第4話 家路

希子

おーい、着いたよ!


ルスカ

あ、いつの間に?

ごめん、うとうとしてたわ。


希子

ルスカさ、いつもこの坂の前のカーブで寝るよねー。


ルスカ

そうかな?

そう言えばさっきさ、なんか古臭いけど、なんか良い曲かかってたね?


希子

そう?ママのプレイリストかな?

わかんない。


ルスカ

ま、いいや、あれ?誰もいないじゃん?

車一台もないよ。


希子

買い物じゃない?

パパは午後だし。

荷物おろして、お願い!


母は勢いよくドアを閉めるとリモコンで鍵をかけた。


ルスカ

鍵! まだおろしてないし。


希子

ごめんごめん。


笑顔でリモコンを押した、時々わざとなのか、天然なのか分からなくなる。

ただいまー、と声に出して誰もいないであろう実家の巨大な茶色の木製のドアの取手を引いた。

軽くすっーと横にスライドする。

いつも思うが、父の手作りとは誰も思わないだろう。それくらい、おしゃれで僕の言葉で言うとクールだ。

実家は代々からの土地で、祖父が父と20年前に建て変えた巨大な洋館風な家だ。

多分僕の町にあったら金持ちに見えてしまうだろうが、この小さな田舎町ではみんなそれぞれ家が大きいので、洋館風だと言うだけだ。

外にはヤシオツツジと紫陽花が並び、その両ついには大きなソテツが植えてある。アプローチは枕木が心地よく配置してあり、龍の髭や、シダがところどころに顔を出している。母は父の部屋へと二階に階段を上がって行った。

僕は階段下にあるアップライトピアノの蓋を開け、しばらく調律されていない、真ん中のキーをそっと叩いた。

あれ?

違和感に気付いた。左から上まですべて流していくとなんとなくあっているような気がした。気のせいか?ピアノ習ったことないし。


突き当たりの先、右側に僕の部屋がある。

10畳の和室だった部屋を祖父がフローリングに変えてくれたのだった。

壁は父がオフホワイトの漆喰風にしてくれた。

元々和室だったので、僕の部屋にだけは縁側がある。

大きな開口の窓にかかるカーテンを開けると

雑木林から心地よい光りが差していた。

窓を開け、入り込んで来る風に一瞬眼を閉じて鼻で息を吸ってから、あぐらをかいて、両手を後ろにつき、青々と繁ったナラの木の枝葉の間から見える空を眺めた。


希子

ルスカー!


リビングからなんとなく僕を呼ぶ声が聞こえた。網戸を閉めるとリビングに向かう。


ルスカ

何?


希子

おばあちゃんに挨拶した?


ルスカ

あー、してない。


希子

してこい、、。


ルスカ

はいよ。


小さな仏壇はリビングの隣の書庫にあった。

天井まで作られた棚には本が隙間なく乱雑に並べてある。

反対側の真ん中に小さな仏壇があり、小さな木のイスが向かい合う形で置いてある。

祖母が愛用していたイスだ。

木のイスをそっと引くと座って手を合わせた。ただいま。

頭の中でつぶやいた。

外から軽トラがエンジンを唸らせて坂道を上がって来る音が聞こえる。


希子

じい、帰って来たねー。


母はわざと僕に聞こえるように声を張りながら呼びかけながらキッチンで洗いものをしていた。

僕は玄関に向かうと外に出た。


バンッ、軽トラ特有の軽いドアを閉める音。

何やらスーパーの袋を抱えている。


ルスカ

じい!


一郎

おー!!帰って来てたのか?

なんだ今週は来ないかと思ったぞ。


ルスカ

帰って来るに決まってんだろ?

帰って来ないと寂しいだろ?


一郎

馬鹿、寂しいわけないだろ。

忙しいんだから。


目尻が下がった祖父は嬉しそうだ。


一郎

のんは来てんのか?


ルスカ

なんで??


僕はわざといたずらに聞いてみた。


一郎

いや、来てんのかと思って。


ルスカ

来ておりますよ。焼酎買っといたってさ。

あと、パン。


一郎

ふーん。


嬉しそうだ。祖父は母を気に入っていて、誰よりも可愛がっている。父は酒を飲まず、祖父と父はほとんど会話がないからだ。

祖母が亡くなって祖父が定年退職してからは余計にワンクッションがなくなってしまい、

祖父は父への対応に困っている様子だった。

母は大酒のみで酔っては祖父の肩をひっぱたくほどの仲だからだ。

祖父も母とお酒を飲んでは世界の話しを政治と交えながら話すと冗舌になる。母も仕事がらドクターの話しに付き合ってる日常なので当たり前のように話しを返せる。


その分、父は穏やかで静かだ。

華やかな世界にいたとは思えないほど物静かだった。


大抵の時間は読書をしているか、じっと外の庭の様子を隅から隅まで眺めている。

最近は後ろの倉庫で何かを作っているが、

そっちは行くな。まだ出来てないから、と言われている。 

時折りピンと張り詰めるようなオーラが父にはある。何か独特の薄いガラスのような、切り立った断崖のような。

僕の思い違いかもしれないが、、、。

父が今、どうやって生計を立てているか僕にはわからない、母に聞いても、株でもやってんじゃないの?としか言わない。

いいんじゃない?お金なら何で稼いでも一緒なんだから。そう母は話していた。



一郎

おーい、りゅうすけ  


祖父に大声で呼ばれた。


ルスカ

何?


