第5話 客寄せパンダの身にもなりなよ
冴木先生が帰った後、自室のベッドに寝転がってぼんやりと天井を眺めながら、今日の事を思い返していた。
突如ベランダに舞い降りたブラジャーの色、大きさ、香り。
その持ち主であり上階の住人がまさかの冴木先生だった事。
学校ではクールで人を必要以上に寄せ付けないと噂の冴木先生が、実はモコモコパジャマを愛用している料理下手な可愛い人だった事。
僕の料理を食べていた時のリスみたいな顔。
美味しいと言ってくれた時の笑顔。
過去の話をする時の悲しげで痛々しい表情。
そして去り際の儚くも晴れやかな微笑み。
冴木先生の噂は1年生の時からよく耳にしていた。
本人を見た事もあったが、話した事もなかったし、声を聞いた事もほとんどなかった。
あんな表情で、あんな声で、あんな風に話すんだ。
今日話すようになったばかりなのに、僕は先生が気になって仕方なかった。
一目惚れ?
そんなような気もするし違うような気もする。
ただ……そう、1つだけわかってるのは。
「先生、可愛かったな。」
ポツリと1人呟く自分が気持ち悪くなって、溜息を零した。
……学校では、何も知らない振りしないと先生が可哀想だよね。
「おはよー。」
朝、登校してそこそこ仲の良いクラスメイト達になんとなく挨拶をする。
「よっ、おはよう長谷川。」
席に着くと、前の席の野口が挨拶をしてきた。
「おはよ、野口。」
「昨日の〇〇見たか?」
野口が人気バラエティ番組についての話をする。
しかし昨日のその時間は冴木先生と話していたから見ていない。
「いや、見てないよ。」
「マジかよ。めっちゃ面白かったんだぜ。」
「ゲストは?」
「それがなんとーー」
ダラダラと会話すること15分。
会話が途切れて野口が教室内を見渡した。
「それにしても、学年が変わっても大した変化はないよなぁ。」
「まぁ…それほどメンバーの入れ替えもなかったしね。」
「つまんねぇな。」
蒼雲高校は学力によって生徒達のクラスを分けている。
僕達2年生はAからFクラスまであり、僕のいるAクラスが1番平均が高いという事だ。
とはいっても同じ高校に通って同じ要領で学んでいる為、AとFで比べたとしてもそこまで歴然とした差があるわけではない。
ただ大体同じくらいの学力の者達を集めている、というだけの話だ。
校内での扱いも、クラスによって別れたりする事はない。
だけどそういうクラス分けをしている以上、学年が1つ上がったからといって大幅にクラスメイトが変わったりはしないんだ。
事実、2-Aの生徒の内、4分の3は1-Aだった者達だった。
だから新学年になってもそれほど大きな変化はなく、野口のように感じるのも仕方ないのかもしれない。
「ーーまぁでも、今年はラッキーな事が1つあったな。」
野口がニヤリと笑った。
「というと?」
「もちろん、冴木先生がうちのクラスの数学担当になったことだ!」
その名を聞いた瞬間、ドキッとした。
「あ、あぁ…そうだね。」
「何だよその反応。長谷川は嬉しくないのか?あの冴木先生だぞ!」
「うーん……まだどんな先生かよくわかってないしね。」
適当に誤魔化した。
「どんな先生かなんて見りゃわかんだろ。あの美貌!スタイル!クールな眼差し!あぁ…踏まれたい。」
駄目だこいつ…早くなんとかしないと…
「確かに綺麗な人だとは思うけど。」
本人に言ったら怒りそうだな。
「なんだ。長谷川はああいうのタイプじゃないのか?」
「めちゃくちゃタイプですけど?」
エッチなお姉さんがタイプですけど何か?
まぁ冴木先生が妖艶なのは見た目だけだけど。
「ならもっと喜べよ!学校中の男の憧れ、冴木先生だぞ!」
君は興奮しすぎだと思うな。
隣の田所さんが凄い目で見てるよ。
生ゴミを漁るカラスを捕まえようとしているホームレスをスマホで盗撮しようとしている人を見るような目で。
「……でも、結構厳しい先生なんでしょ?」
少なくとも噂ではそんな感じのはずだ。
「それが良いんじゃないか!あの冷たい瞳で見下して、罵倒してほしいって……男ならそう思うだろ!?」
思いません。
むしろ普段冷たい瞳のお姉さんに柔らかく微笑まれながら頭撫でて「よく頑張ったわね。」とか言ってほしいです。
「ごめん。僕にはわからない世界だよ。」
「そうか…残念だ。」
本当に残念そうにする野口から心の距離を50mほど離す。
基本的には良い奴なんだけどね。
この変態性はちょっとどうかと思うんだ。
ちなみに僕は変態じゃないよ。
ただブラジャーの香りを嗅いだだけじゃないか。
「だけど、美人教師が来て嬉しいとは思うだろ?」
「ん…まぁ、ね。」
昨夜の事が頭を過った。
僕は美人教師を近くで見られるから嬉しいと感じているのか。
それともあの冴木冬華さんと話せるから嬉しいのか。
自分でもよくわからなかった。
「今日は4限目が数学だ。冴木先生の顔を見るのが楽しみだぜ。」
野口が期待するように笑う。
昨日までなら、その顔を見ても苦笑いして頭の中で「この変態め…」と貶すだけだっただろう。
でも今日の僕は、冴木先生を客寄せパンダのように見ているように思えて、酷く不愉快な気分になった。
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