第3話 夜をこえて来た人
本を買い、気分を取り直して ショッピングモールを通り抜けると、駅から見えていたタワーのようなビルの前に出る。
入ったことはないが、ビルの下層階は商業施設になっているようだ。病院やクリーニング店などの看板が見える。
中層階から上はどうやら、住居区域になっているようだった。
ビルの右手には併設して「みんなの広場」なる共同スペースがある。こういった、地域貢献用のオプションをつけてビルを建てると、代わりに少し税金を減らしてあげるよ。とか、容積ボーナスなどのサービスが行政から貰えるらしい。
その「みんなの広場」のベンチに人影があった。暗くて確信は持てないが、先ほどからの男だ。ユウの部屋に帰るには左に行けば良いが、ユウは好奇心に負けた。
男は「月亭や」にいた時と同じようにスマホをいじっている。画面から漏れる明かりで 顔が映し出されて、ユウは先ほどの男だと確信を持った。
一旦、距離をとって男の背後に回りこみ、そっと近づく。男がスマホで何を見ているのか知りたかった。……が、それは、もうちょっとのところで、広場に結界のように敷かれた砂利によって阻まれる。これ以上 足を踏み入れたら、音がなってしまう。どうしようかと迷っていると、男がユウの気配に気づき驚きの声を上げた。
男が驚きの声を上げるのと ほぼ同時に、ユウは謝罪の言葉を投げかけた。
「ごめんなさい、先ほどのお礼を言いたくて」
「––––––あぁ、君か。驚いたよ」
「ごめんなさい。さっきはありがとうございました」
「うん? 別に気にしなくていいよ、あそこは安いからね。それよりも君、僕じゃなかったらどうしてたの?」
ユウは考えながら歩き、まだ、あった 男との距離を詰める。
「やっぱり、謝っていたと思います。人違いでしたって」
男はユウの返答が面白かったらしく、声をだして笑った。
「–––––でも、危ないから無闇に声をかけない方がいい」
「貴方だと言う確信はありました」
男は少し考えた。
ユウは、その
微塵も、(説明する労力を割く
正確には男が量っていたのは、一個人としてのユウの
「だから、それが危ないとは思わないの? 僕は変なヤツかもしれないじゃないか」
男は多少の
それに対してユウは、確かに会ったばかりで、どんな人間なのかは分からないが…
「だって、さっき、おごっ……夕食の代金を支払ってくれたし、それに下心もないと言って立ち去ってしまいましたし、それに、その、そのあと……」
どれも、まともな人間の担保となるような事では無いが、ユウの世界の怪しい人々は、ユウに対して怪しいままでいる事を確約してくれていた。少なからずユウの小さな世界の怪しい人々は、男のような行動はしない。
「そのあと?」
(ラノベを買っていました)
とは、言えず。
「いえ、なんでもありません」
言い終わってから、絶対にこの話題については、もうこれ以上話さないと言う意思を示すため、口を横に引き絞った。
ライトノベルを買っているのが、なぜ変な人では無い証明になると思ったのかは、ユウにも分からない。けれど、見た感じ真面目でカタそうな印象のこの男がライトノベルを買っているのを見て、心に変な偏りが出ないようにラノベを読む事でバランスを保っているんだなと感じた。
怪しく無いと判断した理由を、敢えて述べるならそんなところだ。
男はユウを見つめていたが、何かを悟ったらしく。視線を外して、首の後ろを掻いた。
「キミは学生さん?」
河岸を変えて、ベンチに座る。
「はい? いや、……いいえ、ちがいます」
予想外の質問と、突然の話しの変更、そして、学生と間違えられた嬉しさに動揺する。
ユウは自分が女性である事を、あまり好ましく思っていない。男性とくらべ、
普段は自分が女性であることを、あまり気にし無いようにして生きているが、卒業して4年。焦りを抑える事に、多少の手間をかける必要が出てきており、手間をかけている自覚が持てるほど、開き直れていなかった。
男は自分の脇を占有していた鞄をどけて、ベンチの座面をハンカチで拭いた。
また、ユウを見つめ直す。
何を言われた訳でも無いが、動揺していたユウは男の隣に腰をおろした。
男はユウの「ちがいます」の続きを待っていたが、ユウがそれ以上 話す気が無いことが分かると、だいたいの事を悟り、ユウがなぜ、続きを話さないのかを、ひとまず一般に落とし込んだ上で、察しをつけた。
—— きっとこの
組織に価値を認められず、自分を認めなかった組織に価値を見出せず、自分に価値が無いのを、そうして周囲のせいにしている自分を恥じている。
そんな己に嫌気がさしているのだろう。それも、ボンヤリと。嫌気がさしている意識もなしに……だから、「ちがいます」の先、己が今、何者なのか語れない——
男も暇では無い。普通であれば、早々に話しを切り上げて、隣にいる何か勘違いしているような……と言ったら、酷いが、まだ自分自身がどんな人間なのか知り切れていない、無知を自覚していないような子の相手などせずに帰宅するのだが、その子からは微かに……本当に微かなのだが、冬に蛍が飛んだなら こんな風に明滅するだろう。そんな、憐れさを感じて、つい腰を落ち着けて 話し込む気を固めてしまったのであった。
「あらためてって、感じになるけど……、香川康裕。です。 貿易関係の仕事をしてるんだけど、名刺はぁ、…いる?」
相手がカードを切って来ないのならば、こちらからカードを提示してしまえば良い。
そのセオリーに従って 香川は自分の名を告げた。
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