野口を横目に、僕は冴木先生の事を考えていた。
授業開始時と去り際の2回。
冴木先生と目があった回数だ。
自慢じゃないが、僕は常に先生を見ていた。
だから先生が僕を見たのは、ほぼ間違いなくこの2回だけという事になる。
……全く話せなかったな。
まるで昨夜の出来事が夢だったかのように感じていた。
「……まぁ、こんなものなのかもしれないな。」
昨日はたまたまあんな事があっただけ。
僕と冴木先生は、ただの生徒と教師なんだから。
一抹の寂しさを抱えながら、僕は教科書を片付けて弁当を出した。
その翌日の土曜の夜に、僕は自宅の一室でパソコンを扱っていた。
ここは主に動画の編集作業に使っている部屋。
僕は様々な料理を作って食べる動画を撮影し、某動画サイトに投稿している某チューバーなのだ。
祖父が亡くなってからだから、まだ始めて1年くらいしか経っていないけど、登録者数は30万人を超えている。
あまり詳しくは教えてくれなかったが、祖父は政治関係の仕事をしていたらしい。
祖父が亡くなって相続した遺産はかなりのものだった。
しかしこんな立派なマンションまで貰っておいてそれに甘えっぱなしというのは嫌だった為、小遣いくらいはアルバイトでもして稼ごうと考えていた。
どうせなら得意な事を活かして働きたいと考えた僕は、レストランのキッチン等でバイトをしようと思っていた。
しかし、そこでたまたま目にしたのが某チューバーになろう的な広告だった。
折角自宅に立派なキッチンがあるのだから、これを試してみるのも良いんじゃないか、と完全に思いつきで始めた。
でもいきなり素顔を晒すのは気が引けた為、口元の開いたお面を被り、上半身裸でエプロンを着けるという完璧な変装をして動画を撮影した。
チャンネル名は『覆面クッキング』……動画ではセイと名乗っている。
誠を音読みにしただけ。
この奇抜な格好が反響を呼び、今では何故か『変態料理人セイ』などと呼ばれるようになってしまった。
誰が変態だ、ただの変装であり演出なのに。
素顔を晒すのは嫌だけど、ただ隠すだけじゃインパクトが弱いでしょ。
だから上裸エプロンにしてみたのになぁ。
まぁ不名誉な渾名と引き換えに登録者を獲得したと思えば悪くないのかもしれない。
話がそれたが、僕はいま作業部屋で動画の編集作業をしていた。
最初はなかなか慣れずに手こずっていたけれど、今ではそれなりにスムーズにできるようになった。
カタカタカタ……
喉乾いたな。
作業机の横に備え付けた小型の冷蔵庫を開けた。
中には缶コーラが1本。
「あ、補充しないと……って、そういえばもう無いじゃん。」
僕は大のコーラ好きだ。
この小型冷蔵庫には常にコーラをセットしているし、キッチンの冷蔵庫にも入れてある。
だが今はその冷蔵庫の在庫も無くなっていたのを思い出した。
段ボール詰めの予備ももう無くなっている。
1ヶ月前に通販で箱を注文したと思っていたが、その注文がうまくできておらず、数日前に慌てて注文し直したのだ。
しかもそれも発送が遅れたそうで、家に到着するのは月曜か火曜になる予定だ。
つまりこの1本を飲み終えたら、数日間はコーラのストックが無くなってしまうという事。
「これはまずいな……コンビニ行こ。」
明日でも良いんだけど、ストックがないのは不安だからね。
近くのコンビニに行くだけだからスウェットのままで良いや。
上にパーカーを羽織って……よし。
「行ってきます。」
誰もいない家にそう言い残し、僕はコンビニに向かった。
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