05

「アメージング……驚いた。本当に勝ってしまうなんて」


 シトリンが信じられないという顔で水槽と、双子につけられた首輪と腕輪の鎖の鍵を持ってくる。


「屋敷まで配送するかい?」

「そうね。お願い」


 受け取るために差し出した手に鍵が乗る直前、シトリンの手が止まる。


「ところで、オークションは、紳士淑女の社交場のため、魔法や暴力は禁止されていることは知っているかい?」


 笑みに秘められた瞳の奥の光に、コーラルはいたずらに笑う。


「知ってるわ。破ったら、狩りの得意なヴェナーティオに首輪をつけられるのでしょう?」


 今も、悔し気に立ち上がる客がいるが、目を光らせる従業員たちにその場から動く客はいない。

 袖幕の裏に、嘘を見抜く魔道具を用意した人が見えた。

 もし、魔法を使ったのが発覚すれば、コーラルを捕らえるつもりなのだろう。


「いやね。魔法は使ってないわよ」


 静まった部屋。

 魔道具は反応しなかった。


「……失礼致しました。アークチスト様。此度は不正なく。この人魚は正式に貴方様の物となります。手続きに移りますので、お部屋に案内致します」


 オーナーへ案内される中、ふと手に触れた冷たい感触。


「心付けさ」


 小声で告げるシトリンに渡されたのは、人魚用の回復薬。

 手続きはゾイスに任せ、コーラルは先にシトリンと共に配送の用意に連れていかれた人魚の元に向かった。

 変わらず威嚇する人魚に、シトリンも心配そうにコーラルを見つめる。

 鎖はつけたまま、蓋を外せば、鼓膜を破りそうな音が響く。防御魔法を事前に唱えていなければ、気を失ってたかもしれない。


「さっきから寝てる方。薬を上げるから、飲みなさい」


 反応したもうひとりに小瓶を投げ入れれば、あからさまに嫌そうな顔をした。しかし、一度もう一方を見ると、小瓶に手を伸ばし、おずおずとその中身を口にした。

 苦しむ様子もない一匹に少しは安心したのか、もう一方もこちらを無暗に威嚇するのはやめた。


「少しは話ができるかしら」


 コーラルの言葉に、二匹ともゆっくりと顔を出す。

 オークション前の水槽を突然直したこともあり、一応無暗に攻撃することはしないらしい。

 シトリンも安心して、少し離れたところからその様子を見ていた。


「まず鎖を外して頂けます?」

「あってないようなものでしょ」


 首を腕、そして水槽に繋げられている鎖。鎖で繋いでいるとはいえ、水槽内で動きに困ることはないはずだ。

 しかし、こちらを睨む二匹。


「じゃあ、襲わないでよ。それを約束するなら、外してあげる」

「はい」


 その返事にコーラルは、水槽と繋がる鎖を外す。


「私がお前たちを買ったの。使用人としてよ」


 次に、首と腕に繋がる鎖を外す。


「人間に変身できるのでしょう? なら、人間の姿で、使用人の真似事をしなさい」


 自由になった腕でずるりと水槽から這い出すと、帽子を取り出し被る。

 すると、尾びれから人間の足に変わった。


「おぉ……! すごい。これなら問題なさそう」


 もっと歪かと思っていたが、普通の人間の足だ。

 コーラルが関心していれば、ふと耳に入った言葉。


「――本当にバカな人間だ」


 水槽に映ったのは、首筋へ噛みつかれるコーラル自身の姿だった。


 場は騒然としていた。

 コーラルに噛みついた人魚は、もう一匹を抱え逃げて行った。


「コーラル!! しっかりしろ!!」


 目の前で、頸動脈を噛まれるのも、血が噴き出すのも見た。


「――」


 しかし、傷口は小さいものだった。血は出ているが、致命傷になる傷ではない。彼女自身が掛けている回復魔法に合わせて、回復魔法をかければ、いとも容易く傷は塞がった。


「ったく……少しオチが見えてたけど、はぁ……」


 逃げ出した彼らの向かった場所は、一応追跡している従業員がいる。すぐに見つかる。

 だから、今は確認しないといけないことがある。


「コーラル」

「悪かったわよ。場所を教えてくれる? 探しに行くから」

「違うよ。君、何をした?」


 噛まれた瞬間を見た。はっきりと。

 幼い時から狩りに連れていかれ、動物たちの生存競争を見ていたからだろう。あの時、彼は確実に

 離れるのが早くて、窒息させることはできなかったかもしれない。しかし、彼は逃げることを優先した。それでも、迷いなく、確実に噛みつかれた獲物は、出血多量で死ぬはずだから。

 しかし、実際はどうだ。目の前にあった傷は、明らかに外していた。


 それに、先程から微かに瞳孔が開いている瞳が魔力を纏っていた。


「実しやかに囁かれる噂に、魔法ではない神秘持った魔術師が存在するというものがある。まさか、コーラル、君は」


 魔術師の中で、絶えない噂だ。魔法の域を超えた神域にも到達しかねない力を持つ魔術師がいるという噂。誰もが、それをただの装飾された噂だと思っている。強力な精霊と契約したとか、新たな魔法を生み出す偉大な魔術師だったとか、それがその噂の真相だと思っていた。

 シトリンも同じだ。ほとんどの魔術師がそう思っている。

 だが、一般的な魔術師ではなく、貴族たちの魔術師程、その噂を信じていた。その違和感の正体がもし、本当に存在するからだとしたら?


 アークチストは歴史が長く、家としての規模は全く大きくない。それでも、魔術師社会に知らぬ魔術師がいないほど、名を轟かせているのは、占星術の先駆者だけではないのかもしれない。


「さっきも、その前も、おかしかった」


 突然元に戻った水槽。

 勝てるはずのないオークション。


「受け入れ難いはずなのに、容易く受け入れて……」


 それは、違和感すら感じない違和感。

 確信はない。しかし、冷静に、事実だけを揃えれば、違和感がないのに、その道筋を考えれば考える程、矛盾が生じる。


 ありえない。


 たった一言に尽きる。

 それをもし可能にするなら、それは魔法だ。

 

『魔法は使ってないわ』


 あの時、コーラルははっきりと魔法は使っていないと宣言した。

 魔道具も反応しなかった。それは、嘘をついていないということ。


 当たり前だ。それは、魔法ではなく、神秘の力なのだから。


「なら、君は不正を働いたことになる」


 もしそうなら、ヴェナーティオ家として、彼女を捕まえなければいけない。


「だから?」


 見上げる彼女の目は、記憶にあるアークチスト家のコーラルとは全く別の、掴みどころのない虚無ではなく、はっきりとした意思があった。


「不正だというなら、私が捻じ曲げてやる」


 ドクリと生暖かいねっとりとした血液が心臓から脈打った。

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