その後、仕出しの弁当が配られた。


 ひとりぼっちの哲道は、それをすぐに食べ終えてしまった。食べることに専念できたから。哲道から離れたところでは、それぞれが、おのおのの小宇宙を作って、談笑に明け暮れていた。


 くるわ先生も、ひとつのグループに加わって、笑い声を上げていた。哲道は、もうここから帰りたい気持ちになった。いまなら、だれにも気づかれないのではないかと思った。


 このままひとり、ぽつねんと大宇宙に漂った状態でいることが苦痛だった哲道は、こそこそとトイレに逃げることにした。哲道が教室を離れたことに気づく同級生も、いるにはいるみたいだったが、そのことを問題にしようとする者は、ひとりもいなかった。


 電灯は夜闇に負けていた。うすぐらい廊下は寂寞せきばくに包まれていた。哲道は、高校時代の記憶が全て、台無しにされたかのような気がしていた。


 その時、見覚えのある教室が眼に入った。多目的室C。そこは、常時開放されていた教室であり……なにより、哲道が、早朝に、昼休みに、そして放課後遅くまで、勉強にひたりきっていた教室だった。


 哲道は、試しにドアノブを回してみた。抵抗が全くなかった。そして、思ったよりはやく、ドアが押し開いた。暗闇の中で、数台の机が眠っていた。


 スイッチを入れると、二回の点滅のあと、じんわりと光が教室中に放射された。それは、過去の記憶と現在を繋ぐのには、じゅうぶんな明かりだった。哲道は、机をひとつ、手でなぞってみた。机も椅子も、もちろん新調されていた。


 当時、自分がどの辺りに座っていたのか、哲道には、よく分からなかった。時間や季節に応じて、気ままに、机を使い分けていたのではないか――それは、この多目的室を使用する生徒の数が、あまりにも少なかったことを、示していた。


 ためしに、窓ぎわの席に座ってみた。すると、朝陽に参考書が照らされた光景、窓から入ってくる穏やかな風、廊下のにぎやかさ――あのころの記憶が、次々によみがえってきた。

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