祖父は僕をそう呼ぶ、一番祖父にそう呼ばれるのが好きだ。


一郎

ちょっと見せたいものがある。


ルスカ

今行く。


祖父の部屋は玄関から右側の一番奥にある、

二階には三部屋とトイレとシャワールーム。

一つは父の部屋、一つは寝室、もう一つは物置になっているようだ。

一階には二十畳ほどの暖炉があるリビングにキッチン、バスルーム、間に書庫、玄関は吹き抜けで大きなファンが吊り下がっている。


ピアノの蓋をそっとおろし、廊下を歩いて祖父の部屋へ向かう。


一郎

これ、みてごらん。

りゅうすけにあげようと思ってな。


それは金色のダンヒルのライターだった。

後ろの刻印を見ると18k


ルスカ

じい、これヤバイやつじゃん?


一郎

ママには内緒だぞ!

じいがスリランカにいる時に買ったんだよ。

紙袋にぐちゃぐちゃに入れてな?

バレて空港でえらい目にあった。


笑いながら話していたが、18金製のダンヒルのライターだ。斜めにダイヤのように光るボーダーライン。

オークションサイトでも数十万円で取り引きされていた。


ルスカ

いくらで買ったの?


一郎

あんまり覚えてないんだよな。

日本円にしたら五万くらいだったかな?

当時にしてはな。今の価値は分かんないな。


ルスカ

いやいや、いいよ。いらないし。

ママに見つかったら怒られるよ。


一郎

いや、お前が持ってけ。良いことあるぞ。

きっとな。 

じいはタバコやめたしな。



少しだけ、昔を思い出しているような深い眼差しで祖父は僕の手の中のライターを眺めていた。


ルスカ

わかった。大切にする。

じい、ありがとう。


ルスカ

で、なんか話しあんじゃないの?

じいから部屋に呼ぶ時ってさ。

これ? なの?



少しだけ、大きく息を吸った祖父は



一郎

佑の事だ。

パパは最近変じゃないか?

何か聞いてないか?


ルスカ

パパ? 

いや、なんも話してないよ、最近は。

あー、倉庫あんじゃん?裏の。

なんか作ってるみたい。入るなって。


一郎

そっか、、、、。

いや、実はな、、。


祖父は毎週月曜日と木曜日の朝に、家のゴミを近所のコミュニティセンター脇に捨てに行っている。そのゴミの中に大量の薬のタブレットの殻を見つけ、心配だったらしい。

今まで見た事のない量が最近あるらしく、

ただの頭痛薬や胃薬とは違うようだった。


一郎

ほら、これだ。


使われた空きの錠剤のタブレットを渡された。


一郎

調べるの得意だろ。おまえなら。


ルスカ

ちょっと待ってね。


携帯をポケットから取り出して、検索サイトに入力してみる。


テガフール・ギメラシオ


なんだろ?初めて聞く名前だ。

サイトにはこう書いてある。


この薬は、細胞障害薬という種類の薬です。その種類の中で「代謝拮抗剤」と呼ばれるグループに属し、フッ化ピリミジン系の化学物質を含んでいます。増殖の盛んながん細胞に多く含まれる酵素を利用し、がん細胞の増殖を抑えます。


ルスカ

え?! 抗癌剤! って?!

あ、いや、なんでもない。


一郎

ん? なんて書いてある?


ルスカ

あー、、、代謝拮抗剤だって。

用はさ、あのー、パパだっていい歳じゃん?

代謝を促す薬ってことじゃない?


一郎

そういう事か、、、。

だから毎日走ってんのか。


祖父は続けた。


一郎

あのな、じいが外の草むしりしてるだろ?

そうすると坂道をぜえぜえしながら帰って来るんだ。全力で走って帰って来てたんだな。


僕は抗癌剤だとは言えなかった。

そして父が走っているとは思わなかった。

心臓の鼓動が止まらなかった。


ルスカ

じい、ありがとう。今日はママのご飯だね。


一郎

おう。


祖父の部屋を後にして自分の部屋に戻り、また検索してみた。

どのサイトを見ても抗癌剤と書いてある。

まさか、父が。いや、そんなはずはない。

母はなんでも僕に話す。

父がそんな大事な事を母に話さない訳がないと思った。

思いたった僕はリビングへと向かった。

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