雪待ちの人

神帰 十一

第1話 蛍 雪


             『雪待ち人』


 ユウがそのタイトルを目にした時 想い浮かんだのは岩手県 雫石の母の実家の風景だった。

 豪雪地帯である。

 場所によっては、2メートルを超える雪が平気で積もることもある地域だ。秋田県と接しており小岩井牧場を抱えているので、子供のころのユウは長い休みの機会に祖父母の家に行く事を『小岩井牧場』に行く。その気は無かったが、少し背伸びしてクラスメイトに説明していた。

 

 祖父母の家の南には御所湖と言う湖が広がり、ここは夏場 ホタルが飛び交う。

 幼かったユウは夏休み、その幻想的な風景を見るのが楽しみでしょうがなかった。湧き立つホタルの光の中にいると、自分が魔法使いになれたような気がしたからだ。

 ホタルは以外と警戒心が薄い。トンボなどは 人の気配がするとすぐに逃げていってしまい、捕まえるのに苦労するが、ホタルはユウが歩いていても、勝手に体にとまる事がある。

 体にとまったホタルを慎重に手に取って、人差指を夜空に突きさしてやると、ホタルはツタツタと星を目指してのぼり、のぼり切ると、そこで爪先から夜空へ向けて星の光に還るかのように飛び立つ。頼りなく、ユラユラと、フワフワと。

 その ユウの指先から放たれた淡い光が頼りなく漂う光景は、魔法を使ったような感覚をユウにもたらしてくれた。

 ユラユラ フワフワ漂ってしまうのは、ユウの魔法の力量が足りないせいで、まだ真っ直ぐに飛ばせないからだ。

 幼いユウは、そう思う事で想像と現実のすり合わせをしていた。


 次に想い浮かんだのは高野悦子の『二十歳はたちの原点』だ。

 この本をユウが手に取ったのは、ユウが自身の指先から飛び立つホタルは魔法では無いことを十分に知り、けれども、この光景自体が奇跡なのだと、現実とのすり合わせが不要になった頃だった。

 ——祖母の本棚に並んでいた。

 なぜ手に取ったのかは覚えていない。二十歳おとなになる前に、二十歳おとなとはどう言うものなのか覗いておきたかったのかも知れない。

 ——雪が降っていた。

 それは覚えている。だから雪と言う言葉を見て連想されたのだ。

 その頃、ユウは物書きになることを夢見て、詩を書いていた。

 小学生の時に授業で仕方なく書いた詩が担任の目にとまり、学校開催のコンテストに選抜され、そこから県南の文芸コンクールを経て、県の文芸コンクールに出す作品として選考されてしまう。あれよあれよと言う間に、詩の部門で最優秀賞を飾った。

 勘違いしたユウは詩を書き、大人たちは無責任な優しさでユウの書いた詩を褒めた。ユウの勘違いは増長して行ったが、自分の指先からは魔法が放たれはしない事を知ったように、自分にはさして才能が無いことにすぐに気が付いた。

 才能が無いのを認めるのはあまり苦では無かった。

 将来、物を書く事で生計を立てようと 具体的に思った訳ではないが、まぁまぁ良い物を書けている。そんな自負のあったユウは、小学生の高学年の頃から投稿サイトに自作の詩を見せびらかすように投稿し始めていた。そこには、プロの作家ではないにも関わらず、才能ある者達の言葉が銀河に散らばる星のように瞬いており、自分もその星々の中に瞬く ひとつの星なれたんだ。無邪気にそう思えることが出来た。

 最初のうちは楽しかった。

 だがユウは、そう遠くないうちに、才能ある者たちの綺羅星の如き言葉の羅列を目のあたりにして、自分がフワフワ、ユラユラ頼りなく飛ぶ、一匹のホタルであった事に気づく。

 ユウに詩が書けていたのは、ユウに子供と言う無邪気さのアドバンテージがあったからだ。様々な作品に触れ、文字を識り、言葉を憶え、知識を吸収するほどに、感性は枯渇していき、素朴なうたは聞こえなくなっていった。

 

 ––––短い夏は終わりを告げ、季節は巡り今は冬だ。ホタルはとうに死に絶えた。

 

 歳を経るにつれて、アドバンテージを失ったユウに残ったのは、皆の書いた作品を読んで「みんな、才能があって羨ましいね」そう言って交流する楽しみと、詩に浪費した時間を惜しむ気持ちだけである。書くことには何の想い入れもなく、指が機械的に動いて、字句を残すだけの日々となった。

 そんな時に読んだ『二十歳の原点』は、ユウに残っていた ちっぽけな意固地をプチリと潰した。

 自分はこれほどまでに赤裸々に 想いを綴れない。

 ここまで苦しまなければ、本当の言葉は生まれてこないのか。

 ユウは公開した全ての作品を削除して、サイトを脱会した。


 夢をあきらめ、大学に入ったユウは、どこかに気怠さを抱えたまま、ほどほどに楽しいような、何となく悲しいような毎日を送ることになる。

 ちっぽけな意固地がプチリと潰されるのが、もう少し遅ければ、大学にも行かず もっと自堕落な生活をしていただろう。いっそ、自堕落な生活をしていた方が 何か得る物があったかも知れない。

 大学は文系ではなくて、千葉の津田沼にある工業大学に受かった。夢を諦めた反動で頑張った 。と言えば聞こえは良いが、ユウの耳には時々、


「逃げた、逃げた、文字から、言葉から、物語から。 お前をホタルと呼ぶのはおこがましい、お前は単なる弱虫だ」


 そんな声が聞こえる時があった。

 

 大学では、そこそこに友人を作り、彩りのために男を脇に置き、卒業できる程度に単位を取って、何も得ずに卒業した。

 在学中に二十歳おんなになったが、二十歳おんなはたいして大人ではなかった。

 卒業後は、(どんな仕事をさせてくれるのだろう?)そう期待して入社した会社に、「貴方はどんな事が出来ますか?」「貴方はどんなことで貢献をしてくれますか?」を問われ、自分には何もできない事を知って、1年も経たないうちに退社した。

 フリーターをして3年。親からの仕送りは随分前に無くなっていたが、ユウは大学時代に住んでいたアパートにまだ住んでいる。


 *

 

 津田沼駅は改札を出て右側が南口、左が北口になる。その南口の方へ、駅によくある小さな売店を横目に 外を目指して歩いて行くと、習志野文化ホールと言う文字を掲げた建物が正面に見え、そこまで歩いた者は その後ろに、タワーと言って良い高さのビルが立っている風景を見ることになる。そのビルの左側にまた背の高いビルが幾つか並び、順番に目で追って行くと ユウの通っていた大学があった。

 駅の屋根が無くなる所まで歩いて行くと左側に階段がある。階段を降りずに ロータリーの上を跨ぐように敷設してある歩道橋を真っ直ぐに行くと、公園と言うには名ばかりの、津田沼公園と言う、どこかうら寂しい広場に辿り着く。そこを通るたびに、北口にある「公園」を意味する名を持った百貨店の方がずっと楽しそうでがあるとユウは思った。

 

 公園を目指さず、左側に現れた階段を降りると 中華食堂「月亭げっていや」と言う店がある。

 ユウは仕事の帰りに ここで食べて行くことが多い。


 男とはそこで出会った。





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