第2話 大人と変調

 

 その日も「月亭や」は繁盛していた。ユウの後から入ってきたその男は、混雑していて何処に座ろうか迷っていたユウを尻目に、空いている二人客用の座席に一人で座った。

 「月亭や」は40席ほどの店で、入って左に 外の通りと向かい合うようにカウンター席が数席あり、入って右にはレジがあって、そのレジの向こうに、これも同じように外の通りと向かい合ってカウンター席が10数席並んでいる。店の中央には中洲のように、二人客用の座席が数席。店の奥にも厨房と相対するようにカウンター席が設けられている。

 空いていたのは、外の通りに向かって作られたカウンター席が一つと、二人客用の座席だけであった。

 ユウは混雑しているのに、二人客用の座席を一人で占領するのはどうかと思い、けれど、通行人にジロジロ見られるカウンター席も 敬遠したい。そんな気持ちの狭間を逡巡した。

 ユウの瞬懊しゅんおうとも呼ぶべき間に、——男は二人客用の座席に座り、なのに周りの客が何も気にしないのを見たら、ならば私が座れば良かったと、逡巡した自分が馬鹿らしく思えたけれど、そんな自分を卑下する思いを、——ユウは男に向ける事によって回避した。

 そんなユウの棘を含んだ視線に、男は気がついたようだ。


「あぁ、すいません。 よろしかったら、相席そうぞ?」


 男は立ち上がって椅子を引き、ユウに声をかける。

 普通であれば断るところだが、結局 ユウは男と向かい合って食事をすることになる。

 理由はまず、 男の所作に『混んでる時に相席なんて当たり前だろ? 世間を知ってれば、周囲の事を考えては我慢すべきだ』 暗に、そんな事を言われている気がしたからだ。

 続いて ユウと男の後からも 何名か客が入って来ており、空いている席を探していた。

 ユウが相席を断り、空いている一人掛けの席に座れば、後の客は待つ事になる。

 後続の客の、ユウを見て視線がプレッシャーになった。

 最後の理由として、男の声は 大きくは無かったが 良く通った。食事中の客もユウの事を直接見てはいないながらも、成り行きがどうなるか 意識は向けられているような気がした。

 実際に成り行き次第で 対応を変えなければならない店員は、ユウがどうするのかを見守っている。

 そんな状況がユウに断ると言う選択肢を与えず、見知らぬ男と食事を取ると言う気苦しい一幕を、1日の終わり近くでユウに与えた。


「えっ? あぁ、すいません。 じゃぁ、いい……ですか?」


 忙しそうだった店員が、手間が省けたといった笑顔でユウを席に案内し、二人分のお冷やを置く。


「こちらこそ、後から入って来たのにすいません、には座らないように見えたんで、先に座ってしまいましたが、マナー違反でしたね」


 こうも、しっかり謝られてしまえば、ユウとしては何も言えない。


「いえ……」


 弱々しく、ぎこちなくなっているだろうな……。そう思いながら、反射として染み付いた笑顔で対応する。

 注文をするまでは、二人の間を短い言葉が行き来した。けれど 店員に注文を告げると、男はやるべきことはした。と言うように それ以上の気遣いを見せず、スマホを取り出して 黙って操作を始めてしまう。

 相席など初めての経験だったユウは、店員が去って二人きりになったら、何を話そうかと身構えていたが、相手の無関心な態度に、自分は警戒していたのか期待していたのか、それすらも自身で分かっておらず、ひいては先ほど、突然 相席の誘いを受けたことに動揺してしまい、相席をかどうか考えるのは後回しで良いのに……、したいのか、したくないのか。それによる判断出来ていなかった事に気がつかされ、己の若さを露わにされたような、裸にされたような恥ずかしさを味わった。

 


 先に食事を終えたのは男だ。

 席を立った男は、


「マナー違反だったので…」


 いきなり切り出した。


「えっ?」

 

 ゴチャゴチャと、気にしなくて良いことまで内省していたユウは、何を言われたか ついて行けず、男を見上げる。


「お詫びにおごりますよ」


 男はユウの反応など構うことなく、自分の意思をユウに押し付けてくる。


「えっ…あっ、えっと…」


「お詫びですよ、特に下心はないです。 会計済ませておきます」


 ユウの態度を見て男は、これは構ってられないな。そんな風に、二枚の伝票を持って立ち去ってしまった。


 

 「月亭や」は、千葉 — 東京間をつなぐ線路に対して、東京湾側から、ほぼ垂直に延びて来る「まろにえ通り」と、駅のロータリーの出口側の道が合流する辺りにあった。

 ユウが食べ終わって外に出ると、黄昏れ時は過ぎ、辺りは暗くなっている。食事代を出してもらったと言うのに嬉しくない。微妙に重い気分のせいか、階段を昇る気にもなれず、ユウは「まろにえ通り」を辿って津田沼公園を目指し、隣接して建っているショッピングモールの古本屋に立ち寄った。書くことはやめたが、相変わらず読むことは好きだ。たくさんの本に埋もれていると楽しくなってくる。

 やはり紙がいい。以前は、部屋にも大量の本が積み重なっていたが、最近は本を買うのも ためらってしまうほどのお財布事情だ。読む頻度の少ない本から手放していき、手元に残っているのは、お気に入りの数冊だけになってしまった。

 何かめぼしい本はないだろうか? 背表紙を人差し指でなぞりながら棚の合間を歩いていると……

 先ほどの男が棚の合間に見えた。ユウはドキリとして立ち止まり、棚の影から男をじっと観察した。

 手に取っているのは、ライトノベルと言われる類いの本であろう。その男には不釣り合いだった。見ていると、男はためらうこともなく2〜3冊 手に取って、会計を済ませて店を出て行ってしまう。追いかけようかとも一瞬思ったが、それよりも自分の今夜の相手を厳選しなければならない。

 ユウは、さきほどの男の買い方を羨ましがりながら、ある数式を愛した数学者の小説を手にとって、今夜はこの子と共に眠りにつこうと決めた。




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