03
それは電話を切った一瞬の出来事だった。
突然の浮遊感と回る景色。身に覚えのある感覚だが、今は起きるはずがないその感覚に杖を取り出せば、弾かれる。
柔らかく仰向けに抑えられた世界に映る男の姿に、コーラルは呆れたように目に集められた魔力を解く。
「ヴェナーティオはレディの扱いを教えていないのかしら? それとも獣人相手ばかりで、忘れたのかしら?」
「ほんの挨拶みたいなものだよ。本気で君を捉えるなら、杖よりその目を抑えるからね」
「そうでしょうね。それを忘れているなら、狩人として失格。獲物どころか、命すら無くすことになるわよ」
馬乗りになったまま動く気配もなく、笑顔を向けるシトリンに、コーラルは降りろと文句を言うが、変わらず笑みを携えたまま。
言いたいことはわかる。魔眼を使う姿を間近で見たい、だ。
「お断り」
「どうしてだい!?」
「神秘の安売りはしてないの」
「でも、結構使っているよね?」
あくまで目に映るもの、相応の魔力という代償はあるが、使い勝手のいいこの魔眼を、コーラルは日常的に些細なことに使っていることが多い。
そもそも神秘の存在を知っている人間の方が少ないし、知っていたとしてもはっきりとコーラルが魔眼を使ったことに気が付く人間はもっと少数だ。
「残念だ。今回は、君も魔力を温存したいということにしておくよ」
「今回は?」
「シュア」
全く反省の色はないらしい。
コーラルの上から退くと、コーラルを起こし、手早く身なりを整える。
「さて、コーラル。先程の電話だが、ゾイスさんからだろう? 彼の見解を聞かせてくれないかい?」
「少しは隠したら?」
「時間が惜しい」
どの口が言うか。
しかし、ヴェナーティオがあえてこの話題に触れてきたということは、そういうことなのだろう。
「あいつからは、関わるなと言われたわ」
それは、今回の狙いが人魚だけではない可能性があるということだ。
アークチスト家であるコーラルを狙ったものである可能性が否定できないというものだった。
人魚や使用人であれば、替えが利く。魔術師の中でも稀有な神秘持ちのアークチスト当主と比べてば、どちらかが重い命かなんて、明らかだ。
「うん。そうか。では、今ばかりは私はコーラルの味方になろう。あぁ、堂々とね!」
妙に引っかかる言い方だ。
「相手、そして目的がはっきりするまで、あのふたりに代わり、私が守ることを誓おう」
それが、ヴェナーティオ家がアークチスト家と、延いては精霊との契約。
「ところで、コーラル」
のぞき込むような視線。
「君はそれでいいのかい?」
誘導。
それでもいい。持っている手段を手遅れになるまで使わないなんて、そんなの愚策。
手元に何も残らないかもしれない。でも、このままでいたところで、何も残りはしない。
「いいわけないだろ」
のぞき込む視線が歪む。
「わざわざ、そっちから口にしたってことは、早く手綱を離してほしかったのかしら?」
「まさか! この状況で、君が使わないはずが無いと思っていただけだよ」
かつて、獣人の希望を絶やさない代わりに交わした約束。
『君が困った時に、一度だけ僕が無償で手を貸すというのはどうだい?』
たった一度。だけど、この一度を逃す手はない。
「手を貸して。シトリン」
「もちろんだとも」
シトリンは、笑みを深めた。
まずは情報だと、シトリンは今持っている情報をコーラルに伝えた。
「今のところ、人魚を売り出すという情報は表にも裏にも開示されていないね。開示されれば、すぐに連絡が来るようになってる」
「密猟者については?」
「調査中だ。昨夜、街中で堂々と連れ去ったみたいだね。少ないけれど、目撃者もいた」
それはゾイスも同じことを言っていた。
保安局のような恰好で、堂々と街中で魔法を使って襲ったらしい。目撃者には、全員に彼らが捕獲対象である危険な人魚であることを説明し、安全のために離れているように避難誘導をされたという。
実際、あの双子も抵抗したであろう。その戦闘の様子はたまたま目撃してしまった一般人からすれば、信憑性はあっただろう。なにより、知り合いでもなければ、街中で戦い始める人たちと関わり合いにもなりたくない。
「さすがに彼らも、ふたりの出入りする店の近くでは襲っていないようでね」
「制服を着ていたのを、どう説明したのか気になるところね」
「メティステラに忍び込もうとしていた、とかかな? 人の振りをしていた危険な人魚なのだし」
実際、そこまで気にする一般人が何人いるかという話にもなる。
どういう状況で声をかけられたかは知らないが、片や暴れており、片やそれを抑えている場面で、抑えてる側から避難するように守られれば、どちらを信じるかなんてはっきりしている。
「一応、聞くけど、本物の保安局ではないわよね?」
いまだ、記憶に新しい人魚や海獣たちとの戦争。
獣人たちよりも規模は小さく、死傷者の数も少なかった。だが、海路の麻痺による経済的、一般人への被害は、獣人たちの時と引けを取らない。
海辺だけに現れるとはいえ、海辺に近づけば、魔術師や兵士、大人、子供関係なく海に引きずり込もうとする。それは、被害者になった人間だけではなく加害者である人魚側もだった。
大人の人魚でなくても、精霊のような残酷さで人を海に引きずり込んだ。あの双子も例に漏れてはいなかった。決して戦争をしている気はなく、見たままに大人の真似をして、それを子供ながらに楽しんでいた。
「違うよ。それに、彼らの罪が本物であっても、うちで売られた時点で、すでに清算されている」
「そう、よね」
戦争が終わってなお、彼らは求め、ついにヴェナーティオに狩られた。
「なら、問題ないわ。密猟者のいうことが、間違ってないから妙に信憑性が高くなるのは、あいつらの自業自得ってことね」
「手厳しいね」
眉を下げるシトリンは困ったように笑う。
「しかし、コーラルの惚気を聞くのは、楽しいものだね」
「これを惚気と勘違いできるのは貴方くらいよ」
疲れたようにため息をついた。
かつてあの双子を手に入れた時と似た表情に、シトリンはなおさら笑みを深めた。
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